338話 これで言葉が分かるか?
2日程歩いて、ついに森を抜けた二人。
鬱蒼とした木々の向こうに、遠く街の輪郭が見えてくる。
加奈は思わず安堵のため息をついた。
「やっと……人のいる場所に来たんだ」
最初は恐ろしい世界だと思ったが、あれからモンスターには出会わなかった。
森の中で様々な動物を見かけたが、やはり元の世界とは大きく違っている。
角が生えた兎や、翼を持つ小さなリス。
まるで絵本の世界から抜け出してきたような、幻想的な生物たち。
エルフが時折警戒しながらも、基本的には平和な道のりだった。
加奈の足取りも、だんだんと軽くなってくる。
思ったほど、この世界は凶悪ではないのかもしれない。
街に入る前に、エルフがフード付きのマントを加奈に差し出した。
よく分からないが、彼の真剣な表情を見て素直に受け取る。
深緑色の上質な布で作られたマントは、肌触りが良く温かい。
頭からマントを被り、フードで顔を隠す加奈。
エルフも同様にフードを被った。
(何か理由があるのね)
加奈が察する。
自分が目立つと、何か問題があるのだろう。
エルフが加奈の様子を確認してから歩き出す。
いよいよ異世界の街に足を踏み入れる。
緊張と期待が入り混じった気持ちで、加奈は深く息を吸った。
***
街に入った瞬間、あまりの光景に息を呑んだ。
街は巨大な樹木を利用して家屋が創られている。
まるでファンタジー映画の世界そのもの。
幹に掘られた窓と扉。
内部がくりぬかれて、居住スペースがあるのだろう。
枝に架けられた橋では、多くの人々が行き交っている。
そして、街に住んでいるのは全てエルフだった。
金、銀、緑、様々な髪の色を持つ美男美女が優雅に行き交う。
その美しさは人間の常識を遥かに超えており、まるで神話の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。
人間の姿は一人も見当たらない。
フードを被っていなければ、一体どうなっていたか分からない。
助けてくれたエルフに、心から感謝した。
エルフが歩き出し、加奈がその後ろをついて行く。
街は想像以上に広く、歩いても歩いても目的地に辿り着かない。
樹上に作られた通路や建物の美しさに、加奈は何度も見とれてしまう。
螺旋階段を登り、吊り橋を渡り、まるで空中都市のような構造。
エルフたちの優雅な暮らしぶりが垣間見える。
美しい装飾品を売る店、香り高い料理を作る食堂、色とりどりの花で飾られた住居。
すべてが芸術作品のように美しく、自然と調和が取れている。
日が暮れ始める頃、一軒の店のような建物の前で足を止めた。
人工の光が窓から漏れ、看板には美しい文字が刻まれている。
エルフが中に入るので、加奈もついていく。
どうやら宿屋のようで、受付でエルフが何かを話していた。
宿の主人もエルフで、丁寧に対応してくれた。
時折加奈の方を見るが、特に怪しまれている様子はない。
食堂に案内され、温かい食事が運ばれてくる。
木の実を使ったスープ。
香草で味付けされた野菜の炒め物。
そして肉料理。
食べてみると味は薄いが、素材本来の味で十分美味しい。
何より、温かい食事を座って食べられることが嬉しかった。
森での2日間、野草とキノコのスープしか口にしていなかったのだから。
肉料理を口に運ぶ加奈の様子を見て、エルフが楽しそうな表情を見せる。
言葉は通じないが、喜びは確実に共有できている。
久しぶりにお腹いっぱい食べることができ、加奈の心にも余裕が生まれてきた。
食事が終わると、部屋に案内された。
ベッドが一つだけある小さな部屋で、加奈が身構える。
このエルフは確かに親切だが、男性であることに変わりはない。
生きるために、どんな事も受け入れる覚悟は決めているが、やはり不安だった。
しかし、エルフは床に毛布を敷いて横になってしまう。
ベッドは加奈のために譲ってくれたのだと理解した瞬間、頬が赤くなった。
この人は本当に紳士なのだ。
久しぶりの柔らかなベッドの感触に、加奈は安堵のため息をついた。
疲労と安心感で、あっという間に深い眠りに落ちる。
エルフが静かに見守ってくれている安心感に包まれて、この世界に来て初めて、ぐっすりと眠ることができた。
***
翌朝、エルフに起こされて目を覚ます。
かなり深く眠っていたのか、起こされるまで夢も見なかった。
次の日は朝から出立する。
目的地は、街の中心のようだった。
また、かなりの距離を歩き、加奈の体力は限界に近づいてくる。
それでも歩みを止めない。
遥斗の元に帰る。
そのためなら、どんな苦労も乗り越えてみせる。
ひと際大きく豪華な建物が見えてきた。
まるで宮殿のような荘厳な造りで、入り口には武装した衛兵が立っている。
加奈は怯むが、エルフは平然と近づいていく。
すると、衛兵たちがエルフに深々と敬礼した。
どうやら、かなり身分の高い人物だったようだ。
加奈は改めて、自分を助けてくれたエルフの顔を凝視する。
段々高貴な身分に思えてくるから不思議だ。
複雑な作りの宮殿内を案内され、上層階へ向かう。
階段を登る度に、より豪華で荘厳な場所に出る。
美しい絵画、精巧な彫刻、宝石で飾られた装飾品。
その豪華さは、お金持ちというレベルを遥かに凌駕していた。
これは王宮なのだ。
知識ではなく、心がそうだと理解する。
最上階の大広間に出ると、立派な玉座に壮年のエルフが座っている。
威厳に満ちたその姿に、加奈は圧倒された。
まさに王の風格を備えた人物。
一緒にいたエルフが膝をつき、加奈も慌てて真似をする。
壮年のエルフと、自分を救ってくれたエルフが何かを話している。
時折加奈の方を見る視線を感じ、緊張で背中に汗をかいた。
しばらくして、壮年のエルフが立ち上がり、加奈に近づいてくる。
緊張で思わず目を瞑ってしまう。
「痛ぁ!」
エルフが加奈の頭上に手をかざすと、激しい頭痛が加奈を襲った。
頭の中に何かが流れ込んでくるような感覚。
まるで脳に直接情報が注ぎ込まれているかのような、身の毛がよだつ不思議な感覚だった。
「これで言葉が分かるか?言語理解の魔法を使った」
突然、声が頭に響いた。
加奈がはっと顔を上げる。
エルフの言葉が、日本語として理解できるようになっている。
魔法による言語理解——また一つ、この世界の神秘を目の当たりにした。




