417話 双皇覇
シエルは「やられた」と思った。
心臓が激しく鼓動している。
手のひらに嫌な汗が滲む。
アンチマジックフィールド。
内包する魔力に影響するのではなく、発現する魔法に抑制をかける。
つまり、魔術師系のみに標的を絞った戦術。
通常は味方にも影響を及ぼすので、こんな戦術はやらない。
回復魔法が使えないと死活問題だからだ。
しかし抜け道を用意しているのなら別。
もしポーションなどの大量物資を用意していれば?
大量物資を運搬する方法があるとすれば?
シエルの頭脳が高速回転する。
焦りと怒りで煮えたぎりそうな心を、理性で押し留める。
冷静になれ。
師匠ならどうする?
魔法が完全に使えない訳ではない。
フィールド範囲内では発動能力が5分の1程度になるだけだ。
ならば。
勝算はある。
相手を叩きのめすだけが勝利ではない。
シエルは即座に決断した。
「天地を集いし裂空よ、渦巻きて相克せよ。怒りの咆哮を以て、全てを薙げ!」
新たな詠唱が戦場に響く。
その声に大輔たちは身構えた。
また先ほどのような大技が来るのか?
誰も状況を完全に把握できていない。
不安と警戒が入り混じる。
今ここが最大の好機。
「ボルテクス・ファイアドラゴン!!」
シエルの切り札が炸裂した。
炎の竜巻が空中に立ち上がり、やがて巨大な火竜の形を成す。
「今度は何をする気だ!」
大輔が警戒する。
先ほどの竜巻に比べれば、威力は格段に劣っている。
アンチマジックフィールドの影響で、明らかに力が削がれていた。
「威力が低い?こけおどしか?」
大輔が反撃を試みようと、ランスを構える。
しかし、火竜の狙いは彼らではなかった。
ドォォォォォン!
火竜がヘスティアの屋敷に直撃した。
瞬間、巨大樹の幹が燃え上がる。
炎は瞬く間に屋敷全体を包み込んでいく。
それを見ていたゴルビンの顔が青ざめた。
「しまった……やられた……」
もし屋敷が崩壊でもすれば、地下にある転移魔法陣の確保に一体どれだけの時間がかかってしまうのか。
いや、最悪の場合、魔法陣そのものが破壊されてしまう可能性も。
シエルの狙いは、最初から魔法陣の破壊だったのだ。
冷徹な判断力。
幼い外見に騙されていた。
この少女は、間違いなく一流の戦術家だ。
しかし、これさえもシエルの目的の一部でしかない。
「エアーフライ!」
皆が混乱しているその隙に、飛行呪文を発動した。
風が渦を巻き、気を失っているグランディスとマリエラ、ヘスティアを優しく包み込む。
三人の体が宙に浮き、シエルと共に上昇していく。
アンチマジックフィールドが機能している以上、魔法で後を追える者はいない。
このままフィールドの範囲外に出てしまえば、一瞬で離脱できる。
「逃がすな!」
大輔が叫ぶが、飛行手段がない。
だが、それをさくらは許さない。
(お願い、ミラージュリヴァイアス……)
心の中で、街の外で待機しているパートナーに命じる。
(撃ち落として!)
その瞬間——
大地が震えた。
街の外、深い森の地面が隆起するように盛り上がる。
巨大な影が地面より浮上した。
それは陸を泳ぐ鯨だった。
全長は優に百メートルを超える。
鱗は白色に輝き、見る角度によって色彩が変化する。
まるで幻のような、神秘的な美しさ。
ミラージュリヴァイアス。
さくらのもう一柱の使役モンスター。
神と崇める者さえいる、完全体の神獣だった。
幻が今ここに、実在している。
ミラージュリヴァイアスが天を仰ぎ、口を大きく開けた。
口内に光が集まっていく。
それは破壊の光。
空気が振動する。
魔力が渦巻く。
上空を飛ぶシエルたちに向けて、必殺の攻撃が準備されていく。
マリエラが朦朧とした意識の中で、それを感知した。
身の毛もよだつような、巨大な魔力の奔流。
あれだけの魔力のスキルをぶつけられれば、命はないだろう。
普段のシエルならともかく、フィールド影響下のシエルでは防ぎようがない。
相手は長射程からの狙い撃ち。
ヘスティアも同様に、迫り来る死の気配を感じ取っていた。
「ヘス……子供たちに助けられてばかりでは、恰好が付かないわ~」
マリエラが苦笑する。
「そうね、私たちが何とかするので、このまま飛んでください」
ヘスティアも覚悟を決める。
結局はそれしかない。
シエルは精一杯飛ぶ。
風魔法に全ての魔力を注ぎ込んで。
そしてミラージュリヴァイアスの魔力の集中が完了した。
光が、一点に収束していく。
ソニックロア。
巨獣の口から放たれる、破壊の咆哮。
それは単なる音波ではない。
魔力で増幅された、純粋なる破壊エネルギーだった。
空を切り裂き、雲を散らし、四人に向かって迫る。
絶体絶命。
死神が目前に迫った。
「マリ!」
「分かってるわ~、ヘス!」
二人の魔力が、まるで呼応するように脈動し始める。
それは奇跡のような現象だった。
長年共に過ごし、互いを理解し合った二人だからこそ可能な、究極の連携技。
魔力の波長が同調していく。
完璧なシンクロニシティ。
魔力共鳴を利用して打ち出す奥義——
「双皇覇ーーー!!」
超超高難易度の技が炸裂した。
二人の魔力が完全に融合し、一つの巨大なエネルギーとなる。
それは白と黒の螺旋。
波長が僅かでもズレれば、互いに打ち消し合ってしまう。
長き刻を生きるエルフにのみ許された、究極の連携技だった。
双皇覇がソニックロアと正面衝突した。
空中で二つのエネルギーが激突し、凄まじい爆発を起こす。
ドォォォォォォォン!
爆風が街全体を揺らす。
窓が割れ、建物が軋む。
兵士たちはあまりの衝撃に地面に伏せた。
まるで爆弾が破裂したかのような、圧倒的な破壊力の激突。
ソニックロアは完全に霧散した。
だけではない。
双皇覇が、ミラージュリヴァイアスを直撃。
威力は大幅に相殺されていたが、それでも神獣を怯ませるには十分だった。
「ギャオォォォォォ!」
ミラージュリヴァイアスが苦悶の声を上げる。
その巨体が仰け反り、地面に激突した。
大地が揺れる。
その隙にシエルたちはアンチマジックフィールドの影響圏から脱出した。
境界線を越えた瞬間、魔法出力が元に戻る。
飛行速度が跳ね上がった。
風が唸りを上げ、シエルたちを空の彼方へと運んでいく。
「くそっ……逃がした……」
大輔が地面をランスで殴る。
貴重な情報源を失ってしまった。
遥斗に関する唯一の手がかりが。
そして、転移魔法陣も——
振り返ると、ヘスティアの屋敷は完全に炎に包まれていた。
燃え上がる巨大樹。
地下にある空間は、果たして無事なのか。
「火を消せ!急げ!」
ゴルビンの命で兵士たちが必死に消火活動を始める。
しかし、巨大樹の延焼を止めるのは容易ではない。
さくらが遠くを見つめながら、静かに呟く。
「……完全に、やられた」
シエルの策に、まんまとはまってしまった。
被害も決して小さくない。
奇襲による完全勝利が狂わされた。
戦争は始まったばかり。
この狂いが、後の戦いに禍根を残さなければ良いのだが。




