476話 終焉の血戦(1)
クサナギが——
エリアナの喉を、貫いた。
神子の力の源に、神剣が深々と突き刺さる。
世界が、静止したように感じた。
戦場を支配していた圧力が、息苦しさが、魔力のうねりが——
全て消え去った。
静寂。
あまりにも不自然な。
エリアナの身体が、微動だにしない。
両腕を失い、喉に剣を突き立てられ、虚空に浮いたまま——
動かない。
アマテラスが、剣を握る手は、確かな手ごたえを感じている。
(これで……終わった……のか……?)
そう思った、次の瞬間——
爆発的な、力が噴き出した。
エリアナから——いや、彼女のいる空間から——
神子の力が、制御を失って噴き出す。
それは魔力ではなく、別の何かだった。
世界を押し潰すような、圧倒的な何か。
「ぐあっ……!」
アマテラスが、クサナギを握っていられなかった。
エリアナから発せられる力は、決して彼女からではない。
人ならざる——
神域より。
剣はエリアナに刺さったままだ。
苦しそうに、言葉を発する。
声にならない声。
「あ”……あ”あ”……こ”ん”か”せ”……て”ま”」
口が動くが、何かを言おうとしているかは理解できない。
声帯を傷つけられて、喋ることが出来ないのだ。
血が口から溢れ出す。
それでも——
何かを、伝えようとしている。
「り”ょ”……う”……す”け”……さ”……ま”……」
涼介。
勇者の名を、呼んでいる。
そして、エリアナを中心に神の力が弾けた。
アマテラスの身体は、彼方に吹き飛ばされてしまった。
エーデルガッシュと、るなも同様に。
幼い身体は地を転がり、神獣が悲鳴を上げた。
。
「るな!るな!!」
さくらが、るなに駆け寄る
るなは、震えていた。
ダメージが大きかった訳ではない。
恐怖だ。
モンスターが、神獣が、恐怖を感じている。
その感情は、さくらに逆流した。
人獣一体の代償。
さくらの身体が、るなと同じように震え出す。
「さくら……?大丈夫か?」
大輔が慌てて声をかけるが、さくらは答えられない。
「あ、あ、あああああっ!」
声にならない悲鳴を上げるばかり。
大輔は、全てが終わったと思っていた。
エリアナが倒れ、戦いは終結に向かうと。
違った。
これは——
始まりに過ぎない。
***
エルミュレイナスは、うっとりとした表情でエリアナを見つめる。
その目には、狂気的な愉悦。
「嗚呼……嗚呼……エリュシオンが……見える」
うわ言のように、呟く。
一歩、また一歩と、エリアナに近づいていく。
「ついにこの時が……」
その声は、祈りにも似ていた。
崇拝。
畏敬。
そして——絶対の確信。
「ついに……ついに……成るぞ……エリュシオン!」
エルミュレイナスの全身が、震えていた。
長年の悲願が、今——
未来視で見た世界が、今まさにここで起ころうとしている。
エリアナの身体から溢れ出す魔力、いや神気。
それは世界を削り、イドに送り込まれるエネルギー。
圧倒的な量。
これまでの戦いで消費された魔力の、何倍も。
神子の力が暴走し、ただ溢れ続けている。
これこそが——
エルミュレイナスが求めていた、究極の魔力消費。
極限にまで昇華された神子が、限界まで追い詰められて初めて成せる業。
その為に育てた、その様に創った。
エルミュレイナスでも達せぬ、神に属する行為。
「素晴らしい……」
涙が、頬を伝う。
「本当に素晴らしいぞ……エリアナ……」
***
マーガスとカゲロウが、土埃にまみれ、瓦礫から這い出してくる。
二人とも多少の怪我をしているが、掠り傷程度。
しかし、マーガスの表情は尋常ではなかった。
苦痛に歪んでいる。
恐怖ではない。
オリハルコンが叫んでいる。
『殺せ』
『滅ぼせ』
『カミだ』
『カミを滅しろ』
最大音量で。脳内に響く。
頭が割れそうだ。
声はそれだけではない。
『崇めよ』
『讃えよ』
『賞賛せよ』
