461話 真なる呪い
ヴァイスの瞳が、紅く染まっていた。
怒り。
それは、純粋な激しい怒りだった。
「おばさん、もうやめなよ~」
「おばさん……おばさんって五月蠅いのよ!」
グランディスの挑発に絶叫が轟く。
六色の光が、ヴァイスの周囲で渦を巻く。
「その無礼……万死に値するわ……!」
声が、震えている。
もちろん恐怖ではない。
憤怒だ。
グランディスは、ヴァイスから距離を取りながら首を傾げた。
「え?だって、うちの母さんより年上っぽいけど?」
「黙りなさい!!エルフと一緒にするんじゃない!」
ヴァイスが、六本の腕を一斉に振るう。
六属性の波動が、同時に放たれた。
火、水、風、土、雷、闇——
空間を埋め尽くす飽和攻撃。
普通なら絶対に回避不可能。
「ほいほいほいほいっとー」
グランディスの体が、ぬるりと動いた。
まるで液体のように。
体を捻り、伸身宙返りで攻撃を避ける。
着地と同時に横転。
バク転から後方宙返り。
風が髪を掠める。
その動きは、まるで舞踏のようだった。
(なんて動きしやがるの……このクソエルフ!)
ヴァイスの目が、グランディスを追う。
が、捉えられない。
グランディスの体は、まるで鞭のようにしなる。
骨がないかのように柔らかく、関節が外れているかのように自在に。
エルフ族は、特有の身軽さを持つ。
その中でも、グランディスは頭一つ抜けていた。
ナチュラスで最も軽やかな体術を持つ者——それがグランディス。
「ちょこまかとウザイ!」
ヴァイスが苛立ちを隠せない。
攻撃は、全て空を切る。
間合いに入らない。
いや——入れないのだ。
グランディスは、絶妙な距離を保ち続けていた。
ヴァイスの攻撃範囲の、ほんの少し外側。
危険と安全の境界線を綱渡りのように歩く。
「あははー、当たんないっちー」
その態度がヴァイスの神経を、逆撫でした。
「ふざけるんじゃないわよ!!」
六本の腕が、再び魔力波動を放つ。
しかし、グランディスは側転から宙返りからのバク宙。
よく言えば、奇抜。
悪く言えば、人を食ったような、おちょくるような動き。
それが、ヴァイスの怒りを加速させる。
その時——
空に、光が走った。
炎と雷を纏った龍。
シエルの【ボルテクス・ファイアドラゴン】が、レゾに直撃した瞬間だった。
「ぎゃあああああああ!!!」
レゾの絶叫が、戦場に響く。
凄まじい衝撃波が、大地を揺らした。
土煙が、天高く舞い上がる。
煙の中から、焦げた人影が転がり出た。
レゾだ。
全身が黒く焦げ、呼吸が浅い。
水晶の防御魔法を全て使い、あらゆる耐性をフル動員してなお、これだ。
死んではいない。
しかし、重傷。
もう、戦えそうにない。
「う……あ……あああ……」
レゾの呻き声が、虚しく響く。
「やれやれ。シエルちゃんに歯向かうからだよー。当然の報いっち」
グランディスが、肩をすくめた。
その仕草。
あまりにも軽い態度。
「よくも……!レゾをぉぉぉぉ!!」
それがヴァイスの怒りを、限界まで引き上げた。
六本の腕が震える。
冷静さが、完全に失われていた。
「あんたら……全員……切り刻んでやるから覚悟しな!」
殺意が、形を成す。
魔力が暴走し、周囲の空気が歪む。
「おいおい、マジになるなって、な?」
グランディスが、ヴァイスの形相に、少し引いた。
(ガチでキレさせちまったっち……)
冷静な相手なら、動きで翻弄できる。
しかし、怒りで我を忘れた相手は厄介だ。
何をしてくるか予測できない。
ヴァイスが、地を蹴った。
まさに猪突猛進。
六本の腕を広げ、グランディスに飛び込む。
グランディスは、後方に跳んだ。
伸身宙返り、空中で一回転。
回転の最中、腕に嵌めていたディスチャージャーから、青白い電撃が放たれた。
バチバチバチッと、雷がヴァイスに向かって奔る。
直撃したかに見えた。
しかしヴァイスの右手のナイフが、雷を受け止めている。
紫色の光がナイフを包み、電撃を吸収していた。
「うそんっ!」
グランディスの目が、見開かれる。
「私のナイフは、攻撃だけじゃないのよー。残念ね、坊や」
ヴァイスが、冷たく笑う。
六本の腕。
それぞれが、六属性のナイフを握っている。
攻撃も防御も、全てを一人でこなせる。
ヴァイスの真価。
「困ったぜぃ……」
グランディスが、額に手を当てた。
グランディス自身の攻撃手段は、ディスチャージャーのみ。
力が強いわけでもない。
特別な技を持っているわけでもない。
魔法を使えるわけでもない。
(残るは……デスペアしかねーっち……)
視線が、腰に下げた黒いチャクラムに向く。
理外の刃「デスペア」
ナチュラスの秘宝。
エルフの国が誇る、最恐の武器。
しかし——
(最近、役に立ったことねーんだよなぁ……)
グランディスの顔が、曇る。
(正直、自信失うわー)
