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393話 継承

「レオナルドーーー!」


 壁から這い出たガルバンが、血を吐きながら怒鳴る。

 鎧は大きく凹み、左腕が不自然な方向に曲がっている。

 それでも執念で立ち上がり、レオナルドを睨みつけた。


「貴様の娘だろうが!ざっざとやめざぜんが!」


 血の混じった唾を飛ばしながら叫ぶ。


「ごのままでば騎士団が全滅ずるぞ!」


 レオナルドは我に返った。

 娘の圧倒的な戦闘力に呆然としていたが、ガルバンの言葉で現実に引き戻される。


「エレナ!もうよせ!これ以上私に恥をかかせるな!」


 父親として叱責する。

 その悲鳴にも似た声が、謁見の間に響く。

 肝心の娘の心に響いたのかは不明だが。


 エレナがゆっくり振り返る。

 白虎のバイザー越しに、青い瞳が父を見つめた。


 レオナルドはさらに一歩前に出る。

 そして苦渋の表情を浮かべながら、震え声で続けた。


「お前のせいで、兄のレオンも姉のリリアナも非常に危うい立場に追い込まれているのだぞ!どうやって責任を取るつもりだ!」


 家族の名前。

 それは脅しに等しい言葉。


「ファーンウッド家の名誉は地に落ちた。これ以上は……これ以上は庇いきれん!今すぐ降伏するのだ!」


 必死の訴えだった。

 しかし——


「それで?」


 エレナの声は氷のように冷たかった。

 白虎のスラスターから立ち上る熱気とは対照的に、その言葉は凍てつくような冷たさを称えている。


「全く意味が分かりません」


 毅然と父に向きなおった。

 装甲に覆われた足が、石畳を踏みしめる度にガシャンと音を立てた。


「それが遥斗くんを傷つけようとした言い訳になるのですか、お父様?」


 静かな声だが、その迫力は圧倒的。

 謁見の間の空気が震える。


 先ほどまで父に縋っていた娘はどこにもいない。

 そこにいるのは、大切な人を守ろうとする一人の戦士。


「家族の立場?ファーンウッド家の名誉?」


 エレナが一歩、また一歩と父に近づく。


「そんなものが、遥斗くんより大切だと?本気で思っているのでしょうか?」


 レオナルドが後ずさる。

 娘の変貌に、恐怖すら感じて。


「レオナルド卿、ここはグレイファス・ダスクブリッジ辺境伯にお任せを」


 グレイファスが前に踊り出た。

 赤銅色の鎧が、彼の自信を反射しているかの様に光る。

 腰のレイピアに手をかけ、威圧的なオーラを放った。


「エレナ殿、そして……」


 視線が息子に向けられる。


「聞け!愚息よ!」


 その声はまるで雷鳴。


「今だ騎士道を忘れておらぬなら、己が使命を忘れるな!」


 父親としての威厳、騎士としての誇り。

 万感の思いを込めて抜刀する。


 切っ先はマーガスへと向けられた。


「騎士たるもの民の剣、民の盾である!今のお前にその資格があるのか!王の命である!本物の騎士道を見せてやろう!」


 マーガスが父を見つめる。

 複雑な感情が、その瞳に浮かんだ。


 幼い頃から憧れていた父。

 騎士の心得を説いてくれた父。

 しかし今、その父はとても小さく見える。


 マーガスは深呼吸をした。

 そして、覚悟を決め口を開く。


「聞け!愚かなる父よ!」


 静かに、しかし、はっきりと告げる。

 その声には、ある種の悲しみが混じっていた。

 山を越えてしまった者の特有の悲しみ。


「あなたは民草の騎士でしかない……俺は領民を救い、国を救い、世界を救う剣!そして異世界を守る盾だ!」


「マテリアルシーカーリーダー、マーガス・ダスクブリッジ……」


 胸を張り、背筋を伸ばす。

 威風堂々。

 全ての者に宣言をする。


「俺は今、ここで、ダスクブリッジ家の家督を継がせていただく!俺こそが栄誉あるダスクブリッジそのものだ!」



「はっ……?」

 グレイファスが絶句した。

 まさか息子が、この場で家督継承を宣言するとは。

 流石に想像すらしていない。


 騎士道馬鹿な息子だとは思っていたが、本当に馬鹿だったとは。


「何を言っているか!お前に譲る家督などないわ!それに勝手に継げる訳がなかろう?」


「いいえ、父上……あなたでは、もう時代について行けないのです」

 マーガスが首を振る。

 そして、高らかに謳う。


「ダスクブリッジ家はこれより、エルフ国の王、アマテラス殿と協力し、世界を救うため『闇』と戦うことを誓う!」


 拳を握りしめ、エドガー王を指差した。


「アストラリア王家の『闇』……暴かせてもらう!」


「狂ったかーーー!!マーーーーーーガス!」


 グレイファスが怒声を上げる。

 顔を真っ赤にして、息子を睨みつけた。


