352話 神器と襲来
ダンジョン最下層の居住区画で、ささやかな誕生日会が始まった。
普段は研究施設として使われている一角を、今日だけは特別に家族の憩いの場に変えている。
テーブルには加奈が腕によりをかけて作った手作りのケーキと、異世界の食材を使った日本の家庭料理が並んでいた。
ヒカリダケが柔らかく照らす中、まるで普通の家庭のような温かい雰囲気が漂っている。
「わぁ!いい匂い!すっごぉーい!」
ハルカが満面の笑みを浮かべ、走り回って喜んでいる。
目は見えないが、香りと温かい空気で十分に幸せを感じ取っているようだ。
「8歳のお誕生日おめでとう、ハルカ」
シューデュディが改めて祝福の言葉を口にする。
愛情が込められた言葉に、ハルカの顔がほころんだ。
「ほんとに大きくなったわね」
加奈も感慨深げに娘を見つめる。
この8年間、世界の危機と研究に追われた日々。
それでも、確実に成長してくれた我が子への愛おしさが溢れていた。
「さぁー今日は特別よ、たくさん飲みましょう!」
セレシュルムが優雅にテーブルの上のグラスに果実酒を注ぐ。
ハルカには特製の果汁ジュースが用意されている。
家族の温かい団らんの時間が始まる。
ダンジョンの薄暗さを忘れさせる、幸せに満ちた空間がそこにあった。
***
「ねぇハルカ、竪琴を教えてあげましょうか?」
食事を終えたセレシュルムが、美しい装飾の施された竪琴を手に取った。
エルフの伝統工芸で作られたその楽器は、月光のような光を放っている。
「やってみたい!やってみたい!」
ハルカが手を叩いて喜ぶ。
音楽への興味は、生まれつき鋭敏な聴覚を持つ彼女の特性でもあった。
「じゃあ、まずは指の置き方から教えますわ」
セレシュルムが優しくハルカの小さな手を取り、弦の位置を教える。
最初はぎこちない動きだったが、数分もすると美しい音色が響き始めた。
「凄い上手!才能がありますわよ、ハルカ」
「本当ぉー?」
「ええ、本当ですわ!」
褒められて嬉しそうなハルカの笑顔。
一同もつられて微笑む。
「音楽は心の言葉です。人の心がわかるハルカなら、きっと素晴らしい演奏ができるようになりますわ」
セレシュルムの予言めいた言葉に、シューデュディも頷く。
「さあ、今度はお母さんからのプレゼントよー」
加奈が大きな箱を差し出した。
表面には複雑な紋様が刻まれており、明らかに普通の贈り物ではない。
「なぁに?何ぁんだろぉ?何ぁんだろぉ?」
ハルカがワクワクしながら箱を開ける。
その瞬間——
「きゃーーー!虫ーーー!虫よ!」
セレシュルムが悲鳴を上げて後ずさりした。
ハルカも「いゃあん!」と驚いて尻もちをつく。
箱の中から現れたのは、親指ほどの大きさの虫の形をしたアイテムが数十個。
それらは美しい金属光沢を放ちながら、生きているかのように羽を震わせている。
「アイテムにしても虫の形はちょっとどうかと思う……」
シューデュディも苦笑いを浮かべる。
「機能を極めていったらこうなったの!」
加奈が怒ったような口調で反論した。
「形はともあれ、性能は抜群なのよ!これは『ミズチ』、ハルカの能力に対応するように設計したの!」
そう言いながら、一匹のミズチを手に取る。
それはふわりと宙に浮き上がった。
「飛んでる……」
ハルカが息を呑む。
「これはハルカの感応能力に連動するのよ。試しにやってみて」
加奈がハルカに促され、集中し始めると——
「きゃぁぁぁぁ!」
ハルカが突然大声を上げた。
皆が心配するが、ハルカの表情は驚きから喜びへと変化していく。
「見える!見えるの、お母様!本当に見えるの!」
興奮して叫ぶハルカ。
ミズチが捉えた視覚情報が、精神感応を通じて直接ハルカの脳に伝わっているのだ。
しかも、思考だけで自在に操ることができる。
