451話 ここが我らの死に場所だ!
世界の見え方が変わった。
遥斗の視界に映るのは糸だ。
無数の黒い糸。
それは空間を這うように伸び、人と人、人と物を繋いでいる。
まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされたそれは、今まで決して見えなかったもう一つの世界。
ゲイブ。
その体から、一本の細い糸が伸びている。
ケヴィン。
同じく。
行き先はルドルフ。
(これが……マリオネイターの視界)
遥斗が視線を巡らせる。
レゾの体からも糸が伸びているが、その先はルドルフではない。
十二個の水晶へ。
それぞれに、レゾの魂を示す糸が繋がっている。
魔力共鳴士とアイテムの関係が可視化されているようだ。
ガルモから伸びる糸の先は、ルドルフの全身を覆うムカデのような鎧へ。
そして、ルドルフ自身からは死霊の杖へと、太い糸が脈打つように繋がっている。
(魂と魔力の繋がりが、見えるのか)
職業と使用者。
マジックアイテムと使用者。
テイマーとモンスター。
全ての「絆」が、この目には糸として映る。
これこそがマリオネイターの真髄——魂を操る者だけに許された特権的な視界。
しかし。
遥斗の表情が曇った。
操られた兵士たち。
彼らの体からは黒い糸が伸びていない。
どこにも繋がっていないのだ。
(……と、いうことは)
遥斗の思考が加速する。
つまり、あれは能動的な操作ではない。
一度命令を刻み込んだら、後は自動で動き続けるプログラム。
命が尽きるまで、誰にも止められない自律型の人形。
(だから……元に戻せないのか)
糸が繋がっていない人形は、制御の外だ。
止められない。
それを理解した瞬間、遥斗の唇が僅かに歪んだ。
それは笑みとも、あるいは別の何かとも取れる表情。
感情のない顔に浮かんだ、わずかな変化。
(なら……答えはシンプル。後は……)
遥斗の漆黒の瞳が、四人の異世界人を捉える。
大輔は少し離れた場所で、エレナに小声で尋ねていた。
緊迫した戦場にあって、しかし確認せずにはいられない疑問。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
「何?」
「遥斗は、さっきも同じことをしてたよな」
「竜騎士の力を得た時も……職業をコピーしてた。もしかして……」
「遥斗は、全ての職業を取り込む力があるんじゃないのか?」
その問いに——
「ええ」
エレナは、あっさりと答えた。
「遥斗くんは……フェイトイーターで職業を写し、それをポーションに変えて飲むことで……職業の力を自分のものにできるわ」
「マジかよ……」
大輔が呆然と呟く。
目の前で起きている現実が、あまりにも規格外すぎて言葉が出ない。
「完全にチートだろ……それって……」
チート。
その言葉の正確な意味を、エレナは知らない。
しかし文脈から、何か「ずるい」とか「反則」といった意味合いだと理解する。
「相手を弱体化させるのも見たぜ……能力を上げるところもな……アイテム士って実はとんでもねーのか?」
「違う……」
エレナの声が、静かに響く。
「アイテム士の能力を、ここまで磨き上げたのは遥斗くん」
その声には誇りがあった。
明確な、揺るぎない誇り。
「遥斗くん以外に……こんなことができる人はいない。アイテム士が凄いんじゃなくて、凄いのは遥斗くんよ。」
断言。
その言葉に、何も返せなくなる。
大輔は思う。
自分は涼介に率いられ、勇者パーティの一員として誰よりも成長したと信じていた。
モンスターとの戦い。
絶望的な状況。
それでも生き延びた。
その経験が、自分を強くしたと。
しかし——
遥斗の先ほどの言葉が、頭から離れない。
『いい大人なんだから——分別つけようよ?』
あの目。
感情の消えた、深淵のような目。
あの声。
冷たく、それでいて圧倒的な何かを秘めた声。
心も、能力も。
とても、及ばない。
勇者である涼介と比べても、遥斗は遜色ない。
いや、たった一人で、世界中を敵に回し、それでもここまで来たことを考えれば。
上、だろう。
明らかに。
(……俺たちが、間違っていたんだ)
大輔の拳が、ぎゅっと握られる。
爪が掌に食い込む。
(遥斗に協力する……それが、今の俺たちの役目だ!)
それは、今この瞬間に生まれた、新しい決意。
一方で——
ルドルフたち四人は、ある共通の感覚に支配されていた。
危険。
彼らは過酷な世界で生き抜いてきた。
理不尽な暴力、容赦ない裏切り、絶望的な状況——その全てを、独自の嗅覚で回避してきた。
生存本能が研ぎ澄まされた者だけが持つ、第六感。
その感覚が——
今、警報を鳴らしている。
(こいつは……ヤバい)
ルドルフの背筋を、冷たい汗が伝う。
確か、この少年はアイテム士で、罠にはまって世界の裏切り者に仕立て上げられた、憐れな高校生だったはず。
情報ではそうなっていた。
同情すべき、哀れな犠牲者。
それなのに。
目の前にいるのは一体何だ?
