390話 エドガー・ファーンウッド・ルミナス三世
王城の巨大な門をくぐると、そこには黒刻騎士団総勢100名程が整列していた。
黒い鎧が立ち並び、まるで城壁のようだ。
その中を、遥斗たちは連行されていく。
イザベラが眉をひそめる。
何かがおかしい。
(兵が……少なすぎる)
本来王城には各騎士団から選抜された精鋭が配置されているはず。
しかし、今見えるのは黒刻騎士団の兵士ばかり。
光翼騎士団の白銀の鎧は、どこにも見当たらない。
ガルバンは上機嫌だった。
鼻歌まじりに先頭を歩いている。
光翼騎士団が上流貴族で構成された花形部隊なのに対し、黒刻騎士団は下級貴族で構成された、いわば雑用部隊。
本来なら王城を我が物顔で闊歩できる立場にはない。
しかし今はそれが可能となっている。
謁見の間の重厚な扉が、軋む音を立てながらゆっくりと開かれた。
鉄と木の擦れる音が、まるで巨獣の唸り声のように響く。
広大な空間が目の前に広がった。
天井は遥か高く、巨大な柱が整然と並ぶ。
ステンドグラスから差し込む光が、床に色とりどりの模様を描いていた。
しかし、その美しさとは裏腹に、空間全体に重苦しい空気が漂う。
深紅の絨毯は、入口から玉座まで真っ直ぐに伸びる。
まるで血の川が石畳の床を切り裂く如く。
その両脇には、黒刻騎士団の兵士たちが槍を構えて整列していた。
絨毯の先、壇上に黄金の玉座が鎮座している。
そこに座るのは、エドガー・ファーンウッド・ルミナス三世その人だった。
紫の王衣は豪華だが、その中身は以前とは違い痩せ細っているように見えた。
顔立ちは穏やかで、かつては温厚な人物だったことが窺える。
しかし今は、まるで魂が抜けたかのように虚ろな目。
玉座に座っているというより、据えられているという印象だった。
王の周囲には、礼服を纏った貴族たち。
10人程だろうか。
その表情は一様に硬く、まるで仮面を被っているかと見紛う。
遥斗たちが謁見の間に足を踏み入れると、貴族たちの視線が一斉に向けられた。
好奇、侮蔑、嘲笑——様々な感情が入り混じった視線が、針のように突き刺さる。
「頭が高い!王の御前であるぞ!」
ガルバンの怒声が石壁に反響する。
黒刻騎士団員たちが一斉に動く。
遥斗たちの肩を掴み、強引に押し下げる。
鎖がジャラジャラと鳴り、手首に食い込む手枷が痛みを訴えた。
「跪け!」
「礼儀を知らぬか!反逆者共!」
「王の御前であるぞ!」
兵士たちが口々に叫びながら、遥斗たちを地面に押し付けようとする。
膝を蹴られ、背中を押され。
抵抗しようにも、多勢に無勢で身動きが取れない。
「何をするか!」
イザベラが必死の抵抗を見せる。
「私は光翼騎士団の——」
「止めよ!王の御前である!」
突如、鋭い声が響いた。
貴族の一人が前に出る。
金髪に青い瞳、威厳に満ちた壮年の男。
レオナルド・ファーンウッド公爵だった。
「お父様!」
エレナが驚きの声を上げる。
が、手枷をされた娘の姿を見ても、父の表情は変わらない。
「聞いてください、お父様!これには——」
「繰り返す!王の御前である!」
レオナルドが再度警告を飛ばす。
氷のような視線に、エレナは二の句が継げなくなった。
重い沈黙が謁見の間を支配する。
やがて、エドガー王がゆっくりと口を開いた。
「イザベラよ」
穏やかな、しかしどこか虚ろな声。
イザベラが敬愛する主君を見上げる。
希望に満ちた瞳で、誤解が解けることを期待している。
しかし——
「誠に遺憾である」
エドガー王の言葉は、冷たかった。
「栄誉ある光翼騎士団から逆賊が出るとは……失望したぞ。あれだけ目をかけてやったというのに……恩すら感じていなかったとは。恥という感情を持ち合わせておらぬのか」
あまりの一方的な言い方に、イザベラの口がパクパクと動く。
言葉が出てこない。
必死にアレクサンダーの姿を探すが、どこにも見当たらない。
王の側近である光翼騎士団団長が、この場にいないなどありえない。
「陛下!お聞きください!これは誤解なのです!」
イザベラが必死に訴えようとする。
「黙れーーー!」
ガルバンが激怒した。
唾を飛ばしながら怒鳴りつける。
「何が誤解だうつけ者!貴様は人族に対する反逆者「クロノス教団」の関係者を王都に招き入れようとしたのだぞ!これは国家反逆罪に当たる重罪である!」
全てバレている。
情報が筒抜けだったのだ。
「それは違います!」
エレナが父に向かって叫ぶ。
手枷の鎖がジャラジャラと鳴った。
必死に前に出ようとする。
「お父様、私の話を聞いてください!これは全て誤解なのです!」
兵士がエレナを押さえつけようとする。
しかし、レオナルドは片手を上げてそれを制した。
「構わぬ。どのように違うのか、申してみよ」
レオナルドの瞳は、まるで氷のように冷たい。
娘を見ているとは思えないほど、感情が感じられない。
その視線に、エレナの声が震える。
