468話 切り札
神人の中で、五つの魂が完全に一致した感情を抱く。
死の予感。
次の攻撃はきっと耐えられないだろう。
自身が半分削られてしまった今、先ほどの大技を受ければ消滅する。
存在が、霧散する。
しかし——
神人には切り札があった。
最後の、切り札が。
それは他者の命を取り込むこと。
そうすることで、回復とさらなる進化が可能になる。
失われた魔力を補充し、空洞を埋め、より強大な存在へと変貌する。
誰を狙うか。
視線が、素早く戦場を駆け巡る。
現在一番潜在魔力が高い存在。
それは——
ルナフォックス。
月光を司る神獣。
神人の思考が、方向を変えた。
(無理に目の前の化物と戦う必要はない……)
遥斗という存在は、あまりにも危険すぎる。
正面からではリスクが大きい。
固執する理由もない。
戦っても簡単に勝てないならば——
命を吸って回復する。
力が戻る。
そうすれば、コイツとも戦える。
圧倒出来る。
結論は出た。
神人が遥斗に向かって走り出す。
額の角が、赤く染まる。
クリムゾン・ホーンレイ。
しかし今回は撃ち出すのではない。
紅い魔力を体全体に纏う。
神人の全身が真紅に輝き、赤色彗星のように猛進する。
自らを弾頭と化した特攻。
これは囮だ。
遥斗の注意を引きつけるための。
分かったところで、防御以外の手はない。
「ドラゴンズ・イージス!ドラゴンズ・フォートレス!」
遥斗が、スキルを展開する。
オーラの盾が神人の前に立ちはだかった。
激突。
まるで核。
紅い閃光が戦場を包み込み、衝撃波が四方に広がる。
神人の体を燃料とした魔力爆発だ。
威力が低いはずがない。
この時、神人は弱った体を、二つに分けていた。
一つは足止め用の囮。
一つは吸収用の本体。
身体を分裂させて逃げることなど、エネルギー体にとっては容易な芸当だ。
本体は爆発の陰に隠れて別方向へ。
初めからこうすれば良かったのだ。
***
さくらは、それに気づいていた。
モンスターテイマーとしての直感が、警鐘を鳴らす。
もう一つの気配。
それは、るなに向かっている。
「るな!逃げてー!」
叫びながら、さくらは走った。
全力で。
必死に。
地面から何かがせり出す。
エネルギーと実体の狭間に生きる神人にとって、地上を移動するのも地中を移動するのも、さして差があるわけではなかった。
神人が、るなに手を伸ばす。
月光の狐が牙を剥いて威嚇するが、逃げる事は不可能だろう。
さくらが、割り込んだ。
るなを庇うように神人の前に立ちはだかる。
小さな体で、大切な仲間を守る。
しかし、神人にとっては、どうでもいい、いやどちらでもいい事だった。
さくらを吸収してから、るなに向かう。
むしろ二度楽しめる。
神人の手が、さくらの胸を掴んだ。
ズブリ。
意識が——繋がった。
さくらは、神人の深層意識に触れていた。
そこは混沌。
五つの魂が渦巻き、互いにぶつかり合い、融合しようとして反発する。
それは嵐のような、あるいは濁流のような世界。
そして——見えた。
四人の異世界人の記憶。
幼い子どもを抱え、路地裏で凍えている。
誰も助けてくれない。
誰も見向きもしない。
冷たい雨が降り注ぎ、体が震える。
お腹が空いた。
冷たくなる体温。
苦しい。
これは——レゾの記憶。
戦場。
銃声が響き、爆発が起こる。
仲間が死んでいく。
血と泥にまみれた地面。
助けを求める声。
しかし、立ち止まれば自分が死ぬ。
殺す事でしか生きられない。
死こそ生。
これは——ヴァイスの記憶。
裏切り。
信じていた人間に、背中から刺される。
金のために。
地位のために。
人は簡単に他人を売る、僅かな金欲しさに。
そう、人は目的のために何にでもなれるし、何でも出来るのだ。
自分もそうして、どこが悪い。
これは——ルドルフの記憶。
貧困。
家族が飢えている。
薬が買えない。
医者に診せられない。
目の前で、大切な人が死んでいく。
大切な人を守るために、大事な人を売る。
命は平等ではなく、全ては無価値
それこそが人。
それこそが世界。
これは——ガルモの記憶。
さくらは、見た。
