353話 竜王(前)
ダンジョン最下層の転送魔法陣前で、4人が出発の準備を整えていた。
巨大な魔法陣が床に描かれ、古代エルフ文字が神秘的な光を放っている。
8年の歳月をかけて完成した、ダンジョンと王宮を直接結ぶ転送装置だった。
「ハルカは安全な場所で待っていて」
加奈が指示するが、ハルカは首を横に振る。
「ミズチを使えばぁ役に立つもん!お母様だってぇミズチがあった方が便利でしょ?」
8歳とは思えない論理的な反論に、加奈も困ってしまった。
「確かにハルカの能力は貴重ね」
セレシュルムが同意する。
「問答している時間はない。連れて行こう」
シューテュディが決断を下した。
ドラゴンの脅威を考えれば、一刻の猶予もない。
「分かったわ。でも絶対に私から離れちゃ駄目よ」
「はーい!」
ハルカが元気よく返事をする。
「私が傍にいるから安心して」
セレシュルムが申し出ると、加奈も安堵の表情を見せた。
転送魔法陣が眩い光を放ち始める。
古代から伝わる転送魔法は、空間そのものを歪める高等技術だった。
魔力の奔流が4人を包み込み、次元の隙間を通り抜けていく。
一瞬の浮遊感の後、彼らの姿がダンジョンから消えた。
次の瞬間——
ソラリオン王宮の転送魔法陣に4人が出現した。
慣れ親しんだ王宮の豪華絢爛な内装が目の前に広がる。
「緊急事態だ!このまま父上の元へ急ぐぞ!」
廊下を駆け足で進む4人。
王宮中に緊張感が漂っている。
謁見の間の重厚な扉が開かれる。
エルフ建築の粋を集めた大広間には、黄金に輝く玉座がそびえる。
そこにオルミレイアス王の姿が見えた。
「父上!ご無事でしたか!」
シューテュディが安堵の表情で駆け寄った。
父親の無事な姿を確認し、心底ほっとしていた。
王はハルカの姿を見つけると、厳格な表情が一変して顔をほころばせる。
「おお、ハルカよ。久しぶりだな」
普段とは全く違う柔和な声。
絶対君主として知られる王も、孫娘には特別な愛情を示すようだ。
「お誕生日おめでとう。確か8歳になったのではないか?」
温かく微笑む王の姿に、ハルカも嬉しそうに手を振った。
「はい!そうです、おじい様!」
その無邪気な笑顔に、王宮の重い空気も一瞬で和らぐ。
しかし、シューテュディはその空気に流される訳にはいかない。
先程の見たドラゴンの群れを思えば当然だ。
「父上、それどころではありません!ドラゴンの大群がソラリオンに向かっています!」
彼の言葉に、一同が王の反応を見守る。
しかし、王は意外にも落ち着いた様子だった。
「お前たちがなぜそれを知っている?」
逆に問い返される形になり、加奈が困惑する。
「もしかして、既にご存知だったのですか?」
「ああ、我が招待したのだからな……丁度良い。お前たちも一緒に会談に加わってくれぬか」
王の答えに拍子抜けする。
しかし、シューテュディは、父の様子の変化に気づいていた。
何かがおかしい——そんな予感があった。
***
しばらくすると、近衛兵が報告にやってきた。
「ドラゴン族の方々が到着されました」
「うむ、通せ」
王が命令する。
「えっあんな巨大なドラゴンが入ったら王宮壊れない?」
「ふふっ大丈夫よ、きっと」
ハルカが心配そうに呟くが、セレシュルムは何か知っているのか、含みのある言い方をした。
謁見の間の巨大な扉が、重い音を立てながらゆっくりと開かれる。
そこから現れたのは——
竜の鱗を模した鎧に身を包んだ一団だった。
背中には翼を思わせる装飾があり、ただ者ではないオーラを放っている。
特に先頭に立つ人物の眼力は異常で、他を圧倒する威圧感があった。
身長は2メートルを超え、その存在は王宮の広間をも小さく感じさせる。
加奈はその人物に一睨みされただけで、足が震え始めた。
あまりの迫力に、呼吸することすら困難になる。
これが——ドラゴンなのか。
「よくぞ来られた、古き友よ」
王は立ち上がり、歓待の言葉を口にした。
「紹介しよう。こちらはドラゴン族の王、バハムス・ドラクロニアス陛下だ」
バハムスが、絶対的な権威を保ったまま不敵にほほ笑む。
その一瞥だけで、場の空気が凍りつく。
「ドラゴン族は竜の姿と人に近い姿の二つを有するのだ」
王の説明に、加奈はドラゴン族がモンスターではない理由を理解した。
高度な知性と文明を持つ、別の種族なのだ。
オルミレイアス王がバハムスに加奈を紹介する。
「こちらが異世界人の佐倉加奈殿。オカートの創始者だ」
バハムスの視線が加奈に向けられる。
その瞬間、全身に電流が走ったような感覚に襲われた。
「そうか、お前が世界の消失について研究している者か」
「あ、は、はい。その通りでございます」
加奈が震え声で答える。
ドラゴン王の前では、どんな強者も子供のように怯えてしまう。
「ならば話が早い」
バハムスが重い口調で語り始めた。
「イドとこの世の均衡が崩れている」
「イド?」
加奈が聞き返す。
「なんだ。そんなの事も知らぬのか。愚か者め」
「も、申し訳ございません」
「イドとは魂が行く先、そして魂が生まれ来る故郷。ドラゴン族はイドを感じることができる」
その説明を聞いた瞬間、加奈に衝撃が走った。
分かる——ゴッド・クリエイトに繋がっていたのは『イド』と呼ばれる世界だったのだ。
現世に対して幽世。
端的に言えばあの世と呼ばれる世界。
二つで一つ、表と裏の関係にある。
世界は消えているのではなく、どこかに貯蔵されている、というのが加奈の仮説。
それがバハムスの語る『イド』。
本来はイドから現世に物質が現れるが、今は消える方が大きくなっている。
だからバランスが崩れている。
「このままでは全てがイドに沈む」
バハムスの言葉が重い。
「そうだ!私は『イド』から物質を引き出すことができます!」
「それを繰り返せば、この世界は助かるのですか?」
加奈が必死に問いかける。
その瞬間、バハムスの目つきが鋭くなった。
加奈が思わず身を縮こまらせる。
「自分だけが特別だと思わぬことだな、異世界人」
冷酷な声が心の奥底まで響く。
「この世界のモンスターは全て『イド』から生じる。そしてイドから力を得る。モンスターはイドより、この世に恵をもたらすのだ」
「それが……モンスター素材!」
「お前が無理矢理干渉すれば、それに呼応し『イド』はより力を欲するだろう」
「しょ、消滅が速まる?」
ドラゴンの王は小さく頷く。
「モンスターから進化した我らには、それが感じられる」
バハムスの言葉に、加奈が青ざめた。
自分の知らない未知の話。
謁見の間に沈黙が落ちる。
世界の真実が明かされた今、どう立ち向かうべきなのか。
答えの見えない問いが、一同の心を重く圧迫していた。




