470話 解放
「マリオネイトエイジ・ラビリンス!」
遥斗の声が、戦場に響き渡った。
黒い霧が、爆発的に拡散する。
街全体を覆い尽くす漆黒のフィールド。
それは生命を飲み込む闇のようでありながら、どこか神聖な雰囲気を纏っていた。
地面から、無数の黒い糸が立ち上る。
それらは蛇のように這い、生物を探し求める。
互いに殺し合っていた者たち。
無意味に魔法を放ち続ける者たち。
感情もなく死者を破壊する者たち。
人族も、エルフ族も、関係なく、平等に。
黒い糸に捕らえられていく。
「これは……先ほど感じたものと同じスキルか!」
エルウィラインが、息を呑む。
マリオネイトエイジ・ラビリンス。
広域展開する操作スキル。
範囲内の生物を人形にすることで、一定の命令を与える。
無作為、それがこのスキルの本質。
通常、魔力糸を接続したものだけ、リアルタイムで操作するのがマリオネイターだ。
一人が操れる数にも限界がある。
しかしこの技は違う。
命令を限定する事で、範囲内すべてに効果を及ぼせる。
効果範囲は数百メートルといった所だろう。
それでも十分すぎるほど規格外の能力だが。
その制限を死霊の杖は破壊した。
この杖は、操作系の能力を爆発的に上昇させる。
魔力共鳴とエンチャントの付与がなせる業だ。
それが、本来ならあり得ない規模の効果範囲を可能にした。
こんなもの、コントロールが効かない暴走状態のようなもの。
だが、それで良かった。
それが良かった。
精密なコントロールなど度外視なのだから。
そして今——
遥斗がそれを再現している。
いや、再現どころではない。
さらに上をいっている。
「遥斗……お前……」
大輔が、呟く。
「最初からこれが狙いだったのか……?」
遥斗は、ただ——
魔力を注ぎ続ける。
限界まで。
全力で、一滴残らず。
エレナは、気づいた。
「そうか……遥斗くん、マリオネイターの力が全ての原因だって……考えてたのね。だから、それを解除するには——同じスキルで上書きすればいい」
どうしても、完全なる「マリオネイター」の職業が必要だった。
そのために、遥斗はずっと苦心していた。
ルドルフを殺さないように、と。
そして、最後のキーアイテム、死霊の杖は遥斗の手にあった。
全ての条件が——幸運にも揃った。
いや、幸運ではない。
全ては——計算、だったのかもしれない。
「お前、どこまで考えてんだよ……」
大輔が、感嘆の声を上げる。
遥斗の体が、限界に近づいていた。
膝が震え、視界が揺れる。
あと少し。
あと少しだけ。
黒い糸が、全ての兵士に届く。
何千人。
いや、何万人。
この街にいる、全ての操られた者たちに。
ただ一つだけを、植え付ける。
ルドルフが与えた命令——それは「殺せ」だった。
殺人人形、オートマタ。
理性を失い、ただ目の前の者を殺すだけの存在。
それが、この街を地獄に変えた。
だから——
遥斗は、その命令を上書きする。
新しい命令を、刻み込む。
「みんな、止まれーーー!!」
遥斗が叫んだ。
***
街の別の場所では、シルバーファングが獅子奮迅の活躍を見せていた。
「マーガス!右だ、右!右っつてんだろ!」
アリアの声が響く。
彼女の剣が、襲い来る兵士を吹き飛ばす。
一撃で三人を薙ぎ払い、マーガスのピンチを救う。
「うおおおお!レア・アルケミック!」
マーガスが、オリハルコンの大剣を振るった。
ギギギギギ……
魔力の波動が拡散し、周囲の兵士たちの鎧が変形する。
腕を縛り、脚を拘束し、完全な拘束具へと変化した。
「…………」
動けなくなった兵士たちが、地面に倒れ込む。
これで殺し合うことは無い。
拘束が完了した。
「ふぅ……何人目だ、これで……」
ガルスが、額の汗を拭う。
「数えてる余裕なんてねーです!」
リリーが、回復魔法を連発する。
「ヒール!ヒール!」
回復魔法の酷使は、彼女自身を限界に近づいていた。
「なんじゃ?もうへばりおったのか……酒の飲みすぎだな、お前さんらは」
マルガが、杖を振るう。
風の魔法が、敵の動きを止めた。
その隙に、マーガスが呪文が拘束する。
「……次」
レインが、静かに呟いた。
影から敵を捕らえ、武器だけを弾き飛ばす。