「ま……しょうがねー」
グランディスが、ため息と共に腰からデスペアを引き抜いた。
不吉な、禍々しい光。
「あら?やっとその気になったのかしら?」
ヴァイスの唇が、歪んだ。
笑みが、深まる。
「いいわ。男なら潔く戦って散りなさい!」
六本の腕を、全て広げる。
抱擁するような構え。
そして——飛んだ。
(下手に攻撃するよりさせた方がいい)
ヴァイスの思考は冷徹だった。
(無防備になったところを……ふふふっ)
防御のエンチャント。
回復のエンチャント。
全てが、完璧に施されている。
(どんな攻撃を受けても——大丈夫ー)
絶対の自信があった。
「さぁ逝きなさい!!」
ヴァイスの両腕がグランディスを抱きしめ、死の国へと旅立たせようとする。
グランディスは、デスペアを構えた。
腕が、しなる。
全身のバネを使い——
「行けぇぇぇ!!」
チャクラムが、放たれた。
黒い軌跡を描きヴァイスに向かって一直線。
回転する刃が、空気を切り裂く。
当然ヴァイスは、避けなかった。
避ける必要がない。
ズブリ。
受け止める。
デスペアが、ヴァイスの胸に数ミリ突き刺さった。
やはり浅い。
致命傷には、程遠い。
「あははははは!!」
ヴァイスが、高笑いする。
「これが……何?全然効かないんだけど!笑わせないで!」
嘲笑。
侮蔑。
その表情には、勝利への確信。
「戻れ、デスペア!」
グランディスが、叫ぶ。
黒いチャクラムが、ヴァイスの胸から抜け、グランディスの元へ戻っていく。
パシッ。
グランディスが、片手でデスペアを受け取った。
それはオカートの完成。
ヴァイスの胸の傷は瞬時に塞がっていく。
回復のエンチャントが、完璧に機能している。
あまりの貧弱さに笑いが止まらない。
(これが……攻撃?冗談でしょ?)
期待外れもいい所だ。
あまりにも。
「さぁ——死になさい!!」
ヴァイスが迫る。
六本の腕が、グランディスを捉えようと伸びる。
しかし、ひらりと、グランディスが軽やかに避けた。
ヴァイスの攻撃を、紙一重で躱す。
「……」
無言。
ただ、冷たい視線。
「なっ……何なのよ!大した攻撃でもなかったくせに!」
怒りが、再び沸騰する。
「なぜ……そんな目で見るの……!」
許せない。
絶対に、許せない。
「ふざけないでぇぇぇ!!!」
その時、ヴァイスの胸から、黒い霧が立ち上った。
「え……?」
傷口から、滲み出る闇。
それは、意思を持っているかのように蠢き、形を成していく。
骸骨の顔。
巨大な鎌。
死神——
その姿が完全に現れた。
「な……なによ……これ……」
ヴァイスの本能が叫んでいた。
逃げろ、と。
死神が口が大きく開く。
「カカカカカカカカ!!!」
耳を劈くような、不気味な笑い声。
死神はヴァイスの中に入っていった。
口から、鼻から、耳から。
全ての穴から、闇が侵入する。
「いやぁぁぁぁ!!」
ヴァイスの絶叫。
しかし——
何も起こらない。
痛みもない。
苦しみもない。
ただ、死神が消えただけ。
ヴァイスが、恐る恐る自分の体を確認する。
異常なし。
どこも、おかしくない。
「……ふふっ残念ね。何も起こらない。こけおどしだったみたいね」
ヴァイスの唇が、再び歪んだ。
高笑いが、響く。
「あははははは!!怖がって損したわ!!」
「こけおどしじゃねーよ」
グランディスの声が、低く響いた。
その瞳は、あまりに冷徹だった。
「あんたはもう……負けてんだよ」
「は?何を言って——」
ヴァイスが、グランディスに向かって走り出そうとした瞬間——
足は動かなかった。
「え……?」
ヴァイスの目が、見開かれる。
足が、地面に張り付いたように動かない。
「あんたは呪われたんだよ……真なる呪いに侵されたんだ」
グランディスが、静かに告げる。
「二度と……歩くことは叶わねーよ」
「そんな……ばかな事が……!」
ヴァイスが、必死に足を動かそうとするが、びくともしない。
石になったかのように固まっている。
「エンチャントヒール!エンチャントアンチカース!エンチャントディスペル!!」
次々と、魔法を唱える。
しかし何の効果もない。
何も、変わらない。
「無駄だ」
グランディスが、背を向ける。
「オカートは……誰にも解けねーんだ」
歩き出す。
ヴァイスから、離れていく。
「ねぇ……待って……待ってよ……!」
ヴァイスが、叫ぶ。
「お願い……助けて……!」
しかし——
グランディスは、振り返らなかった。
「俺の勝ちだ……」
その声だけを残し、戦場へと戻っていった。
「いや……いやぁぁぁぁ!!!」
ヴァイスの絶叫が、虚しく響く。
本当に、一歩も動けなくなっていた。
六本の腕が、空を掻く。
しかし、誰も助けには来ない。
触れた者の運命を、永遠に変える——理外の刃の真の力。




