46話 スタンピード(2)
王都ルミナスの城門前。100人の兵士たちが、震える手で武器を握りしめていた。彼らの目の前に広がる光景は、まさに悪夢そのものだった。
「あ、あれは...」
若い兵士の声が震える。彼の指さす先に、想像を絶する魔物の軍勢が迫っていた。
その中心に、30メートルはあろうかという巨人がいた。ヴォイドイーター。その姿は、現実離れしていた。巨大な体躯でありながら、その動きは驚くほど俊敏だった。
「まさか...あんなものが、走れるのか?」
ベテラン兵士の呟きに、誰も答える者はいない。皆、絶望的な光景に言葉を失っていた。
さらにヴォイドイーターの周りを、まるで死神のような姿の魔物が舞っていた。シャドウタロン。その数、5体。
「冗談だろ...」
誰かが呻くように言う。シャドウタロン1体でさえ、S級冒険者パーティを必要とする魔物だというのに、その5倍の数が押し寄せてくる。
(逃げたい...)
心の中で叫ぶ兵士たち。しかし、彼らは決死の覚悟で、その場に踏みとどまった。王都を守る最後の砦。その使命が、彼らの足を縛り付けている。
「覚悟を決めろ!」
隊長の声が響く。しかし、その声さえも空しく響くだけだった。
突如として、空気が変わる。
「な...何だ?」
緑色の霧が、城門前に立ち込め始めた。シャドウクローラーの毒魔法だ。
「くっ...呼吸が...」
兵士たちが苦しみ始める。その毒は、呼吸だけでなく、皮膚からも吸収される猛毒だった。
「ぐっ...」
意識が朦朧とし始める。口、目、鼻、耳から、赤い血が滲み出る。
「ポーション!毒消しを!」
誰かが叫ぶ。しかし、その声も虚しく響くだけだった。
ポーションを使おうとする兵士たちを、シェイドハウンドの群れが襲う。鋭い牙が、防具を易々と引き裂いていく。
「うわああああ!」
悲鳴が響き渡る。レベルこそ高くないが、感知能力、素早さ、攻撃力に特化したシェイドハウンド。弱った獲物を屠るには、これ以上ない魔物だった。
そして、ついに。
ドン!
轟音と共に、巨大な影が城門に覆いかぶさる。ヴォイドイーターだ。
「く、来るな!」
兵士たちの叫びも空しく、巨大な拳が城門を殴りつける。
ドガアアアァァァァン!
まるで紙細工のように、城門が吹き飛ぶ。
「ば、馬鹿な...」
絶望の声が漏れる。王都ルミナスは、あっけなく魔物の侵入を許してしまった。
幸いにも、住民の避難は進んでおり、街中の人影は少ない。しかし、それでも残って戦う者たちがいた。
「迎撃だ!」
残った兵士たち、冒険者たち、そして戦闘可能な貴族たち。様々な者たちが、最後の抵抗を試みる。
シャドウストーカーが前面に押し出てくる。その姿は、まるで不死者の大群そのものだった。
「くらえ!」
剣や槍、斧が次々と振り下ろされる。直撃。
「やった!」
歓声が上がる。それぞれの武器がシャドウストーカーの体を貫いたのだ。
「やったぞ!これで...」
しかし、その安堵も束の間。シャドウストーカーには、異常なまでに高いHPがあった。むしろ、攻撃を受けてからが本番だった。
「な...何だ!?」
シャドウストーカーが、攻撃した者を捕まえる。そして、その怪力で攻撃したものを押しつぶし始めた。
「ぐあああああ!」
骨の折れる音。肉が引き裂かれる音。悲鳴が街中に響き渡る。
「建物の中に逃げろ!」
誰かが叫ぶ。しかし、その策も通用しなかった。
シャドウクローラーの水魔法が建物を襲う。石造りの建物が、まるでおもちゃのように崩れ落ちていく。
「ひいいいい!」
建物と共に、中にいた人々も押しつぶされていく。
そして、とどめの一撃。
