367話 呑まれるヴァルハラ帝国
アマテラスが鋭い顔つきでハルカに向き直った。
すでに戦いを予感し、心は戦闘態勢に入っている。
「ハルカ、各国に異常がないか調べるんだ」
淡々とした声だが、事態が切迫しているのは誰の目にも明らかだ。
見えない敵の存在を察知した今、情報収集が急務である。
「分かった。任せて」
ハルカが瞬時に応じると、その小さな手を鏡にかざした。
魔法陣が浮かび上がり、淡い光を纏いながら回転を始める。
ミズチネットワークの起動である。
ヤタノカガミが神々しい光を放ち、その鏡面に波紋のような輝きが広がっていく。
会議室の空気が張り詰め、全員が息を殺して鏡を見つめた。
遥斗は静かにその様子を見守る。
エレナが不安そうに彼の袖を掴んでいた。
「まずは……ソラリオンから」
ハルカの指先が踊るように動くと、鏡面に映像が浮かび上がった。
そこには見慣れたソラリオンの街並みが広がっている。
エルフたちは平常通り生活しており、商人が荷車を引き、子供たちが路地で遊んでいる。
陽光に照らされた街角には、陰謀の片鱗など微塵も感じられない。
「ソラリオンは問題ない、ようね」
ツクヨミが安堵の息を漏らす。
その横顔に、緊張の緩みが見えた。
「次はルナーク」
映像が切り替わると、優雅な都市が現れる。
自然と調和した建物群が美しく並び、エルフたちが穏やかな表情で日常を営んでいる。
独特の建築美は、まさに理想郷そのものだ。
「ここも異常なし」
ハルカは次にアストラリア王国の映像を映し出した。
王都は着実に復興が進んでおり、新しい建物が次々と立ち並んでいる。
スタンピードの傷跡から、立ち直りつつあった。
市民の表情も明るく、希望に満ちた空気が画面越しにも伝わってくる。
「アストラリア王国も順調に復興しているようだね」
ルシウスがほっとした様子で呟く。
王子の座は追われても、故郷への愛着は垣間見えた。
「良かった……何事もない」
イザベラも胸を撫で下ろす。
王国騎士として、民の安寧ほど嬉しいものはない。
しかし——
次の瞬間、
ヴァルハラ帝国の映像が映し出されると、
会 議 室 の 空 気 が 一 変 し た 。
「……なんだ、これは」
エーデルガッシュが震えている。
画面に映る帝都は、まるでお祭り騒ぎの大喧噪。
街中に色とりどりの旗が掲げられ、民衆が歓声を上げて踊り狂っている。
音声は入らないが、その熱狂ぶりは映像だけでも十分に伝わってきた。
「祭りか?何の祭りだ?」
エーデルガッシュが困惑したようにブリードを見る。
しかしブリードも全く知らない様子で、慌てたように首を振った。
「私は陛下の危機に駆けつけるため、帝都の事は部下に一任してきました。こんな大きな祭りなど……聞いておりません。そもそも帝都は先の内乱により多数の犠牲者が出ており、祝い事などもっての外です……」
ブリードに動揺が滲んでいる。
帝国の重鎮である彼が知らない国祭など、あり得るはずがない。
「皇城を映してくれぬか?」
エーデルガッシュの頼みに、ハルカが頷く。
ミズチが城に向かい、そこで一同は衝撃の光景を目にすることになった。
なんと皇城では盛大な式典が開催されている。
黄金の装飾が施された広間に、帝国の貴族たちがずらりと居並ぶ。
しかし、その中心に立つ人影を見て、エーデルガッシュの顔が青ざめた。
「あれは……エリアナ姫?なぜ帝国に?」
そこにあったのは、間違いなくアストラリア王国第一王女エリアナの姿。
さらにその傍らの人物たちを見て、エレナが「あっ!」と声を上げた。
見覚えのある面々。
異世界から来た勇者パーティだった。
涼介、美咲、千夏、大輔、さくら。
間違いなく、遥斗と共に異世界転移してきたクラスメート達。
しかし、真に衝撃的だったのは別のことだった。
式典会場を見回しても、ヴァルハラ帝国の紫地に黄金の双頭鷲を描いた国旗は、どこにも見当たらない。