加奈の目に涙が浮かぶ。
8年間、娘の障害を何とかしてあげたいと願い続けてきた母親の想いが、ついに形になった。
「お母様……ありがとう……」
ハルカはミズチを通して初めて見る母親の顔を見入っている。
「じゃーん!そして、これも完成したわ!」
加奈がさらに3つのアイテムを取り出した。
剣と鏡と勾玉。
神々しいまでの美しい輝きを放って部屋を照らす。
「究極のオカートよ。『クサナギ』『ヤタノカガミ』『ヤサカニ』」
一つずつ手に取りながら説明を始める。
「この剣はクサナギ。相手の能力を自由に封印できる。どんなに強力なスキルや魔法も、これがあれば無効化可能よ。ステータスや感覚器、なんでもござれ!」
シューデュディにクサナギを手渡す。
黄金に輝く剣は荘厳な光を放つ。
「ヤタノカガミは使用者のイメージを投影し具現化できる。他にも相手の精神や記憶を共有する事も出来るの」
ハルカにヤタノカガミを渡す。
表面には神秘的な模様が浮かんでいる。
「これがある意味一番強力。ヤサカニは可能性を封印する。失敗する可能性があるものは必ず失敗。何もする事も出来なくなる」
セレシュルムにヤサカニを託す。
勾玉の形をしているが、内部で光が脈動している。
「どれも直接命を奪わず、相手を無力化する理想の武器よ」
「オカートは魂に直接働きかけるから、物理的なダメージは与えられないけどね」
加奈の説明に、三人とも神器の重みと責任を感じながら受け取った。
「物理的な力がない代わりに世界を消費せずに力を発揮できる。これこそが魔法に代わる新しい力!」
「これで……これで闇に対抗できるのか」
シューデュディの質問に加奈が頷く。
「実験をしてみましょうか?」
加奈がハルカに、自分で見たものを鏡に映して皆に見せるよう指示した。
ハルカがヤタノカガミに集中すると、表面の模様が変化し、部屋の様子が映し出される。
「へーすごい……まるで窓みたい」
セレシュルムが感動の声を上げる。
「技術の進歩は驚異的だな」
シューデュディも素直に驚嘆していた。
「じゃあ次、ミズチの本格的な性能試験をしてみましょう」
ミズチをダンジョンの外、遥か遠くまで飛ばし、その映像をヤタノカガミに映し出す。
ソラリオンの上空を飛び回る壮大な景色が鏡に現れた。
「美しい……」
雲の上から見下ろす街並みの美しさに、皆が見入る。
エルフ王国の首都は、空から見ると宝石を散りばめたような輝きを放っていた。
「同時に様々な場所に飛ばすことができて、自在に切り替え可能なの」
ハルカが操作すると、映像が次々と変わる。
森、山、川、そして遠くの海まで——様々な風景が映し出された。
「これがあれば偵察も完璧ね」
セレシュルムが感心する。
「ミズチの1体をハルカの傍に配置すれば、目の代わりになるわ」
「お母ぁ様……本当にぃありがとう!」
ハルカが心から感謝の気持ちを示す。
初めて得た視覚という感覚にまだ戸惑いながらも、新しい世界への扉が開かれた喜びに満ちていた。
そんな中、ヤタノカガミに空を飛ぶ巨大な影の集団が映像に映った。
「あれはぁ……何?」
ハルカが不思議そうに問う。
最初は雲の影かと思ったが、明らかに違う。
「ミズチを近くに寄せて。詳しく観察しましょう」
映像がズームアップされると——
「ドラゴン……しかも数十体……」
シューデュディが息を呑んだ。
巨大な翼を持つドラゴンたちが編隊を組んで飛行している。
しかもソラリオンに向かって一直線に向かっていた。
「これは……緊急事態だ」
シューデュディが立ち上がる。
「なぜドラゴンが集団で……」
セレシュルムも青ざめている。
楽しい誕生日会が一転して、緊急体制に変わった。
平和な時間は、あまりにも突然に終わりを告げた。