『神が顕現した』
相反する声。
いや——
これは、一つの声ではない。
無数の声が、重なり合っている。
まるで思念の集合体だ。
マーガスの脳裏に、閃光が走った。
頭ではなく、心が理解した。
「オリハルコンは、イドと繋がっている」と。
つまり、これは、死者の魂。
別の世界に満ちる感情。
彼らが、叫んでいる。
殺せ、と。
崇めよ、と。
矛盾した数多の命令を、同時にマーガスに送っている。
「うっ……ぐ……ああああああ!」
マーガスが、頭を抱えて蹲る。
オリハルコンの大剣は、地面に突き立てられたまま——
禍々しい光を放っていた。
傍にいたカゲロウは判断した。
もう、殺しが楽しめる状態ではない、と。
眼前にいる獲物にすら興味が失せた。
死ぬのは構わないが、あんなバケモノの巻き添えは御免被る。
もっと楽しんで、楽しんで、楽しんで……
死にたいのだ。
「チッ……つまんねぇ展開だ」
舌打ちをして、カゲロウは逃げだした。
忍者としての脚力で、戦場から離脱しようと試みる。
しかし——
カゲロウの前に——
エリアナが、立っていた。
「なっ……!」
超速移動。
いや、それ以上。
認識すら、できない。
喉に剣が突き刺さったままなのに。
両腕を失ったままなのに。
「な……なんだよ、おい……俺に何か用でもあるのか……」
カゲロウの声が、震える。
恐怖。
命を誰よりも軽んじる、数多の敵を殺してきたこの男が——
恐怖している。
「てめぇ……なんだよ……文句でもあるってのかよ!」
カゲロウは威嚇するが、エリアナは動かない。
ただ——
虚ろな目で、カゲロウを見つめている。
エリアナの意識は、ほとんどない。
ここに来たのも、高速で動いていた物体に反応しただけ。
「ふ……ふざけんなよ!バケモノが!てめぇみてーなモンスターくずれが!俺様を!止められると思ってんのか!」
応えはない。
ただ、口が動いた。
「……あ”……あ”あ”……」
それは——
もはや人の声ではなかった。
カゲロウが、剣を抜いた。
「死んどけや!クソがぁぁぁ!多影斬!!」
多数の分身がエリアナを襲う。
そしてアレクサンダーから奪った、エクスカリバーンがエリアナの心臓に——
突き刺さった。
ズブリ。
刃が、深々と突き刺さる。
致命傷。
カゲロウは、笑った。
「クカカカ!俺はまだまだ殺し足りねーんでな!このままトンズラさせて貰うぜ!」
しかし、カゲロウの笑顔は凍りついた。
エリアナの身体が——
溶けた。
肉が、液体のように流動し、カゲロウの剣を包み込む。
慌てて剣を引き抜こうとするが、ビクともしない。
エリアナの身体に、取り込まれていく。
「おい……おい……!」
カゲロウが、必死に剣を引く。
が、逆に、恐ろしい力で引き込まれていく。
そして、エリアナの身体が、カゲロウの手を——
腕を——
取り込んだ。
「やめ……やめろ!離せ!離しやがれーーー!」
絶叫。
それでも——
止まらない。
エリアナの身体は、もはや人の形を保っていなかった。
肉の塊。
いや、スライムのような何か。
それが、カゲロウを少しずつ飲み込んでいく。
「嫌だーーーーー!うぎゃああああああああああああああああああ!!!」
カゲロウの絶叫が、戦場に響きわたり。
そして——
消えた。
完全に。
もはやエリアナは、人としての形状を完全に失った。
巨大なスライム。
粘液質の塊。
蠢き、脈打ち、膨張する。
そして、分裂した。
一つが、二つ。
二つが、四つ。
四つが、八つ。
無数のスライム状の肉塊が、街中に散っていった。
それらは、まだ生きている者に取りついていく。
何万人もの、意識失った兵士たち。
スライムは、彼らに取りつくと——
喰った。
覆いかぶさり一体化する。
そして——
その度に巨大化した。
大きくなると、また分裂。
無限の増殖。
シルバーミストの街が——
飲み込まれていく。




