489話 終焉の血戦(14)
空を飛びながら、オリハルコンのロープを懸命に引く。
オリハルコンはスライムにも溶かされる事無く、しっかりとエレナに巻き付いていた。
ドロドロに溶けた肉塊の中から、マーガスとエーデルガッシュが二人を引き抜いた。
「エレナーーー!」
「任せて!」
マーガスの叫びに呼応して、エレナは、すぐさま白虎の噴射装置を点火。
魔素推進剤の残量は十分。
安全圏まで離脱する。
バシュゥゥゥッ!
少し離れた平地へと着地。
遥斗を地面に寝かせると同時に、エレナは白虎をパージした。
白煙を上げて装甲が外れる。
白虎ですら、スライムの粘液で溶けかかっていた。
即座に自己修復システムが起動し、復元を開始する。
だが、問題は——
人間だ。
アーマードスーツでさえ、この有様。
「遥斗くん!」
当然、生身の遥斗も溶けかかっている。
皮膚は焼けただれ、一部は骨まで見えていた。
無残な状態。
エレナは大急ぎで、マジックバッグからポーションを取り出した。
一本、二本ではない。
ありったけ。
「お願い……!効いて……!」
バシャッ!バシャッ!
最上級HP回復ポーションを、惜しげもなく遥斗の体にぶちまけた。
緑の光が、傷を癒していく。
溶けた体が再生し、呼吸が安定してきた。
間一髪。
命を、繋ぎ留めたようだ。
遥斗が、ゆっくりと目を開ける。
「……エレナ?」
「遥斗くん……助かったよ……」
「そうみたいだね……ありがとう……」
微笑む遥斗の瞳。
そこには、もうあの深淵のような闇はない。
冷徹な輝きも。
元の優しい、茶色がかった瞳に戻っていた。
エレナは、遥斗と精神が繋がっていた時の事を思い出した。
彼の絶望と孤独。
涙が、溢れて止まらなかった。
「もう……絶対に死なせてあげないんだから!」
「うん……僕も、死にたくないや」
遥斗も、涙ぐむ。
以前の彼なら、「死」は救済だったかもしれない。
どうでもいい世界の、どうでもいい結末。
だが、今は違う。
遥斗の中で、何かが変わっていた。
心の隙間は小さくなり、本当の強さと勇気を手に入れつつあった。
一方——
その光景を信じられない面持ちで見つめる男がいた。
エルミュレイナス。
彼は口をパクパクさせ、エリアナ・スライムの残骸を凝視する。
「な……なぜだ……」
アレが、負ける?
導き手たるエリアナが?
選ばれ士神子だぞ?
竜王バハムスに敗れたのなら、まだ分かる。
太陽王アマテラスの力なら、まだ理解はできる。
だが——
倒したのは、ただの人。
最弱の、アイテム士ではないか。
たしかに、エルミュレイナスが視た未来は揺らいでいた。
多数の不確定要素があった。
しかし、彼の知る未来に、こんな結末は存在しなかった。
彼の力を越えた、何かが働いている。
まさか不確定要素だったのは、竜王でも太陽神でもなく……
「ククク……あの女の息子、なかなかやるではないか!」
バハムスが、愉快そうに笑った。
「神子の血を引くだけはあるな。良い顔になった」
「神子……の息子……?」
エルミュレイナスの顔が、憎悪に歪む。
佐倉遥斗。
たまたま勇者召喚についてきた、取るに足らないゴミのような存在。
しかし、それは始まりの神子、佐倉加奈の子供。
偶然にしては、あまりにも……
「またか!また……あの女か!」
苦々し気に、遥斗を睨みつける。
この戦場の光景。
スライムを斬り裂いた、神剣クサナギ。
遥斗を守り抜いた、アマテラスの護符。
空を駆けた、白虎。
マーガスを守る、オリハルコン。
情報を繋いだ、ヤタの鏡。
この戦いで決着をつけた全ての要素が——
500年前、加奈が用意していたものだった。
「おのれぇぇぇ!神のために与えられた力で神に背くとは、決して許さぬ愚行!!!人風情がぁぁぁ!」
エルミュレイナスは半狂乱になり、魔力を暴走させた。
「そうだ!それだ!それを見られただけでも来たかいがあったわ!」
エルミュレイナスが激怒する様に、バハムスは満足げだ。
「五月蠅い!消えろぉぉぉぉ!!」
エルミュレイナスは全ての力を解放。
無詠唱で、極大魔法を放つ。
空間が捻じ曲がるほどの魔力。
回避不能の、全方位爆撃。
爆炎が舞う。
落雷が爆ぜる。
空気が凝結する。
暴風が舐める。
土砂が穿つ。
闇が昇華する。
光が圧壊する。
しかし——
「それがどうした!」
バハムスは無傷で魔法の中から飛び出してきた。
竜王のオーラに、攻撃魔法など通用しない。
バハムスの剛拳が、エルミュレイナスの顔面を捉える——
直前。
転移。
エルミュレイナスが消え、拳が空を切る。
瞬時に離れた場所へ移動させられる。
空を切った拳は地面に触れるだけで、衝撃波が全てを吹き飛ばす。
バハムスは即座に反応し、再びエルミュレイナスに飛び掛かる。
フッ。
また、転移。
殴る、転移。
蹴る、転移。
同じことを何度も繰り返す。
いや、同じではない——
バハムスの速度が、徐々に上がっている。
(速い……!)
