492話 暁
スー……スー……
穏やかな寝息が聞こえる。
遥斗はいつの間にか、眠っていたようだ。
うっすら目を開けると、視界いっぱいにエレナの寝顔があった。
長い金髪がさらりと流れ、整った顔立ちがすぐ目の前にある。
(うわっ、近い……!)
無防備なエレナの姿に、遥斗の心臓が早鐘を打つ。
戦場では頼れる相棒だが、こうして見ると年相応の可愛らしい少女だ。
思わず、ドキリとしてしまう。
と、その時——
ドカッ!!
「ぐえっ!?」
腹部に、強烈な衝撃が走った。
エレナの膝蹴りだ。
「ムニャ……マーガス……いい加減にしなさい……ムニャ……」
愉快な寝言。
そういえば、エレナは非常に寝相が悪かったのを思い出した。
遥斗は腹をさすりながら、しぶしぶ体を起こした。
窓の外は、まだ薄暗い。
夜明け前だ。
広間を見渡すと、兵士たちや、マーガスやシエルたちも、雑魚寝状態で眠っている。
皆、さっき寝付いたばかり。
バハムスやアリアを中心に、盛大な宴会を繰り広げていたのだから。
(……この世界には、死者を弔うって概念があんまりないんだよな)
遥斗は、この世界の死生観を思う。
魂は「イド」へと還り、循環する。
だから、死に対してどこかドライだ。
湿っぽいお葬式の代わりに、盛大な宴を行う。
それが故人を偲ぶ事であり、送り出す儀式。
「あなたの事が大好きでした」「楽しかったね」と、笑って見送るのだ。
もし魂が未練を残してイドに行けなければ、ゴースト系のモンスターになってしまう。
だから、無事に笑顔で送り出せたのなら、それは幸運な事なのだ。
「……よう。起きちまったのか」
背後から声がした。
大輔だ。
彼もまた、目を覚まして起きてきたようだ。
「大輔……おはよう」
「ああ」
大輔は、眠る仲間たちを見渡して、少し寂しそうに、けれど嬉しそうに笑った。
「こんな楽しかったのは……この世界に来て初めてだよ」
「そっちは……大変だったの?」
「ああ、そりゃ必死だったさ。訳も分からず戦わされて、死ぬ思いも何度も経験した」
大輔が、ぽつりと語る。
勇者パーティという華やかな看板の裏で、彼らもまた、極限の擦り切れそうな日々を送っていたのだ。
「あはは、僕もだよ。何度も死にかけた」
「お互い、苦労したな」
二人は、離れていた時間を取り戻すように、静かに語り合った。
あの頃の、普通の高校生に戻ったかのように。
ひとしきり話した後、遥斗は表情を引き締め、切り出した。
「……ねえ、大輔。『暁』って何?涼介たちがここにいない事に関係あるの?」
その言葉に、大輔の顔つきも真剣なものに変わる。
彼は一度深呼吸をし、遥斗を真っ直ぐに見つめた。
「……なあ遥斗。アストラリア王国の果て、闇の中にお前の母ちゃんがいて、崩壊する世界を支えているって聞いた。本当なんだな?」
「……うん。アマテラスさんの話ではそうみたい。ハルカに映像だけ見せてもらったこともあるし、バハムスさんもそう言ってた」
遥斗の母、佐倉加奈は、神樹ユグドラシルとなり、崩壊しようとする世界をその身で繋ぎ止めている。
そして、送り込まれた物質を取り戻すため、イドからエネルギーを奪い取り、魔物として物質化する。
世界を蝕む「闇」を少しでも回復させるように。
大輔が、重い口を開いた。
「涼介と、美咲、千夏は……軍を率いて、その『闇』の討伐に向かった」
「えっ……!?」
遥斗は驚愕した。
「俺達も、闇の中に『何か』がある、ということまでは情報が入っていたんだ。それが闇を拡大させ、魔物を生んでいる元凶だと」
「そ、それは……!」
違う、と言いかける。
しかし、大輔は首を振った。
「ああ、分かってる。俺達は騙されていたんだ。マーリンにな」