人間の負の側面を。
彼女が知らなかった、世界の残酷さを。
戦争。
貧困。
裏切り。
憎悪。
それらが、渦を巻いていた。
さくらの心が押し潰されそうになる。
後悔。
罪悪感。
悲哀。
自分が幸せに生きた事が辛い。
彼らにも、こんな過去があったのに。
こんな苦しみがあったのに。
涙が、溢れる。
その時——
温かな光が、さくらを包み込んだ。
それはミラージュリヴァイアスの心。
さくらに救われた記憶。
共に戦い、旅をし、過ごした日々。
支え合い、信じ合った時間。
モンスターに生まれ、孤独しか感じてこなかった生き物に、初めて心を感じさせてくれた存在。
それが、さくら。
『アリガトウ』
声にならない声が、響く。
『アナタとデアエテ、ホントウにヨカッタ』
感謝の気持ちが、さくらの心に触れる。
異世界人たちの魂が——叫んだ。
『やめろ!それは偽善だ!』
『そうよ!ただの綺麗事!』
『世界は残酷で醜い!』
『俺たちの苦しみ……何が分かる!』
憎悪。怒り。妬み。嫉み。
それらが、波となって押し寄せる。
しかし、さくらは理解できた。
心が、繋がったから。
彼らの破壊衝動は、世界に対するものであり——そして、自分自身に対するものだったのだ。
自分の生き方が、許せなかった。
そう生きるしかなかった世界を呪った。
誰かを傷つけなければ、生きられなかった。
優しくありたかったのに、残酷にならざるを得なかった。
愛したかったのに、憎むことしかできなかった。
それが——苦しかった。
さくらは許した。
全てを。
彼らの罪を。
彼らの憎しみを。
彼らの絶望を。
彼らの全てを。
そして——愛した。
「あなたたちは悪くないよ」
さくらの声が、優しく響く。
「つらかったね。苦しかったね。でも、もう大丈夫。」
涙を流しながら、微笑む。
傷ついた魂を。
苦しんだ心を。
救われなかった人生を。
——慈しむ。
四つの魂が——震え始めた。
抵抗するように。
拒絶するように。
普通であれば響くはずがない。
届くはずがない。
しかし——
さくらは出来る。
異世界召喚されたモンスターテイマー。
その真なる力はスキルによるものではない、彼女の強さは彼女の心。
共鳴の光が疲れた魂を照らす。
やがて、荒魂は静かになっていく。
憎悪が溶け、怒りが消え、絶望が薄れていった。
ミラージュリヴァイアスの魂が、輝きを増す。
『サクラ。カンシャスル。ボクラはモウ、キエル』
別れの言葉。
『アナタのオカゲデ、シアワセダッタ……』
『モウ、ダイジョウブ』
『コノヒトタチ……ツレテイク』
ミラージュリヴァイアスの光が、四つの魂を包み込む。
『イド。アンソクノチ……』
五つの魂が、一つになる。
それは美しい光となって——
さくらの体から、天へと昇っていった。
光の柱が暗い空を照らす。
安らぎの場へ帰っていくのだ。
***
さくらが倒れた。
地面に伏し、力が抜ける。
「さくらーー!」
大輔が、必死に駆け寄った。
何が起きたのか。
さくらに何かあったのか。
心配でたまらない。
るなも、さくらに駆け寄る。
鼻先で主人の頬を擦り、心配そうに鳴いた。
遥斗も来ていた。
ドラゴンフォームを解除し、普段の姿に戻って。
静かに、さくらを見下ろす。
その眼は元の優しい遥斗のものだった。
さくらが、ゆっくりと目を開けた。
大輔の顔が、見える。
るなの顔が、見える。
遥斗の顔が、見える。
皆、無事だ。
よかった。
「……終わったよ」
さくらが、微笑んだ。
涙を流しながら。
それは、悲しみの涙ではなく。
後悔の涙でもなく。
「みんな……帰ったよ。ミラも……」
声が、震える。
「ミラも救われたんだ……」
大輔が、さくらを抱きしめた。
何も言わずに。
ただ、そっと。
温もりを分け合うように、るなも体を寄せる。
「さくらさん……お疲れ様」
遥斗は静かに立っていた。
どこまでが計算だったのだろうか?
神人の能力を考えれば、力で解決しようとすれば被害は拡大していただろう。
ミラージュリヴァイアスの魂が救われる事もなかった。
この結末は偶然か、必然か。
それは遥斗しか知らなかった。