「クロノス……教団は……人族抹殺が真の目的ではありません」
エレナが息を切らしながら必死に説明する。
涙が頬を伝い始めていた。
「彼らは世界を闇から救うために戦っているだけです!お父様、どうか信じてください!」
「闇から救う?」
貴族の一人が嘲笑を浮かべる。
「馬鹿げている。奴らこそが闇そのものではないか」
謁見の間がざわつく。
貴族たちが口々に囁き合い、侮蔑の視線が遥斗たちに向けられる。
「ご覧ください、陛下」
ガルバンが大げさに両手を広げる。
歯を剥き出しにして、ニヤリと笑った。
「このように教団の洗脳を受け、奴らの使徒と成り果てております。哀れなものです」
「違います!!」
エレナが涙声で訴える。
手枷をはめられた両手を、祈るように組み合わせた。
「魔法やスキルを過度に使うと、世界が消滅するのです!それが『闇』の正体なのです!」
息を整えて、更に続ける。
「だから彼らは——クロノス教団は、世界を消滅させないために、魔法やスキルを使う者と戦っているのです!彼らは決して悪ではありません!むしろ世界を救おうとしているのです!」
「はっ!」
別の貴族が鼻で笑う。
「世界を救う?街を焼き、民を殺して?」
「そんな戯言を信じろと?どれだけ殺したのか理解しておらんのか!」
「洗脳とはかくも恐ろしいものだな」
貴族たちが嘲笑する。
その声が石壁に反響し、エレナを押し潰すように響く。
「お父様……」
エレナが絶望的な表情でレオナルドを見つめる。
「お願いです……せめてお父様だけでも……信じてください……」
しかし、レオナルドは無言で視線を逸らした。
その冷たい態度に、エレナの肩が震える。
「なるほど」
重い沈黙を破って、エドガー王が口を開いた。
玉座に深く腰を沈め、疲れた声で問う。
「それで守るべき民を虐殺されたのかな?」
王の目がゆっくりと動く。
そして、視線を一人の人物で止めた。
「答えていただこうか、エーデルガッシュ・ユーディ・ヴァルハラ」
名指しされたエーデルガッシュは、ゆっくりと立ち上がった。
。
手枷をされていても、その動作には一切の卑屈さがない。
背筋を伸ばし、堂々と王を見据える。
「お初にお目にかかる」
深緑の瞳が、真っ直ぐにエドガー王を射抜く。
まるで対等な立場であるかのような、揺るぎない態度。
「余がヴァルハラ帝国皇帝、エーデルガッシュ・ユーディ・ヴァルハラだ」
その名乗りは、謁見の間に朗々と響き渡った。
とても罪人のものではない。
「ぷっ……くくく……」
貴族の一人が吹き出した。
「皇帝?皇帝だと?」
別の貴族も笑い出す。
「既に追放された身であろうに」
「民の信を失った者が皇帝とは、滑稽だな」
「いっそ道化師になった方が似合いではないか?」
嘲笑の声が次々と上がる。
貴族たちがひそひそと囁き合い、指を差して笑う。
エーデルガッシュはゆっくりと視線を巡らせた。
笑っていた貴族たちを一人一人見つめる。
瞬間、笑い声がピタリと止んだ。
まるで蛇に睨まれた蛙。
誰もが凍りついた。
その瞳に宿る圧倒的な力に息を呑む。
これが真の王者の威光か。
「余は神より世界の救済の使命を受けた」
エーデルガッシュの声が、静寂の中に響く。
一語一語が、まるで神託のような重みを持っている。
「このままでは世界は滅ぶ。確実に、だ」
鋭い視線で貴族たちを見回す。
貴族たちの魂の奥底まで見透かすように。
「神の意思を捻じ曲げ、世界を滅亡へと導く者がいる。その者こそが真の敵だ」
そして、エドガー王を真っ直ぐに見据える。
「それは誰だ!答えよ!エドガー王!」
その問いかけは、雷鳴のように謁見の間に轟いた。
「ぶ、無礼であるぞ!そ、それは貴様らだろう!」
貴族の一人が震え声で怒鳴る。
恐怖を誤魔化すように、大声を張り上げた。
「神子の地位を体よく利用するとは……許せん!」
「帝国の民を虐殺した張本人が!」
「世界の敵はお前たちだ!」
口々に非難を浴びせる。
しかし、その声には先ほどまでの余裕はない。
皆、エーデルガッシュに怯えているのは明白。
謁見の間は騒然となった。
怒号が飛び交い、混乱が広がる。
しかし、エーデルガッシュは微動だにしない。
エドガー王を真っ直ぐに見つめたまま、一歩も引かない。
(こやつ……何かがおかしい……何を隠しているのだ!)
エーデルガッシュの直感は感じ取っていた。
生気のない表情。
そして、怯える王の目。
その時——
「ちょっとは話聞こうよ?」
場違いなほど軽い声が、騒然とした空気を変えた。
ルシウスがひょっこりとエーデルガッシュの横に並ぶ。
手枷をされているにも関わらず、まるで友人の家を訪ねたかのような気軽さだ。
肩をすくめて、困ったような笑みを浮かべている。
「ね、エド」
その親しげな呼び方に、謁見の間が一瞬で静まり返った。
貴族たちが息を呑む。
エドガー王の顔が、初めて感情を見せ瞬間だった。




