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472話 偽りなき偽り

 戦場に到着したアリアが見たものは——


 異形。

 エリアナは、人としての形状を失っていた。

 両腕が鞭のように伸び、オーラで宙に浮かぶ。


 アリアが、明るい声で呼びかけた。

「おいおい、ついに人をやめたってか?さすが王族様だぜ?随分と思い切ったイメチェンじゃねーかよ!」


 冗談めかした口調。


 しかし、これは様子見だった。

 アリアの鋭い目が、エリアナの反応を注意深く観察している。


 正気かどうか、まだ人として会話が成立するかどうか、その一点を確かめるために。


 エリアナが、ゆっくりと振り向いた。


「あら、アリア様ではないですか?」

 その声は、驚くほど穏やかだった。

「帝都への護衛依頼はどうなさったのですか?こんな所でさぼっていては、依頼料のお支払いは出来ませんよ。ふふふ」


 完璧な笑顔。

 完璧な礼儀。


 その姿は、全くいつものエリアナだった。

 優雅で、気品に満ち、王族としての威厳を纏っている。


 だからこそ。


 ザッ。


 アリアが、剣を抜いた。


 この異常な状況で、異常でないのが——異常だ。

 偽りなき偽り。


「マーガス!」

 アリアの声が、低く響く。


「承知!」

 マーガスも、地に伏すエーデルガッシュの姿を見ていた。

 幼い身体が血に染まり、必死に立ち上がろうとしている。


 その姿を見て、マーガスの中で何かが弾けた。


 オリハルコンの大剣が、禍々しい光を放つ。


「おや?ダスクブリッジ辺境伯の御子息ではありませんか?」

 エリアナが、不思議そうに首を傾げる。

「王族に、貴族が剣を向けるのですか?それは反逆に他なりませんよ……」


 正論。


 しかし——

 オリハルコンの声が、ひどく大きくなった。


 それは咆哮であり怒号。


 明確な殺意。

 オリハルコンがエリアナに反応している。


(これは……!)

 マーガスの脳裏に、直接意思を叩きつけてくる。


『敵だ』『殺せ』『滅ぼせ』


 オリハルコンが、エリアナを敵と見做している。

 どころの話ではない。

 この剣は、精神を支配してでもマーガスを戦わせようとしている。


 頭が割れそうだ。


 それでも、マーガスは剣を握り続けた。

 今はこの力だけが頼りだ。


「俺らも戦うぜ!」


 シルバーファングの面々が、戦闘準備を整える。

 ガルスがハンマーを構え、レインが弓を引き絞り、マルガが魔力を練り、リリーが治癒の準備をする。


 アストラリア王国の姫、本物であろうが偽物であろうが戦う事になるだろう。

 ヴァルハラ帝国の皇帝陛下を嬲っている時点で、黒だ。


 新たな気配。


 エルミュレイナスが、ゆっくりと近づいてきた。


「はぁ……」


 大きなため息。

 明らかな失望が混じっていた。


「エリュシオンに使えるかと思ったが……オリハルコンではな。意味をなさぬ」

 エルミュレイナスの視線が、マーガスの大剣を見据える。

「他の者も全員弱すぎる。その上、消耗しているとは……。これでは瀕死のシューテュディの方がマシというものだ」


 侮蔑。

 その言葉に、アリアの目が鋭く光った。


「舐めてんじゃねーぞ!氷霧剣・絶華!」


 アリアが、地を蹴る。

 風を越えた動き。


 一瞬で間合いを詰め、剣を振るう。

 決まれば相手を氷結させ、打ち砕く。

 斬撃と魔法を融合させた必殺の一撃。


 しかし——


 エルミュレイナスが、たった二本の指で挟んで止めた。


「なっ……!」


 アリアの目が、見開かれる。


 連続攻撃。


 ガルスの巨大なハンマーが、エルミュレイナスの頭上に振り下ろされた。

 大地を砕き、岩を粉砕する、並外れたパワーを秘める。


 それも、指一本で止められた。


「おい!馬鹿野郎!いくら何でもこりゃねぇだろう!」

 ガルスの顔が、蒼白になる。


「オーラショット!」

 レインが、弓を放つ。

 両手が塞がった今!チャンス!

