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432話 人参畑

 

 ——時は遡り、異世界召喚の前。

 それは大輔、さくらとの出会い。

 それは忘れぬ思い出。


 放課後の高校。

 オレンジ色の夕日が、校舎を優しく照らしていた。


 遥斗は、いつもより遅い帰り道を歩いている。

 図書室で調べ物をしていたら、すっかり時間を忘れてしまっていたのだ。


 家の門限が刻々と迫る。


 いつもなら使わない裏道。

 校舎裏を通り抜けようとした時、ふと足が止まった。


「あれ……?」


 園芸部の畑で、誰かがしゃがみ込んでいる。

 夕日を背に受けた小さなシルエット。

 長い髪を後ろで結んだ女子生徒だった。


 遥斗は彼女に見覚えがあった。

 名前は思い出せないが、クラスの女子生徒だ。


 ここには人参が植えられていたのだろうか?

 過去形なのは、畑がひどい有様だったから。


 きちんと整えられていたはずの畝が、あちこち踏み荒らされている。

 葉が折れ、土がめちゃくちゃに掘り返されていた。


 女子生徒は、黙々と作業を続けていた。

 折れた人参の葉を丁寧に取り除き、散らばった土を元に戻している。

 その横顔には、悲しみとも諦めともつかない表情が浮かんでいた。


(大変そうだな……)


 遥斗は声をかけようか迷った。

 クラスは一緒だが、面識もない。

 でも、一人で作業する姿を、このまま見て見ぬ振りは——


 その時、少女がバケツを持ち上げようとした。

 バケツには人参がぎっしり詰まっている。

 かなりの重さのはずだ。


「よいしょ……」


 小さな体で必死に持ち上げる。

 しかし、バランスを崩して——


「あっ!」


 前のめりに倒れた。

 バケツから人参がこぼれ落ちる。


「大丈夫?」


 遥斗は反射的に駆け寄った。

 少女の腕を掴み、起こそうとする。


「やめて」


 小さな声だったが、はっきりとした拒絶の言葉。

 遥斗の手が止まる。


(え?僕、何かまずいことした?)


 戸惑う遥斗を無視して、少女は地面に膝をついた。

 そして、遥斗の足元を見つめる。


「あ……」


 遥斗も気づいた。

 自分の靴が、小さな人参を踏みつけている。

 まだ成長途中の、親指ほどの大きさしかない人参。


「ご、ごめん!気づかなくて!」


 慌てて足を上げる遥斗。

 女生徒は無言で、踏まれた人参を手に取る。

 泥を優しく払い、傷ついた部分を確認している。


「手伝います」


 遥斗も膝をついて、散らばった人参を拾い始める。

 しかし、慣れない手つきで土まで一緒に掴んでしまい、かえって邪魔になってしまう。


「……こうやって」

 小さな声で教えてくれる。

 葉の部分を持って、優しく土を払う。

 そして、傷んでいないか確認して、バケツに入れる。


「園芸部なの?」

 遥斗が尋ねる。


「うん」

 短く答える。


 見渡したが、他の部員の姿は見えない。


「一人?」

「そう。みんな、幽霊部員」


 彼女の言葉には、特に寂しさは感じられなかった。

 淡々と事実を述べているだけのような口調。


「この人参、何に使うの?」

「うさぎのエサ」


 そういえば、学校の飼育小屋でうさぎを飼っていた。

 白と茶色の、可愛らしいうさぎたち。


「でも、こんなに荒らされて……ひどいね」

「普通。よくあること」

「いたずら?」

「そうね」

「せっかく育てたのに……」

「ダメになった人参も、間引いた分も、全部うさぎが食べてくれるから」


 少女の表情が、少しだけ柔らかくなった。

 うさぎの話をする時だけ、目が優しくなる。


「あなた、どこのクラス?」

「えっ?」


 突然の質問に、遥斗の言葉が詰まった。

 その時——


「さくらー!」


 後ろから、自分を呼んでいるであろう大きな声が響いた。

 遥斗が振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。


 中村大輔。

 同じクラスの野球部員。

 がっしりとした体格で、日焼けした肌。

 明るく社交的で、クラスでも目立つ存在だった。


「あれ?こんな所で珍しいな」


(中村君、僕のこと知ってたんだ……)

 遥斗は少し驚いた。

 ほとんど話したことがないのに。


 大輔が親しげに近づいてくる。

 もしかして、話しかけて来てくれるのだろうか。

 遥斗は少しドギマギする。


「またやられたのか?」

 少女が小さく頷く。


(え?二人、知り合い?)

 遥斗は戸惑った。

 クラスでの中村大輔は、野球部の仲間とばかり一緒にいるイメージ。

 まさか園芸部の女子と知り合いだったとは。


「手伝うか?」

「もう終わり。彼が手伝ってくれた」

 遥斗を指差す。


「そっか、ありがとな佐倉」

「さくら?」


 少女が小首を傾げる。


「は?」

 大輔が目を丸くする。

「お前まさか!クラスメートを覚えてないのか!」


 こくり。

 素直に頷く。


「おいおい、しっかりしろよ!失礼だろ!」

 大輔が呆れたように頭を掻く。


「いや、僕、影薄いから……」

 遥斗が慌てて庇う。


「ごめんな……こいつ、動物以外興味ないんだよ」

 大輔が苦笑しながら説明する。


「同じクラスの佐倉だろ?」

「高橋君と山田さんと一緒にいる人?」


 その言葉に、遥斗は驚いた。

 確かに涼介と美咲とはよく一緒にいるが、まさかそれで認識されていたとは。


「う、うん。そう、それ」


「私は伊藤さくら」

 さくらが自己紹介する。

「ややこしい」


 先ほど大輔が親し気に呼んだのは、『佐倉』遥斗ではなく、伊藤『さくら』だったのだ。

 佐倉とさくら。

 音が同じで紛らわしい。


「あなたの名前は?」

 さくらが遥斗に尋ねる。


「遥斗。佐倉遥斗」

「遥斗」

 さくらが遥斗を指差して、名前を確認するように呟く。


「おい!いきなり呼び捨てかよ!」

 大輔がツッコミを入れる。


「こんなやつでも幼馴染なんだ。許してやってくれ」

 大輔が遥斗の肩を叩く。

「なっ、遥斗。これなら紛らわしくないだろ?」


 親しげな笑顔。

 まるで昔からの友達のような態度に、遥斗は戸惑いながらも嬉しさを感じた。


「そ、そうだね、中村君」

 遥斗が大輔を見る。


「大輔でいいぜ!堅苦しいの苦手なんだ」

「じゃ、じゃあ、大輔」

「さくらはさくらでいいか?」

「それでいい」


「で、でも女子を呼び捨てにするのは変じゃないかな……」

 初対面の女子の名前を呼び捨てにする勇気など、内気な遥斗には持ち合わせがない。


「気にすんなよ!そんな大した奴じゃないよ、こいつ」

「失礼過ぎ」


 大輔の言葉に、さくらが真剣な顔で怒る。

 その様子がなんだかおかしくて、遥斗は笑ってしまった。


「何か面白い?」

 さくらが不思議そうに遥斗を見る。


「いや、なんか……楽しいなって」


 遥斗の言葉に、大輔も笑う。


「確かにな。こいつといると退屈しないぜ」


「それじゃよろしく『さくらさん』」


 三人でバケツを持って、飼育小屋へ向かう。

 うさぎたちも待ちかねているだろう。


 夕日が三人の影を長く伸ばしていた。


 これが三人の出会い。

 大切な、忘れぬ思い出。

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