446話 地獄の演出家
バルーニャス・キングが、配下のバルーニャスを集結させていた。
フワフワと宙を漂う無数の丸い影は、この阿鼻叫喚の戦場においては場違いなほど牧歌的な存在だった。
ふわりと揺れる度に、僅かな風が起こる。
それは血と死の匂いを運び、エルウィラインの鼻腔を刺激した。
吐き気を堪える。
今はそれどころではない。
「ギャアアアアアア!」
人形と化したエルフたちが、獣の如き咆哮を上げてバルーニャスへ殺到する。
剣を振り上げ、槍を構え、魔法陣を展開し。
その全てが、理性なき殺意に満ちている。
金属の悲鳴、魔力の爆発、骨の砕ける音。
それらが混ざり合い、悪夢の不協和音を奏でる。
しかしバルーニャスたちは、紙一重で回避していた。
フワリ、フワリ。
まるで風に乗るように。あの丸々とした体型からは想像もできない、しなやかな動き。
空中で回転し、急降下し、横滑りする。
愛らしい外見に似合わぬ、死線を潜り抜ける見事な技術。
「シールドウォール!」
アレクスの切迫した声が響く。
彼らを取り囲むように光の壁が立ち上がる。
薄い黄色の障壁が、彼らを守るように展開されていた。
ドドドドッ!
直後、無数のオーラショットが叩きつけられる。
光の粒子が壁に激突するたび、耳をつんざく轟音。
空気が震える。
人形たちは見境なく矢を放ち続けていた。
味方も敵も関係ない、ただ破壊のみを求めて。
「ぐっ……!」
アレクスの額に汗が浮かぶ。
シールドウォールが軋む。
ヒビが走り、光が明滅する。
その隙を突いて、剣を構えた数人が接近戦に持ちこんできた。
「来るぞ!ケヴィン!」
ゲイブが叫ぶ。
「こっちは任せろ!」
ケヴィンが応える。
二人が、壁の隙間から迫る人形たちの迎撃に飛び出した。
ゲイブの前蹴りが唸りを上げ、一人のエルフの腕を吹き飛ばした。
鮮血が噴き出し、切断面から覗く白い骨が痛ましい。
それでもエルフは怯まない。
腕を失ったことなど、まるで意に介さないかのように。
血を撒き散らしながら、残った腕で剣を握り直す。
そして再び襲いかかってくる。
「ちっアンデッドかよ!化け物め……!」
ゲイブが歯噛みする。
ケヴィンの槍が、別のエルフの太腿を貫いた。
槍先が肉を裂き、骨を砕く手応え。
これで動けない。
はず。
普通ならば。
しかし当然、人形は止まらない。
槍に貫かれたまま、前進し続ける。
自らの体重で傷を広げようとも無関係。
「ダブル・スラッシュ!」
一人のエルフが、凄まじい魔力を纏ってスキルを発動した。
その代償としてエルフの全身から、ブシュッと血が噴き出す。
皮膚が裂け、筋肉が断裂し、血管が破裂する。
身体が、スキルの負荷に耐えきれていない。
明らかに、彼の能力を超えた力。
それでもスキルを発動した。
緑色の斬撃が、ゲイブに襲いかかる。
「奥義・武破穿掌!」
ゲイブの掌から繰り出す螺旋の一撃で受け止めるが、衝突の衝撃で五メートルも吹き飛ばされた。
地面を転がり、壁に激突する。
肺から空気が押し出され、一瞬呼吸が止まった。
まずい!追撃に対しての防御が間に合わない。
だが、追撃は来なかった。
エルフは口から血を吐き、血の海に沈むように倒れて動かなくなっていたからだ。
魔力の代わりに、命を消費した代償。
最期まで、理性の光が戻ることはなかった。
「ああ……ああ……」
サラの声が震えていた。
もう彼女には恐怖しか見えていない。
足が竦み、喉が渇き、心臓が激しく脈打つ。
目の前の光景は、現実のものとは思えない。
何の目的もなく繰り返される殺戮。
殺し、殺され、そして絶命する。
辺りは血の海と化し、死体が折り重なって山を成している。
切断された手足が地面に転がり、内臓が露出した遺体が無造作に放置されている。
鉄と血の匂いが濃密に漂い、生温かい空気が肌にまとわりつく。
「げえっ!」
「サラ!しっかりしろ!」
口を押さえながら蹲るサラにケヴィンが声をかける。
が、サラの嘔吐は止まらなかった。
アイアンシールドは、睡眠阻害のアイテムを装備していた。
だから、この地獄から逃れることができた。
そうでなければ、今頃は理性なき人形の一体として、殺し合いをしていただろう。
人形になっていた方が幸運だったかもしれない。
この地獄に正気でいるよりは。
バルーニャスたちが人形の意識を逸らしているが、それもいつまで持つのか。
モンスターが全滅すれば、次の標的は、きっと自分たちだ。
「くそっ!こんなはずでは!」
エルウィラインが吐き捨てる。
当初聞いていた計画では、眠っていた人族はエリアナ姫が回復させ、エルフは敵の戦力に組み込まれる。
ただし全員が眠らされた場合、そのまま放置される可能性もある。