 魔力を込めた矢が、光の尾を引いて飛んでいく。


 エルミュレイナスの目が、僅かに光る。


 瞬間——


 矢が消えた。


「なにっ……?」


 レインの声が、驚愕に染まる。

 矢を見失うなど、狩人の職業を持つ者にとってあり得ぬこと。


 その矢は——


 マルガの胸を、貫いていた。


「がはっ……!」

 マルガが、血を吐いて倒れる。


「マルガさん!!」

 リリーが、慌てて駆け寄る。


「ヒール!」

 必死に治癒魔法を唱えるリリーの手が震えている。

 心臓を直撃。

 生き残れるかは時間との勝負。


 エルミュレイナスは、つまらなそうに呟く。


「もっと……もっと魔力とスキルを消費させなければならんというのに……」

 その声には、苛立ちが滲んでいた。


「兵どもが動かん今、強者による大火力に期待していたのだが……話にならん」


 エルミュレイナスが、天を仰ぐ。

「嗚呼、エリュシオンを……成さねば……」


 嘆き。


「敵が……弱すぎる……」



「その話、もっと詳しく聞かせろ!」


 新たな声が、戦場に響いた。


 大輔だ、大輔が来た。


 その隣には、さくら、遥斗、そしてエレナが揃う。


 エルミュレイナスの目が、細まる。

「やはり……裏切っていたか」


「ふざけんな!誰だが知らねーが、騙したのはお前らだろ!全部遥斗に聞いたぞ!」


 大輔が、食って掛かる。


 しかし、エルミュレイナスは、興味なさそうに視線を逸らした。

「力を失った竜騎士……用済みだ……去れ」


 大輔の拳が、強く握られる。

 確かに竜騎士の力を半分失った、戦力にならない程に弱体化している。

 ——それでも、はいそうですか、と納得できるはずもない。


 次にエルミュレイナスの視線が、遥斗とエレナに向く。


(アイテム士の少年……錬金術師の少女……これも駄目だな。レベルが高かろうと使用できるスキルが弱すぎる)


 しかし——

 エルミュレイナスの目が、一点に留まった。


 さくらの隣。


 そこにいる、白い獣。


 神獣・ルナフォックス。


「これは……」

 エルミュレイナスの口角が、上がる。

「これなら……使える……!」


 笑いがこみ上げてくる。

 神獣の魔力は膨大だ。

 これを利用すれば、エリュシオンの完成も見えてくるだろう。


「いいぞ……お前だ……」


 その瞬間——


 ズシン。


 意識が朦朧としながらもマーガスが、エルミュレイナスの前に立ちふさがった。


 オリハルコンの大剣を地面に突き立てて。


「俺が……相手だ……」


「やれやれ、オリハルコンは要らんと言ってるだろう?」


 エルミュレイナスが、呆れたように首を振る。


「カゲロウ。こいつの相手をしろ」


 その声に、忍者が応える。

「チッ……面倒くせぇな。今いいとこなのによ」


 動けないブリードを置いて、舌打ちしながらマーガスに近づく。

 そして、煙に包まれた姿が、瞬時にマーガスの背後に現れた。


「俺が相手らしいぜ、災難だったな坊主」



 ***



 遥斗とエレナは、血まみれのエーデルガッシュに駆け寄った。

「ユーディ!」


 遥斗が、慌ててポーションを取り出す。


 最上級HP回復ポーション。


 それを、エーデルガッシュの口に流し込んだ。


「ごほっ……ごほっ……」

 エーデルガッシュが、咳き込みながらも飲み込む。

 傷が癒え、顔色も元に戻ってきた。


 エレナは、エリアナに視線を向けていた。


「お久しぶりです。エリアナ様……」

 その声は震えていた。


 エレナとエリアナは親戚。

 公爵なのだから当たり前だが。


 血縁は遠いが、小さい頃から多少の付き合いはある。

 王家を守護し、有事の際には王を継ぐこともある。

 また、王子、王女の婚姻相手になる場合もあった。


 由緒正しき名門。


 それがエレナの家系。

 王族の近親者として、時に遊び、時に学んだ。


「もう……止めてください……エリアナ様」

 エレナが懇願する。

「エドガー王も……こんな事……絶対に望んでおられません!」


 エリアナは、微笑んだ。


「あら、エレナ。息災でしたか?良いお茶が手に入ったの。後でご一緒しましょう」


 普通の会話。

 こんな時でなければ。


 中身がない会話。

 エレナの懇願は、完全に無視されている。

 いや、意思の力が感じられない。


「エリアナ様……」


 これは——


 もう、人ではない。


 その時、エーデルガッシュに力が戻る。

 人を超越せし、神子の力が。


「良いぞ!」

 エルミュレイナスが、喜びの声を上げる。

「エリアナ、さぁもっと戦え。神の力を、存分に振るうのだ」


 その命令に——


 エリアナが、優雅に微笑んだ。


「御心のままに」


 完璧な笑顔。

 完璧な服従。

 完璧な——人形。


 遥斗が、静かに呟く。


「ユーディ。僕たちも協力するよ」


 遥斗、エレナ、エーデルガッシュの三人が、エリアナに立ち向かう。


 ここが、正念場。

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