代わりに高々と掲げられているのは——
アストラリア王国の青地に銀の剣と盾を描いた国旗だった。
「まさか……まさか……帝国が王国に併呑されたのか」
エーデルガッシュの顔色は青を通り越して白。
顔面蒼白とはまさにこの事。
彼女の悲痛な叫びとも取れる言葉が、会議室に響いた。
瞬間、ブリードが烈火の勢いで立ち上がった。
椅子が倒れる音が、静寂を破る。
「イザベラ殿!これはどういうことだ?!説明してもらおうか!」
ブリードの怒号が会議室に響く。
その剣幕に、イザベラが沈痛な面持ちで身を竦めた。
「すみません。私は何も……知りません……」
震え声で答えるイザベラ。
その様子に嘘偽りはないように見えるが、ブリードの怒りは収まらない。
「知らないはずがあるまい!光翼騎士団副団長ともあろう者が!ふざけるな!」
今度はルシウスを睨みつける。
しかし当の本人は、のほほんとした表情で肩をすくめるだけだった。
「私は現在ただの研究者だからねー。政には疎いんだなコレが」
その飄々とした態度に、ブリードの苛立ちはさらに増す。
拳を握り締め、今にも飛びかかりそうな勢いだった。
エーデルガッシュがアマテラスに向かって問う。
「この事態……予測していたのか?」
「エリアナ姫が勇者一行に対して裏で動いているのは掴んでいた。だが彼らはソフィア共和国にいたはずだ……こんな大胆な行動に出るとは」
ツクヨミも苦い表情を浮かべる。
「全く動きが掴めていなかった……なぜ?」
予想を遥かに超える速さで事態が進行していることに、二柱の神ですら戦慄を禁じ得ない。
「我らの情報網が全く役に立たない。恐ろしいほど緻密で迅速。信じられん……」
ブリードが再び声を荒げる。
「陛下!至急帝国に帰還すべきです!このままでは帝国が完全に乗っ取られてしまいます!」
焦燥に駆られるブリードの訴えに、イザベラも立ち上がる。
「私も!至急王国に向かい、真相を確かめたいと思います」
「ちょっと落ち着いて」
ルシウスが制止の声を上げた。
その表情に、これまでになかった真剣さが宿っている。
「誰が味方で誰が敵か分からない状態で解散するのはまずいと思うよ?下手をすればすべての情報が敵に筒抜けだ」
その指摘に、一同がはっとする。
確かに現在の状況では、軽率な行動は危険すぎる。
ツクヨミもルシウスの意見に賛同する。
「その通りね。手練れの者に情報を収集させます。今は動かないで欲しいわ」
そして、恐ろしい圧を込めて続ける。
「私のお願い、聞いてもらえるかしら?もし勝手な事をすれば……敵と見做します」
その瞬間、ツクヨミから凄まじいオーラが放たれた。
月光のように冷たく、しかし破壊的な力が会議室を包み込む。
ブリードもイザベラも、その圧倒的な力を前にたじろいだ。
アマテラスとツクヨミに本気を出されれば、この場で太刀打ちできるのはルシウスだけ。
そのルシウスが提案したことに、逆らえる者は誰もいない。
渋々と、ブリードもイザベラも引き下がらざるを得なかった。
「一旦会議は終わりとする」
アマテラスが宣言する。
有無を言わせない。
「それぞれ用意された部屋で待機してくれ。なお、勝手な行動は許さん。守れない場合は……命の保証は出来ぬと思え」
最後の言葉に、会議室の温度がさらに下がった気がした。
一同が重い足取りで席を立ち始める。
ブリードは不満を隠せないまま退室し、イザベラも困惑と不安を抱えたまま部屋を出て行く。
エーデルガッシュは深刻な表情で考え込みながら歩き、遥斗とエレナ、マーガスも後に続いた。
最後に残ったのは、アマテラスとツクヨミだけ。
「兄さん……敵はいったい誰?」
その美しい顔に、深い憂いの影が落ちていた。
「分からん……動きが読めぬ」
アマテラスが深いため息をついた。
そして、認める。
「ただ、我らよりも智略は上だ……確実にな……」