ヴォイドイーターが口を開く。そこから、漆黒の光線が放たれた。虚無の吐息。
光に触れたものは全て、跡形もなく消え去っていく。建物も、人も、全てが。
「ば、馬鹿な...」
絶望の声が漏れる。これはもはや戦いではない。一方的な蹂躙だった。
しかし、その時だった。
「前衛、盾を上げろ!後衛、準備!」
力強い声が響き渡る。冒険者ギルドのベテラン、グレイ・ウルフの号令だ。
「おっと、久しぶりの本気モードか、爺さん」
その隣で、若い女性の声が聞こえる。金の長髪が美しい女剣士、レイピア・ダンサーことリィズ・ロキュースだ。
彼女の剣が、まるで舞うように動く。シャドウクローラーの攻撃を次々とはじいていく。
「へっ、まだまだ若造には負けんさ」
グレイ・ウルフが笑う。その盾が、巨大な壁となってシャドウストーカーの攻撃を受け止める。
冒険者たちは普段からパーティを組んでいる。その経験が、今、存分に活かされていた。
「魔法陣、展開!」
後方では、魔法使いたちが詠唱を始める。青い光を放つ魔法陣が、地面に描かれていく。
「弓兵、構えろ!」
アーチャーたちが弓を引き絞る。その矢先には、青白い光が宿っている。
「今だ!一斉射!」
無数の矢が放たれる。それはまるで、青い流星群のようだった。
シャドウストーカーの群れに、矢が突き刺さる。
「グオォォォ!」
魔物たちの悲鳴が上がる。
「よし、効いてる!」リィズが叫ぶ。
しかし、その喜びも束の間。
「くそっ、あいつらが来るぞ!」
空からシャドウタロンが襲来する。その赤い目が、不気味な光を放つ。
「みんな、目を合わせるな!」
グレイ・ウルフの警告は遅かった。麻痺の視線を受けた冒険者たちが、その場で硬直する。
「くっ...体が...」
まるで戦場を縫うように素早く動き回り、動けなくなった彼らをシェイドハウンドが襲う。
「ぐあっ!」
「た、助けて...」
悲鳴が響き渡る。
「くそっ、陣形が...!」リィズが歯を食いしばる。
冒険者たちの陣形が、みるみるうちに崩れていく。
「こんな...あいつら、連携してるのか?」
グレイ・ウルフが驚愕の声を上げる。魔物たちの動きは、まるで訓練された軍隊のようだった。
「数では俺たちの方が多いはずなのに...」
グレイが呟く。確かに、人数では圧倒的に冒険者たちの方が多い。しかし、戦力の逐次投入と指揮官の不在が、彼らを不利な戦いに追い込んでいた。
「このままじゃ...」
絶望的な空気が、戦場に漂い始める。
その時だった。
「炎よ、風と共に舞え。混沌の渦となりて、我が敵を焼き尽くせ!」
低く、しかし力強い詠唱が響く。
「ファイアストームテンペスト!」
突如として、巨大な炎の渦が巻き起こる。それは風と融合し、まるで生き物のように暴れ回る。
「なっ...!」
冒険者たちが驚愕の声を上げる。その炎の渦は、シャドウストーカーの一団を呑み込み、一瞬にして灰燼に帰した。
「あれは...」リィズが目を見開く。
「ああ、間違いない。あの魔法は...」グレイ・ウルフが頷く。
炎を放ったその場所に、一人の老人が立っていた。長い白髪を風になびかせ、その目は知性の光を宿している。
「マルガ・フレイム...!」
伝説の魔術師。その名を聞いただけで、そこに居たもの者たちが皆安堵するのが分かった。
しかし、それだけではなかった。
「烈風剣・空破!」
赤い閃光が走る。一瞬で、数体のシェイドハウンドが両断された。
その剣を振るっていたのは、一人のソードマスター。鋭い翡翠色の瞳が光る。
「アリア・ブレイドハート...」
冒険者たちの間で、畏敬の念を込めた囁きが広がる。
「シルバーファング見参!」
アリアの声が戦場に響き渡った。