「狂っているのは、そこの御仁だ!」


 エドガー王を指し示す手は揺るがない。


「言うねー、アリアの弟子は伊達じゃないね」


 ルシウスが嬉しそうに手を叩く。

 まるで見世物を見ているかのような態度だ。

 これぞ、まさに不遜だった。


「こ、ここまで洗脳されるとは……」


 グレイファスの目が血走る。

 血管が浮き上がり、殺気が膨れ上がる。


「皇帝を名乗るペテン師の仕業か!」

 エーデルガッシュを睨む。


「エルフ共の悪魔の所業か!!」

 次にイザベラを見る。


「それとも……」

 殺気を込めて遥斗を睨む。


「異世界人の罠に嵌ったか!!!」


 剣を振り上げ、遥斗に向かって突進した。

 騎士として鍛え上げられた体が、弾丸のように飛び出す。


「許さぬわ!死ねぇぇぇ!レイ・バウンス!!!」


 剣が銀色の軌跡を描く。


 しかし——


 ズバッ!


 金属が肉を裂く音が響く。


 遥斗の喉元に迫るレイピア。


 その直前、マーガスが素手で父の剣を受け止めていた。

 掌から血が流れるが、その表情は変わらない。


「父上……」


 マーガスが悲しげに微笑む。


「残念ながら……遥斗はやらせませんよ」


 剣を握る手に力を込める。

 グレイファスが剣を引き抜こうとするが、びくともしない。


「こいつは俺達の希望なんだ」


「マーーーガス……お前という奴はーーー!」


 グレイファスが歯を食いしばる。


「いつそんなに強くなった……」

「遥斗と出会ってからですよ」


 マーガスが答える。

「あいつが教えてくれたんです。本当の強さとは何か」


 振り返ると、遥斗と目が合う。


「マーガス……」


 マーガスがにっと笑顔を返す。


 そして、大きく息を吸い込んだ。


「アルケミック!」

 掴んでいたミスリル製のレイピアが変形を始める。

 あっという間に形を変え、銀色の美しい剣がマーガスの手に収まっていた。


「マテリアルシーカー、推して参る!」


 その掛け声に——


「ええ!」

 エレナの装甲に青いラインが奔り、戦意を示す。


「行こう!」

 遥斗も声を上げる。

 武器こそないが、遥斗のステータスは一般兵を遥かに凌ぐ。


 それは、新たな時代の幕開けを告げる鐘の音だった。


「ふざけるな!」


 グレイファスは引かない。

 武器がなくとも。

 それでも——


「ガキのお遊びなど蹴散らしてくれるわーーー!!!」



「そこまで!」



 突然、凛とした声が響く。

 全員の動きが止まった。


 声の主はエーデルガッシュその人だった。


 彼女はゆっくりと前に出る。

 手枷は外されているが、武器は持っていない。

 それでも、その存在感は圧倒的。


 深緑の瞳で、エドガー王を真っ直ぐに見つめる。


「な、なんだ貴様……」


 エドガー王が顔を引きつらせる。

 玉座から身を乗り出し、怯えたような表情を浮かべていた。


「近寄るな!」


「このまま戦えば、ここにいる者は皆殺しとなろう」


 エーデルガッシュの声は静かだが、確信に満ちていた。

 一歩、また一歩と王に近づく。


「余は遥斗たちに、これ以上の業を背負わせたくないのだ」


 その言葉に、遥斗が息を呑む。

 エーデルガッシュは、自分たちのことを気遣ってくれていた。

 このままでは本当に反逆者になると。


「どうか、真実を教えてほしい」


 エーデルガッシュが玉座の前で立ち止まる。

 見上げる瞳には、哀れみすら浮かぶ。


「何故このような事態になった?」

「何故民が消えた?」

「何故エリアナ姫が戦争を望む?」


 一つ一つ、問いかける。


「そして——」


 最後の問い。


「あなたは、本当に王なのか?」


 その問いに、謁見の間が凍りついた。


 誰もが理解した。

 この者たちは、まるで本気を出していない。

 もし全力で戦えば、黒刻騎士団など瞬殺されるだろう。


「エ”ト”カ”ーさ”ま”!」


 ガルバンが助けに入ろうと、よろよろ歩き出す。


「ぐはっ!」


 しかし、数歩踏み出した瞬間、血を吐いて崩れ落ちた。

 先ほどエレナに蹴られた一撃で、内臓を完全に損傷していたのだ。

 もはや立つことすらできない。


 エドガー王は力なく項垂れた。

 玉座に深く沈み込み、まるで老人のように背を丸める。


 長い沈黙の後、疲れ果てた声で呟いた。


「……何が聞きたいのだ」


 ついに観念した。

 仮面が剥がれ、素顔が露わになる。

 

 謁見の間に、重い沈黙が降りた。

 真実が明かされる時が、ついに来たのだ。

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