戦う相手がいなければ、人形も動けない。
それが——遥斗の読みだった。
だが現実は違った。
こんな無差別の殺し合いなど誰も予想していなかった。
これでは味方も敵も関係ない。
全てが等しく死んでいくだけだ。
一体、何のために。
「ひどい……どうして……こんなことが出来るの……」
サラの呟きが、血の匂いに呑まれて消える。
その時だった。
四つの人影が、ゆっくりと歩む。
死体を踏み越え、血溜まりを避けることもせず、悠然と。
まるで散歩でもするかのように。
先頭に立つ男は醜悪だった。
全身に黒光りするムカデのようなモノが這い回り、その無数の脚が絶え間なく蠢いている。
時折、ムカデの針が男の皮膚に突き刺さり、黒い液体を注入していた。
その手に握られているのは、人骨で作られた杖。
髑髏が幾重にも組み上げられ、不気味に笑っているようだった。
杖から漏れる魔力からは、無数の怨念が渦巻いているのを感じ取らずにはいられなかった。
「あら!見て見て!可愛い猫ちゃんがいるわぁ!欲しい欲しい!」
ヴァイスが、甲高い声で叫んだ。
赤い髪を揺らし、両手を叩いて喜ぶ。
その視線の先には、バルーニャス。
「ゲハハハハ!どこが可愛いんだよ!ありゃ不細工の極みだろうが!」
レゾが、腹を抱えて笑う。
浮かぶ水晶に不気味な光を宿す。
「あれは……バルーニャス・キング……珍しい……ころ……したい……」
ガルモが、淡々と呟く。
感情の起伏がほとんど見られない声、しかも聞き取りにくい。
容姿もどこかゴブリンを思わせ、人間離れしている。
地獄を作り出した四人の異世界人。
彼らは、この惨状を見ても何も感じていないようだった。
いや、むしろ楽しんでいるようにさえ見える。
ドサリ、という重い音。
一人のエルフが、四人の目の前に倒れ込んだ。
ぴくりとも動かない。
魔力切れを起こし、肉体も限界を超えていた。
口から血を吐き、目は虚ろに開いたまま。
「おやおや、お疲れのようだな?」
レゾが、まるで子供に話しかけるような口調で言った。
しゃがみ込み、エルフの頬を軽く叩く。
「これでは遊べないじゃないか。どーれ、元気を入れてやろう」
水晶をエルフの頭に翳す。
不気味な波動が流れ込んでいく。
異常なまでに隆起するエルフの血管。
「あ……あ……ああ……ああああああ!」
エルフが痙攣を始めた。
全身が小刻みに震え、目が見開かれる。
そして——ビクンと、素早い動きで立ち上がった。
まるで逆再生モーションだ。
「じゃあ、私も!」
ヴァイスが、エルフの持っていた剣に、魔力を注ぎ込む。
「エンチャント・フォース!」
真紅に輝きだすエルフの剣。
「ほら!元気いっぱいになったでしょ!走って走って!」
バタバタバタ。
エルフが異様な動きで走り出した。
手足が不自然な角度に曲がり、体が左右に揺れる。
まるで糸で吊られた操り人形。
いや、操り人形そのものだった。
しかし、走り出して十数メートル。
「あ……」
エルフの身体が、不自然に膨らみ始めた。
風船のように。
皮膚が限界まで引き伸ばされ——弾けた。
血と肉片が、半径十メートルにわたり飛び散る。
赤い雨が降り注ぎ、内臓の破片が地面に落ちた。
エルフがいた場所には、もう何も残っていない。
「ぎゃー!ちょっと!服が汚れちゃったじゃない!」
ヴァイスが頬を膨らませる。
「同じ風船でも、これは可愛くないわね〜」
「力……注ぎすぎ……だ」
ガルモが、相変わらず淡々としゃべる。
「あら、そうだった?」
ヴァイスが舌を出して笑う。
まるで些細な失敗をしたかのように。
ケヴィンは全てを理解した。
こいつらだ。こいつらが、この地獄を作り出した。
人を人形に変え、殺し合いをさせている。
あまつさえ、それを楽しんでいる。
「ゲハハハ!おや、元気そうなおもちゃがまだいたぞ!」
レゾが、アイアンシールドを指さした。
その目が、爛々と輝く。
『最悪』に見つかってしまった。
「戦闘態勢!」
エルウィラインが叫ぶ。
それに反応し、ルドルフが髑髏の杖を高く掲げた。
杖から黒い魔力が溢れ出し、周囲に広がっていく。
「せっかく出会えたんだ。楽しくいこうじゃないか!」
その笑みは、まさに悪魔。
いや、それ以上。
「お前たちも最高のエンターテイメントを楽しめ。痛みも、苦しみも、恐怖も!全て甘受しろ!」
杖の髑髏が、カタカタと笑っているように見えた。
戦うしかない。
ケヴィンが、槍を構える。
手が震えている。
こんなことは初めてだ。
いや2度目か。
この狂気、この邪悪。
ケヴィンは目を瞑り、バートラムと戦う遥斗の雄姿を思い出す。
再び目を開けたときには。
震えは止まっていた。