このままでは全てが覆る。
その予感が、確信に変わっていく。
形のない恐怖が、じわじわと心を侵食する。
ヴァイスも、感じていた。
普段は無邪気な笑顔を浮かべる彼女の顔が、今は緊張で強張っている。
ガルモも、獣のような低い唸り声を上げる。
レゾは破れた鼓膜から血を流しながらも、気丈に睨みつけていた。
四人が、同時に理解する。
(……そうか。ああ、そうなのか。)
(ここが、俺たちの……)
どうせ死に場所を探していたのだ。
世界に絶望し、全てを壊すために生きてきた。
もう後戻りはできない。
ならば、この少年を道連れにするのも悪くないだろう。
いや、それこそが相応しいかもしれない。
「……なあ」
レゾが、口の端を吊り上げながら言う。
「最期の花火を……打ち上げようぜ」
その言葉に三人が頷いた。
同じ気持ち。
ならば、全力で散ろう。
この世界に、レクイエムを奏でるために。
「赤水晶……」
一つの水晶が、鈍く光る。
「青水晶……黄水晶……緑水晶……」
次々と、水晶が輝き始める。
まるで呼応するように、十二個全てが光を放ち始めた。
全ての色が、空間を染め上げる。
「全てを……解放する!!」
レゾが、絶叫した。
その瞬間、四人の体が、光に包まれる。
それは美しく、そして禍々しい。
魔力が沸騰し、空気が歪む。
【完全魔力共鳴】
リミッター解除。
四人の潜在能力が全て引き出される。
生命力を糧に、力が爆発的に増幅された。
命が尽きるまで、もう誰も止められない、いや、止める気もない。
「……ッ!」
エレナが即座に反応した。
数多の死線を搔い潜った直感が、最大級の危険を察知する。
「みんな!遥斗くんを守って!」
その叫びに、大輔とさくらが動く。
前衛に大輔。
左翼にさくら。
右翼にエレナ。
中央に遥斗。
遥斗を中心とした戦闘フォーメーションだ。
「ここが我らの死に場所だ!!!」
レゾが突撃してきた。
全てのバフを自分にかけて。
筋力上昇。
魔力上昇。
速度上昇。
感覚上昇。
その他、全ての強化が最大値。
人間の限界を超えた力。
「ドラゴンズ・イージス!!」
大輔が叫ぶ。
竜の盾が出現する。
巨大なドラゴンを模したオーラの障壁。
それは魔力で編まれた絶対防御のはずだった。
ドゴォォォン!!
凄まじい衝撃が、大輔の全身を襲う。
「ぐおっ……!」
足が、後ろに滑る。
とてもではないが、威力を殺しきれない。
(嘘だろ……ただの体当たりなのに……!)
大輔の腕が痺れ、骨が軋む音がする。
せめぎ合いになった。
レゾは構わず押し込んでくる。
その顔は狂気に歪んでいた。
「ゲハハハ!今だ!」
レゾが叫びに呼応し、十二の水晶が周囲を取り囲む。
大輔の力を奪い、一気に勝負を決める気なのだ。
しかし——
カラン。
水晶が、地面に転がった。
「な……!」
自分の意思に反し、勝手に水晶が地面に落ちた。
なぜ?
答えは簡単。
遥斗の手が前に伸び、見えない魔力の糸が水晶に絡みついていた。
「水晶と君……繋がっていたね。操らせてもらったよ」
遥斗の声が、あまりにも無常に響く。
カラン、カラン、カラン。
全ての水晶が、地面に転がった。
レゾの武器は機能を奪われていた。
「く、くそったれが!」
レゾが歯噛みする。
「ヴァイス!あいつを殺せ!!」
その言葉にヴァイスが動いた。
赤髪が風になびく。
その目はどこか狂気の光を宿している。
「いくよぉ……アイテム士くぅん!」
次はヴァイスが遥斗へ突撃する。
その動きを察知した遥斗は一瞬で距離を取る。
相手が距離を潰したいのなら、その逆を。
戦闘のセオリー。
「遅いよぉ!」
加速のポーションを使用しているにも関わらず、ヴァイスが易々と追いついてくる。
(速い……!)
遥斗の目が細まる。
この速度に容易について来るのは、明らかに変だ。
どんな仕掛けか見極める必要がある。
ヴァイスの外套が翻る。
その下から銀色の光。
ナイフだ。
遥斗の喉元を狙う。
体を捻ってかわす。
しかし今度は左手。
別のナイフが脇腹を狙う。
再び回避。
さらに右、また左。
延々と攻撃が続く、まるで嵐のように。
遥斗の目がヴァイスの体を捉えた瞬間、理解した。
腕が六本あったのだ。
外套の下に隠されていた四本の腕。
それらはマジックアイテムなのか、義手のように装着されている。
「あらぁ?気づいちゃった?」
ヴァイスが無邪気な子供のように嬉しそうに笑う。
「私はね……腕がいっぱいあるんだよぉ!」
六本の腕。
それぞれがナイフを持っている。
「エンチャント・パワー!」
「エンチャント・スピード!」
「エンチャント・タフネス!」
「エンチャント・マジック!」
「エンチャント・センス!」
「エンチャント・テクニック!」
六本のナイフ全てに、異なる能力のエンチャント。
そして、それらの能力が全てヴァイス自身に付与される。
エンチャンターとは装備武器が多ければ多いほど、ステータスを上昇させることが可能なのだ。
六本の腕、全てが能力向上のアイテムと化す。
「どう?すごいでしょー?」
「それに、ほら見てぇ。この綺麗なリング……」
本人の腕と義手にそれぞれリングが嵌っていた。
「これ自体も装備効果があるんだけどー……こうやって能力付与することも出来るんだ―アハハハ!属性エンチャント!」
その体から放たれる魔力は——もはや鬼神。
炎、氷、雷、風、土、闇。全ての属性を纏った化け物。
「さあ……遊ぼうよ?坊やぁ!」
ヴァイスが六本の腕を広げた。




