488話 終焉の血戦(13)
「勝った……」
遥斗は勝利を確信した。
なぜなら——
見えたからだ。
スライムの中、全く溶けずに残された一本の神剣。
クサナギ。
遥斗の狙いは、最初からこれだった。
外部からの破壊が不可能ならば、内部からシステムに干渉するしかない。
そのための、デバイス。
遥斗は、最後のエリクサーを取り出した。
ゴクッ……
飲み干すと身体の溶解が止まり、瞬時に傷は全快する。
それどころか、酸素欠乏にあった体も、状態異常と見做して完全回復。
伝説の霊薬は伊達ではない。
その一瞬に全てを賭ける。
遥斗は、渾身の力で手を伸ばした。
届いた。
遥斗の手が——
クサナギの柄を握りしめる。
ドクンッ!
瞬間。
景色が、変わった。
粘液の不快な感触も、溶解する痛みも消える。
そこは、真っ白な空間。
おそらく意識の世界。
目の前には一人の少女が、立っていた。
ドレスを身にまとい、愛らしい笑顔を浮かべる美しい少女。
アストラリア王国の王女、エリアナ・ファーンウッド。
あの醜悪なスライムになり果てたとは思えないほど、彼女は無垢で、無邪気な姫のままだった。
『あら?遥斗様ではありませんか?』
鈴の鳴るような、愛らしい声。
『こんなところにまでようこそ』
彼女は優雅にカーテシーをして、遥斗を出迎えた。
遥斗は、冷静にその姿を見つめる。
問いかけたいことは山ほどある。
しかし、残された時間は、少ない。
だから、どうしても聞いておきたかった事だけを口にした。
『……エリアナ姫。あなたに罪悪感はないの?』
エリアナが、小首をかしげる。
『どうして罪悪感など持つ必要があるのでしょう?』
『これだけの命を奪っておいて?』
『奪ってなどいませんよ。あるべき所へと導くのです』
悪びれる様子など、微塵もない。
彼女にとって、それは絶対的な正義であり、責務なのだ。
『神に、ですか?』
『もちろん!そうですとも!』
『神とは何ですか?』
『ふふっ、神とはこの世界そのもの』
まるで禅問答だ。
話が噛み合っているようで、決定的に何かがズレている。
エリアナは恍惚とした表情で、語り出した。
『私の夢は涼介様と一つになること。あの方と結ばれるために私は生まれたのです』
(……涼介?なぜここで涼介の名前が)
遥斗のクラスメイト。
勇者という最強の職業を与えられた友人、高橋涼介。
突然、話が変わった。
いや、彼女の中では繋がっているのだろうか。
『涼介が一体何なのですか』
『涼介様は勇者。この世界を救うためにマーリン様がお呼びになられた』
マーリン。
つまり、エルミュレイナスのこと。
確かに、彼が涼介を召喚した。
しかし、矛盾している。
『先ほど、涼介と結ばれるために生まれた、と言いましたね?』
『ええ、そうです』
おかしい。
遥斗たちがこの世界に転移してきたのは、わずか数か月前。
その時、初めてエリアナに会ったのだ。
彼女はそれよりもずっと前に生まれている。
涼介が来ることを予知していた?
それとも、時間の概念そのものが狂っているのか?
『結ばれるというのも……比喩表現……か』
こんなスライムの体になってしまったのだ。
物理的に結ばれることなど、あり得ない。
一つになる、というのは、もっと別の意味。
魂の融合か、あるいは——
(エルミュレイナスが行っているエリュシオン……それにはまだ続きがあるのか?)
これで終わりではない予感がする。
もっと深く、もっと絶望的な何かが、まだ隠されている。
だが——
遥斗は、思考を断ち切った。
『……もう結構です』
疑問は残る。
だが、この戦いはここで終わる。
終わらせる。
数多の血が流れた、終焉の血戦を。
遥斗は、現実へと意識を戻した。
懐で、アマテラスの護符が強烈な光を放った。
遥斗の意思との共鳴。
加奈の想い、それが今、一つになる。
遥斗の口から自然と祝詞が紡がれた。
「我が祖なる荒ぶる神、スサノオよ」
クサナギが呼応し、刀身が震え、膨大なオーラを放ち始めた。
「汝が力を我に宿したまえ」
遥斗が確かめたかったこと。
それは二つ。
エリアナが正気かどうか。
そして、その正確な位置。
彼女は狂っていた。
正気と見紛うほどに、狂っていた。
もはや人にあらず!
ならば、迷う必要はない。
位置は——
今、この手に掴んでいる!
「時を断ち、空を裂き、万物両断の神威を顕現せしめよ!!」
これは、空間を切断する防御不可の一撃。
加奈が創り、アマテラスが育て、遥斗に受け継がれた究極の一閃。
「ハアアアアアアアッ!!!」
遥斗が、クサナギを振り切った。
斬るのではない。
空間ごと、削り取るのだ。
それは、形なき魂さえも。
音が、消えた。
エリアナ・スライムの巨体に、一本の光が走る。
一瞬の静寂。
その直後——
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
醜悪な悲鳴が、響き渡った。
誰もが耳を塞ぐ、魂の絶叫。
巨大なスライムが、内側から崩壊していく。
光の亀裂から、無数の光の粒子が溢れ出した。
それは、囚われていた魂たち。
十万人以上の命。
解放され、天へと、いや——イドへと昇っていく。
「ぐっ……!?」
マーガスが、頭を押さえた。
イドと繋がっている彼には、聞こえていたのだ。
悲鳴ではない。
彼の脳内に響き渡るのは祝福の歌声。
オリハルコンの賛歌。
「へへっ……うるせえな……これでいいんだろ?」
スライムの巨体が、完全に崩れ去る。
残骸となり、ドロドロと崩落していく。
その中に——
遥斗は、取り残されていた。
エリクサーは尽きた。
シュトルムバッハーもない。
逃げる術もなく、重力に従い落下していく。
自力での脱出は不可能。
このまま地面に激突するか、残骸に埋もれるか。
薄れゆく意識の中。
空から——
天使が、舞い降りて来た。
光り輝く腕を広げ、遥斗を包み込む。
ガシッ!
(違う……天使じゃない……)
それは、鋼鉄の乙女「白虎」。
「遥斗くん!捕まえた!」
エレナだった。
エレナが、遥斗を強く抱きしめていた。
「エレナ……」
しかし、どうするつもりだろう。
白虎の推進装置は、スライムの中では機能しないはずだ。
二人で溶けてゆくだけ——
普通なら、そう。
しかし、今は違う。
エレナの背中には、最初からオリハルコンのロープが巻き付いていた。
それが——
凄い勢いで収縮する。
視線の先。
ロープを引く二人の影があった。
マーガスとユーディ。
二人が渾身の力で、ロープを引っ張っている。
「うおおおおお!引き上げろぉぉぉ!」
「言われるまでもないわ!力を入れろ木っ端貴族が!」
「ふざけんな!ダスクブリッジ家は木っ端じゃねーーーー!」
仲間たちが、そこにいた。
遥斗を救うために。




