350話 決断(後)
愕然としていたシューデュディの表情が一転し、目を輝かせた。
「本当に!私の子が!」
興奮のあまり飛び上がる。
「信じられない!夢のようだ!これは奇跡だ!」
両手を天に向けて大げさに喜びを表現する姿は、王の威厳など微塵もない。
「エルフは何百年も生きて、子供を授からないことも珍しくないのに……きっと神の御加護だ!」
感動で声を震わせるシューデュディ。
そして突然、加奈の前に膝をついた。
「ぜひあなたを正式に王妃として迎え入れたい!」
真剣な眼差しで宣言する。
「盛大な式を挙げよう!全国民で祝おう!新しい命の誕生を!」
しかし、加奈の表情は依然として暗いままだった。
セレシュルムも深刻な顔で兄を見つめている。
「お兄様……ちゃんと現実を見て」
セレシュルムが冷静に、厳しい口調で言った。
「そして、よくお考え下さい!」
セレシュルムが怒りを込めて反論を始める。
「エルフの王族に人族の血を入れるわけにはいかないでしょう!」
「しかも異世界人?血統を重んじる重鎮たちが黙っているはずありません!」
的確な指摘が矢継ぎ早に飛ぶ。
「加奈はルナークの軍事の要でもある。王妃を最前線に立たせる訳にはいかない。政治的・軍事的混乱は避けられませんわ」
「それに王位継承はどうするおつもり?ハーフエルフに王位を継がせる気ですの?」
冷静で現実的な話に、シューデュディも言葉を失う。
「何より……お父様は何と仰るでしょうか」
セレシュルムの最後の一言が、重い現実として三人の前にのしかかった。
政治、血統、そして家族の問題。
すべてが複雑に絡み合い、容易な解決策など存在しない。
「セレシュルムの言う通りだと思う」
加奈も同意する。
「私だって元の世界に帰るつもりだもの。ここには留まれない。それは今も変わらないわ」
迷いながらも、決意を込めて告げる。
「それに寿命も違う。私は80年程度、あなたたちは1000年以上……」
「ハーフエルフは様々な問題を抱えて生まれることも多いと聞きますし……ね」
セレシュルムが追い討ちをかける。
「何より……」
加奈の声が震えた。
「元の世界には息子が待っているの。今もきっと寂しがってる……なのに私だけ新しい家族を作るなんて……」
遥斗の顔を思い浮かべ、涙がこぼれる。
母親としての愛情が、彼女の心を激しく揺さぶっていた。
重い沈黙が部屋を支配する中、セレシュルムが口を開いた。
「危険だけど……堕胎するしかないわね」
冷酷とも思える非常な提案だった。
「強い衝撃を与えて流産させる。すぐに治癒魔法をかければ、命に別状はないはず」
「勿論……リスクはあるわ。どんな後遺症が残るか。最悪の場合、加奈の命も……」
医学的な知識も乏しい中での危険な選択肢に、一同が青ざめる。
加奈が苦渋に満ちた表情で頷いた。
「仕方ない、と思う……お願いできる?」
「最悪、私のゴッドクリエイトで医療器具を作って何とかするつもりだけど」
二人の女性が危険な解決策を模索している。
しかし、ひとりだけ納得できずにいる者がいた。
シューテュディだ。
「待ってくれ!」
シューデュディが両手を広げて二人を制止する。
「頼む!私の子にそんな酷いことはしないでくれ!」
懇願するような声だった。
「君たちは分からないかもしれないが、エルフは1000年生きても子供を授かるとは限らないんだ」
「エルフの子供への愛情は、人族の比ではない!」
必死に訴えるシューデュディ。
そして突然、加奈に抱きつき、そっとお腹に耳を当てた。
「……聞こえる」
シューデュディの目に涙が浮かぶ。
「人族には聞こえない微かな鼓動が……私にははっきりと聞こえるんだ」
感動で声を震わせる。
「この子は必死に生きている!生きたがってる!……私たちの子が、確かにここにいる」
涙を流しながら、シューデュディが宣言した。
「私が守る!加奈も子も必ず守り抜く!例え全世界を敵に回しても!」
「だから、どうか……どうか生んであげて欲しい」
必死に懇願する。
「例え公に認められなくとも、例え王位を捨てることになっても……」
その真剣な眼差しに、加奈の心が激しく揺れ動いた。
しばらくの沈黙の後、セレシュルムが小さくため息をついた。
「……お兄様の気持ち、分からなくはありません」
「確かに、エルフにとって子供は奇跡のような存在……私だって、いつか母親になれるならなってみたいです」
セレシュルムが加奈に向き直る。
「加奈……私も本当は生んで欲しい。きっと、きっと何とかなりますわ」
二人からの願いに、加奈の心が大きく揺れる。
無意識に、加奈は自分のお腹にそっと手を当てた。
この世界に来てから、魔力を感知できるようになっていた加奈。
集中すると、お腹の奥で微かに脈打つ小さな命の存在が感じられる。
とても小さく、とても儚い。
けれど確かにそこにある、新しい生命の鼓動。
「……感じる」
加奈が震え声で呟いた。
「この子が……生きてる」
涙が頬を伝って落ちる。
命を感じてしまった以上、もう堕胎など考えられない。
母親として、その小さな命を守りたいという想いが心の奥から湧き上がった。
「……生みます」
愛する息子への想いと、新しい命への愛情。
元の世界への責任と、この世界での絆。
すべてが複雑に絡み合いながらも、母親としての本能が加奈の答えを導き出していた。
シューデュディとセレシュルムが、安堵と喜びの表情を浮かべる。
新たな命を巡る複雑な現実は変わらない。
しかし、三人はその困難に立ち向かう決意を固めた。