無駄なく、効率的に。
凄惨な殺し合いは、まだ続いていた。
しかし、それでも多くの者が救われていた。
シルバーファングが駆けつけなければ、今頃この兵士たちの命は、とっくに無かったであろう。
血と死体の饗宴。
それを、未然に防いでいる。
「ちっ……まだ来んのか……!」
オリハルコンの大剣。
それは、呪われた武器。
死者の怨念が込められた恐るべき金属だ。
マーガスは最初、オリハルコンに精神を蝕まれそうになっていた。
無数の呪怨が頭に響き、殺意に翻弄される。
理性が削られ、自我は崩壊しかけた。
しかし、マーガスは耐えた。
結果——
慣れた。
オリハルコンを使っていくうちに、徐々に馴染んできたのだ。
怨念の声も、聞こえなくなる。
いや、聞こえてはいるが気にならないのだ。
完全に自分の物にしている。
それどころか、オリハルコンから力を受け取っていた。
剣に込められた膨大な魔力が、マーガスに流れ込んでくる。
もう魔力切れを起こさない。
むしろ、使えば使うほど力が満ちてくる感覚。
逆境が——
マーガスを、鍛えていた。
「おい……マーガス……」
ガルスが、驚愕の表情で呟く。
「お前……強くなってねぇか……?」
「ほっほ……こりゃあ、驚きじゃのう」
マルガも、感心したように頷く。
この短時間で、見違えるほど成長していた。
視野が広くなり、判断能力も段違い。
感覚が研ぎ澄まされている。
まるで別人。
アリアは、それを強く感じていた。
シルバーファングのリーダーであり、マーガスの師匠。
彼女はマーガスの全てを知っている。
その成長を喜ばしく思いながらも、どこか寂しさを感じていた。
「もう……勝てねぇかもしれねぇな……」
アリアが、小さく呟く。
もはや教えることはない。
(……らしくねぇな)
アリアが、自嘲する。
感傷に浸るなんて、本当にらしくない。
マーガスの背中を見つめる。
あの小さかったガキが——
今や、自分と並ぶ存在に。
(……よくやったぜ、マーガス!なれるぜ!お前なら本物の貴族によ!)
心の中で、呟いた。
その時、異様な気配を感じる。
「……っ!」
アリアが、顔を上げた。
邪悪な気配。
それは、一点から都市全体を覆うように広がっていく。
黒い力が全てを埋め尽くす。
魔力フィールドの完成。
「何だ……よ……これは……」
ガルスが、警戒する。
「敵の、魔法……です?」
リリーが、杖を構える。
そして——
波動が、フィールド内に満ちた。
ズキン。
「ぐっ……!」
アリアが、頭を押さえる。
激しい頭痛。
脳を直接殴られたような、強烈な痛み。
まるで——
何かに、命令されるような。
頭の中に、直接響く声。
それは、一瞬で終わった。
波動が消え、頭痛が治まる。
顔を上げ、アリアが見たものは、全ての者が動かなくなっている姿だった。
まるで、呆けたように、ただ、突っ立っている。
「何が……起きた……?」
レインが、周囲を見渡す。
戦闘の気配は、もうない。
「遥斗だ!」
マーガスの声が響いた。
彼だけは、何かを理解したように上機嫌だった。
「遥斗の声が聞こえた!やってくれたぜ!」
満面の笑み。
その表情には、絶対的な確信がある。
「遥斗の……声……?」
アリアが、首を傾げる。
「師匠、聞こえなかったんですか?俺には確かに聞こえました!『みんな、止まれ!』って!」
「……っ」
そういえば——
確かに、聞こえた気がする。
頭痛の中で、微かに。
「そうか……遥斗の奴……やりやがったんだな……」
アリアが、深く息を吐いた。
どうやったかは、分からない。
しかし——
遥斗が終わらせてくれた。
この地獄を止めてくれた。
「さすがだぜ、遥斗」
アリアが、笑う。
「さぁて!」
マーガスが、オリハルコンの大剣を肩に担ぐ。
「次は姫様だな!あの女を止めなきゃ、何も終わらない!」
その瞳に闘志が燃えている。
「ああ!行くぜ、シルバーファング!」
アリアも叫ぶ。
全員が、立ち上がる。
疲労困憊。
魔力も残り少ない。
しかし——まだ戦える。
「エリアナ姫の元へ!」
マーガスと共にシルバーファングが駆け出した。
この戦いを、終わらせるために。




