335話 神樹ユグドラシル
「お母様です」
ハルカのその言葉に、会議室の全員が困惑していた。
あまりにも突飛な発言に、誰も言葉を発することができない。
沈黙だけが重く会議室を支配している。
エーデルガッシュが代表してハルカに尋ねる。
「どういった意味か分かりかねる。何かの例えなのか?」
ハルカが静かに首を振る。
「いえ」
そして、断言した。
「これは正真正銘『佐倉加奈だった』ものです」
その言葉に会議室の空気が凍りついた。
まるで時間が止まったかのような静寂が訪れる。
ルシウスが眉をひそめた。
「だった、とは?まさか……」
エレナも顔を青くして呟く。
「過去形って、つまり……変化したってこと?」
グランディスが震え声で口を挟む。
「おい、ちょっち待ってよ。あれが人だったって?冗談ぽいだぜ……」
「冗談ではありません。彼女は500年程前に魔物を生み出す樹『神樹ユグドラシル』となりました」
ハルカの説明に、全員が愕然とする。
ルシウスが立ち上がる。
「500年前?君はいつ生まれたんだ?まさかあの樹か?そんなことがあり得るのか」
イザベラも困惑を隠せない。
「見た目はエルフの子供にしか見えない……エルフならば20年程で大人の成体になるはずです。そこからは容姿は衰えないと聞きますが……」
マーガスも頭を抱える。
「いや、確かにおかしい。ハーフエルフでもこんなに小さいままなんて……」
その時、ブリードが声を荒らげた。
「一体何歳なのだ?答えろ!」
ハルカが少し考えてから答える。
「年齢は……忘れました」
「な……」
予想外の答えに、ブーリードの体温が上がる。
まともに受け答えをする気はないのかと疑念を抱く。
「おそらく500歳位でしょうか?」
ハルカが続ける。
「お母様が人の姿をしていた時に生まれましたので」
ブリードが激昂し、机を思い切り叩いた。
「ふざけるな!話にならん!何もかも信じられん!」
ドンという大きな音が会議室に響く。
「人が樹になるだと?500歳だと?16歳の少年を兄と呼ぶ500歳が存在するか?矛盾だらけだ!愚弄するのも大概にしろ!」
「止めよ、ブリード!」
エーデルガッシュが慌てて制止する。
しかし同時に、厳しい表情でハルカに向き直った。
「すまないが、詳しく説明を求める。理解が追い付かないのでな」
そして核心を突く質問を投げかける。
「なぜ16歳の遥斗を500歳のあなたが兄と呼ぶのか?教えて欲しい」
遥斗だけが冷静さを保っていた。
頭の中で情報を整理し、全てを理解し始めている。
転移、時間、空間……様々な可能性が脳裏を駆け巡る。
(そうか、そういうことか……)
小さく呟く遥斗の声に、エレナが気づく。
「遥斗くん、大丈夫?顔色が悪いわよ?」
理解できても、現実を受け入れられることは別問題だった。
顔は青くなり、遥斗はテーブルを見つめ続ける。
「ねえ、遥斗くん?本当に大丈夫?少し休憩した方がいいんじゃない?あんな激闘の後なんだから……無理しないで」
退出を促すエレナに、遥斗は首を振る。
「ごめん……大丈夫……」
震え声だが、明確な意志が込められている。
「まだ聞かないといけない事が沢山あるから。逃げちゃ駄目なんだ」
その瞳に力が戻った。
エーデルガッシュの質問に、ハルカが答える。
「分かりました。出来るだけお答えします。しかしその為には『佐倉加奈』、お母様の人生について語らねばなりません」
前置きをしてから確認する。
「とても長い話になります。それでも宜しいでしょうか?」
エーデルガッシュが遥斗の方を見る。
遥斗がゆっくりと、エーデルガッシュと目を合わせる。
「お願いします」
静かに告げた後、さらに続ける。
「僕は……僕は母さんのことを何も知らない。知りたいんです、何があったのか」
エレナが心配そうに遥斗の手を握る。
「遥斗くん……」
「大丈夫だよ、エレナ」
遥斗がエレナの手を握り返す。
「君がいてくれるから」
「それでは私から話そう」
沈黙を続けていたアマテラスが口を開いた。
説明を申し出る声には、先ほどまでの威圧的な雰囲気はなかった。
「我々にとって辛い話になるが……どうか最後まで聞いて欲しい」
その瞳は、人族の抹殺を企てた男のものとは思えない。
優しさと深い悲しみを携えた表情に変わっている。
ツクヨミも憂いを帯びた表情で呟く。
「佐倉加奈……懐かしい名前ね」
「彼女がいなければ、こうはならなかった……違うわね……この世界は既に無かった」
ルシウスが前のめりになる。
「君も佐倉加奈を知っていたのか!」
マーガスもゴクリと唾を呑み込んだ。
「遥斗の母親が、教団がこうなってしまった原因?彼女がいなければ、この世界は既に無かった……?」
会議室の全員がアマテラスの話を聞く準備を整える。
遥斗は母親の真実を知る覚悟を決めた。
「アマテラスさん。母の事を……教えてください」
重い沈黙の中、運命的な物語が始まろうとしていた。




