408話 クズ
なんでこんな事になっちまったんだよぅ……
グランディスは心の中で嘆いていた。
目の前の男「ゴルビン」から放たれる圧倒的な威圧感に、全身が震えている。
思えば、遥斗たちに関わるまでは平和だった。
父が行方不明になって寂しい思いはしていたが、優しい母との生活には満足していた。
モンスター討伐隊に入り、隊長のセフィルとも上手くやっていた。
それなりに充実した毎日を送っていた。
早く一人前になって家庭を持って、母の孤独を埋めてあげたかった。
子供なんか生まれた日には、喜びすぎて倒れてしまうかも知れない。
できれば父を探して、みんなで一緒に笑って暮らしたかった。
ただそれだけだったのに。
父親の身体は消滅して、魂の一部はデスペアとディスチャージャーに封じ込められた。
セフィル隊長もあんなに無残に、意味もなく殺された。
大好きだった街は——地獄に変わった。
母親の異様なまでの強さ。
本当に自分が知っている母なのだろうか。
本当にこれは現実なのだろうか。
そして、今また、見覚えのない恐ろしい男から命を狙われている。
興味本位で遥斗についてきただけなのに、死にそうな思いを何度もしてきた。
しかも、世界はもうすぐ滅びるという。
自分は英雄になりたい訳でも、世界を救う使命が欲しい訳でもない。
グランディスは、ただ子供だった。
それらの現実を受け入れる精神力など、持ち合わせていない。
必死に気持ちを奮い立たせてきたが、もう限界だ。
いますぐ家に帰って、温かいベッドで眠りたい。
眠っている間に、全てが終わっていてほしい。
そうだ、もうすぐアサタメグサの咲く季節。
甘い甘い香りのする……
「危ない!」
そんなことをぼんやりと考えていた。
ゴルビンの「剛腕の一撃」が、グランディスに向かって唸りを上げる。
体が動かない。
恐怖で身が竦む。
金縛りになったように、身動きが取れない。
「死」という言葉が頭を過る。
ぐちゃぐちゃに潰れた自分の姿が脳裏に浮かぶ。
しかし、そんな事にはならない。
させない。
アイラがグランディスを押しのけ、前に飛び出した。
ドガァァァン!
アイラに衝撃波が直撃し、吹き飛ばされる。
「アイラさんーーー!」
シエルが叫ぶ。
「女を盾にするとは……やるな色男」
ゴルビンが嘲笑を浮かべる。
「俺の国にも『女と金は使いよう』なんて格言があるが、お前みたいなクズはそうはいねぇなあぁぁ!」
挑発するような言葉。
それでも、グランディスの膝は震えが止まらない。
戦うことも、逃げることもできない。
「すみませ~ん」
突如、気の抜けた声が空から聞こえた。
マリエラとヘスティアが、舞い降りてきた。
「ごめんなさいね~うちの子がご迷惑をおかけしたみたいで~」
マリエラが申し訳なさそうに頭を下げる。
「後のお話は私がお伺いしますので~」
相変わらずのんびりとした口調だが、その手にはしっかりとロングソードが握られている。
ヘスティアも覚悟を決めた。
おそらく、ここが死に場所。
「さあ、みんな早く」
ヘスティアが振り返り、逃げるよう促す。
「エルフってのは子煩悩だとは聞いていたが……な」
ゴルビンが呆れたように呟く。
「ママを犠牲にするとは。人族とはだいぶ感性が違うぜ」
そして、背後の部隊に向かって大声で命令を下す。
「もういい!俺が相手にする価値はねぇ!押しつぶせ!」
ゴルビンの力は集団戦においては邪魔にしかならない。
敵味方関係なく巻き込んでしまうからだ。
彼が命令を下す以上、後は殲滅あるのみ。
「うおおおおお!」
ミスリルのフルプレートアーマー部隊が、怒声とともに突撃を開始する。
彼らの職業は全員がタンク系。
武器も魔法も持たない、生きている盾。
それは荒ぶる銀牛の群れと、見紛うばかりだった。
体当たりと肉弾戦に特化した、武骨な戦闘スタイル。
全ての攻撃をはじき返し、彼らが通った跡には草一本残さない。
数千の銀の波が、二人に向かって押し寄せる。
たった数名の命など、この波が全て飲み込むだろう。
誰もがそう思った。
ドカァァァン!
部隊の一部が突然爆ぜた。
数人の兵士が宙に舞う。
ただの兵ではない。
ミスリルのフルプレートを着込んでダッシュが出来るほどの巨漢揃いだ。
その大男が同時に宙を舞う様は、あまりに現実離れしている。
時が止まる。
マリエラのロングソード一振りで、銀の波を止めてしまったのだ。
「何だーーー!?」
兵士たちが驚愕する。
ミスリルの装甲は硬度、魔法耐性において非常に優秀。
ヘスティアの魔力刃も、正面からでは切断できない。
しかし——
関節可動域の僅かな隙間を縫うように刃を通せば。
ズバッ!ズバッ!
この通り、容易に切断できる。
「ぎやぁぁぁぁぁ!!!」
手足を切断されて、次々と倒れていく兵士たち。
人族にはあり得ない美貌のエルフ二人。
たった二人で、数千人に挑もうというのだ。
ゴルビンは、その勇敢さに震えた。
「化け物かよ……」
感嘆とも恐怖ともつかない声で呟く。
しかし、すぐに気を引き締める。
「怯むな!俺達はノヴァテラ連邦軍『ミスリルの壁』!何者にも怯えぬ!何者にも引かぬ!押せーーー」
いかに強くても、数千対二人では話にならない。
時間の問題だろう。
程なく二人は包囲され、蹂躙されていくのだ。
グランディスは、母の背中を見つめていた。
それは、いつもグランディスが見ていた呑気な母親の背中。
伝説の戦士なんか知らない。
母の背が、ひどく小さく見えた。
こんなにも小さな背中で、自分を守ろうとしてくれている。
「ひぐぅ。か、母さん……」
グランディスの心に、何かが芽生えた。
恐怖に支配されていた心に、小さな小さな炎が灯る。
母を守りたい。
今度は自分が、母を守る番だ!