エルミュレイナスは焦る。
彼の転移能力には法則がある。
距離と、集中する時間は比例するのだ。
つまり——
相手が速ければ速いほど、集中する時間が取れず、遠くには飛ばせない。
短距離の転移を繰り返すしかない。
それを、バハムスは見切っていた。
徐々に追い詰めていく。
「捉えた!」
「ちぃっ!」
しかし、それでもエルミュレイナスには余裕があった。
これさえも、視えていた未来。
対象を強制転移させるスキル。
ゴッド・トランスで——
地面の中に、転移させた。
生き埋め。
だが、これで死ぬ竜王ではない。
承知の上。
必要なのは時間。
「この隙に……!」
エルミュレイナスは集中する。
狙うは、遥か彼方。
いくら竜王とて、宇宙空間にまで転移させて戻ってこられるか?
ニヤリと嗤う。
その時——
「はあああっ!」
横合いから、斬撃が迫った。
アマテラスだ。
手には、先ほど遥斗が使っていた神剣クサナギが握られている。
(雑魚が!邪魔するな!)
エルミュレイナスは舌打ちする。
切り札であるゴッド・トランスは、バハムスを飛ばすために温存しておきたい。
ならば——
柔の業。
剣先に触れ、軌道を逸らす。
アマテラスの剣技など、未来視の前では児戯に等しい。
簡単に切っ先がずらされた。
アマテラスが体勢を崩し、地面に吹き飛ばされる。
「所詮は偽りの太陽よ!この私に触れることは敵わぬ!」
エルミュレイナスは勝ち誇る。
しかし——これが決定打。
「誰がお前を狙うと言った?」
「なっ……!?」
エルミュレイナスが気付いた時、全ては遅きに失した。
アマテラスの背後。
いつの間にか、巨大な光球が浮かび上がり、世界を照らしていたのだ。
エルミュレイナスはバハムスの攻撃回避と未来予知に気を取られ、こんな巨大なものの準備に気が付いていなかった。
彼は今、この現実より、未来の現実しか見えていなかったのだ。
強烈な光が、影を生む。
エルミュレイナスの足元に伸びる、濃い影。
アマテラスが振るったクサナギ。
その切っ先は、エルミュレイナスを狙ったものではなく、
彼の——
影を、切り刻む。
「これで終わりだ!!」
アマテラスが叫ぶ。
影が切られたのと同じ部分から、ドス黒い霧が立ち上った。
霧は凝縮し、髑髏の死神を形作る。
呪いの死神。
ケケケケッ……!死神は嗤いながら、エルミュレイナスへと侵入していった。
決して解けない呪いの発動。
加奈が遺した禁断の、オカートが完成した。
「ギャアアアアアアッ!?」
エルミュレイナスが悲鳴を上げた。
視界が、消える。
音が、聞こえない。
腕も、足も、動かない。
身体機能が、次々と奪われていく。
クサナギのオカートが、エルミュレイナスからすべてを奪った。
「あああ……見えない!……聞こえない……!」
「貴様ぁぁぁ!加奈ぁぁぁ!死してなお、私の邪魔をするかぁぁぁ!力を授けられた恩にも報いず!男にかまけて使命を忘れ!下等なる人族!異世界人の売女が!お前が呪われろ!消え去れ!死ね!死んで詫びろ!」
エルミュレイナスは、虚空に向かって全ての呪詛を吐き散らした。
その姿は、あまりに惨めだった。
ドゴォォォォン!!
地面が粉砕される。
地中から、バハムスが飛び出した。
彼は、動けなくなったエルミュレイナスの前に立つ。
口汚く罵り続けるかつての友。
「……哀れよな」
かつての彼は、こんな性格ではなかった。
兄を慕い、国民を愛し、誰より優しかった。
何が彼を、ここまで変えてしまったのか。
「もう……眠るがよい」
それが、竜王バハムスの最後の慈悲。
振るわれた拳。
圧倒的な破壊のエネルギーを持って。
エルミュレイナスは——悲鳴を上げる間もなく、光の中に消し飛んだ。