大輔は悔しそうに拳を握りしめる。
「涼介たちは、その『元凶』を討伐する為、連合軍の半分を率いて行った」
「討伐って……」
遥斗は言葉を失う。
討伐対象は、魔物を生む大樹ユグドラシル。
しかし、それは世界を支え、元に戻すために行っていること。
それを破壊されれば、この世界は……終わりだ。
しかも——ユグドラシルは遥斗の母親自身。
だが、すぐに遥斗は冷静さを取り戻した。
「……でも、大丈夫だと思う。闇の中は、空気がない真空に近い状態なんだ。生身の人間じゃ入れないし、いくら軍を率いたところで辿り付けないよ。それに、数えきれない魔物が守護している」
母を守る鉄壁の守り。
勇者といえど、そう簡単に突破できるものではない。
しかし、大輔の表情は晴れない。
むしろ、より深く沈んでいる。
「……普通の行軍ならな」
「え?」
「美咲が、空間転移魔法を覚えたんだ」
嫌な予感が、遥斗の背筋を走る。
「それを使って……とんでもない威力の兵器を転送し、炸裂させる」
「兵器……?」
「並の魔導兵器じゃない。ソフィア共和国で開発された無限連鎖魔力爆弾……おそらく、『核兵器』並みの威力を持つ。それを、かなりの数用意している」
遥斗の顔から血の気が引いた。
「勇者パーティによる先行突入。座標の特定。そして転移による戦略爆撃。……その後離脱。作戦名が、『暁』なんだ」
闇を払い、世界に夜明けをもたらす。
だから、「暁」。
「俺達が大掛かりな軍事行動を起こしたのは、これを邪魔させない為の囮だったんだよ。……涼介たちは、今も闇に向かっている」
遥斗は震えた。
この作戦を立案したのは、賢者マーリン。
つまり、エルミュレイナスだ。
エリアナを使った「エリュシオン」。
勇者を使った「暁」。
どちらかの作戦が失敗しても、どちらかを成功させれば、世界は終わる。
完璧な二段構え。
「ねぇ、な、何とか止められないの!?」
「……無理だろうな。もう出発して時間が経ちすぎている」
大輔は絶望的に首を振る。
「りょ、涼介なら!涼介なら話を聞いてくれるかも!」
かつての親友。
決断力の強い彼なら、真実を知れば止まってくれるはずだ。
遥斗は期待を込める。
しかし——大輔は、暗い顔でそれを否定した。
「……今なら分かる。涼介は、こっちに来てからおかしいんだ」
「おかしい……?」
「ああ。今の今まで疑問に思わなかったけど……異常なまでに冷徹なんだ」
大輔の脳裏に、涼介の冷たい瞳が浮かぶ。
「でも、涼介ってそんな感じじゃなかった?クールで、不愛想で……でも、自分の信念があって……」
「そうだよ。あいつは意外と仲間想いだった。簡単に仲間を見捨てるような奴じゃなかったし、仲間の命を危険に晒して平然としていられる奴じゃなかったはずだ」
「それはそうだけど……」
「それに……何故か俺もそうだったんだ。何でだろう。涼介の言うことが、絶対に正しいと思えていた」
大輔は自分の手を見つめる。
「俺……最初、遥斗に会った時、酷いことしたよな?まるで別人みたいにさ」
「……うん、まあ、結構無茶苦茶だったかも?」
遥斗と和解するまでの大輔は、人の命に頓着がなく、傲慢だった。
遥斗が知っている、誰よりも命を大事にしてきた大輔とは、同じ人物とは思えなかった。
「何かに……影響されていたのかもしれない。勇者のスキルなのか、マーリンの術なのか、エリアナの力なのか」
大輔は、遥斗の肩を掴んだ。
その目は真剣そのものだ。
「とにかく、涼介には気を付けろ。あいつはもう、俺達の知ってる涼介じゃないかも」
遥斗は、言葉を失う。
ただ、頷くことしかできなかった。
夜明け前の空。
その彼方には、まだ深い闇が広がっている。




