327話 勝利の行方
太陽神アマテラスが倒れた瞬間、戦場は時の流れすら止めるような静寂に包まれた。
空気が凍りついたかのように誰も動かず、風さえも息を潜めている。
ただ、漂う鉄と血の匂いだけが、これが現実だと物語っていた。
呼吸することすら憚られるような緊張の中、視線は横たわるアマテラスに釘付けになる。
太陽の如く輝いていた金色の髪が、今は深紅の血に染まり、溶けるように地面に広がっていた。
狂気に満ちた瞳は閉ざされ、生死すらも分からない。
ピクリとも動かない身体の周囲に、赤い血だまりが静かに広がっていく。
まるで彼岸花が咲くように、ゆっくりと、確実に。
ダンジョン内の光がその姿を照らし、戦場を幻想的な光景に変えていた。
帝国側陣営から、震えた声が漏れる。
「おい……勝ったのか……本当に勝ったのか?」
その小さなつぶやきは、まるで波紋のように周囲に広がった。
エーデルガッシュが拳を掲げる。
「我々の勝利だ!」
少女皇帝の高らかな宣言が戦場の空気を震わせると、それまで堰き止められていた時間が一気に溢れ出した。
「やったぞ!」
「帝国の勝利だ!」
「皇帝陛下万歳!!」
爆発的な歓声が上がり、戦場の空気が一変する。
両手を突き上げる者、涙を流す者、抱き合って喜ぶ者——それぞれが己の方法で勝利を噛み締めていた。
意外にも、クロノス教団側の表情にも安堵の色が浮かんでいる。
長きにわたる重圧からの解放に、ほっとため息を漏らす兵士たちの姿があった。
そんな中、ツクヨミだけは別の世界にいるかのように、静かにアマテラスへと歩みを進めていく。
兄の傍らに膝をつき、そっと胸に手を当てる。
微かな鼓動を感じ取れた。
「良かった……生きてる」
その言葉と共に、ツクヨミの瞳から一筋の涙が流れ落ちた。
それは安堵の涙であり、同時に複雑な感情の現れでもあった。
やがて彼女は立ち上がり、遥斗の前に歩み寄る。
「あなた、職業を入れ替えているのではなくて、本当に追加しているの?」
「ええ」
「私たちは数多の犠牲の上に、やっと職業を変化させることができる。けれど、あなたは違うのかしら」
ツクヨミの声に宿る哀しみは、彼女が背負ってきた苦悩の歴史を物語っていた。
遥斗が少し考えを巡らせてから答える。
「色々犠牲はあるとは思いますけど……今のところ、取り返しのつかない事にはなってないんじゃないでしょうか?」
「そう……もっと早くあなたに出会えていたら……」
そして、戦場に響く静かな宣言。
「完敗だわ」
その言葉が、長きにわたる戦いの終結を告げる鐘となった。
改めて帝国側から大きな歓声が上がる。
勝利の確定に、興奮が最高潮に達していた。
「遥斗くん!」
エレナの叫び声が戦場を貫く。
彼女は血まみれの遥斗に向かって駆け寄り、躊躇なく抱きつく。
「師匠ー!」
シエルが涙を流しながらすっ飛んでくる。
その小さな体は、感情を抑えきれずにいた。
「遥斗ー!やるじゃねーか!ただ者じゃねーとは思ってたけど、凄すぎんだろ!」
グランディスの豪快な笑い声が場の雰囲気を明るくする。
仲間たちが遥斗の元に集まり、もみくちゃにされる光景は、戦場の血なまぐささを忘れさせる温かさに満ちていた。
「……まだだ!」
その時——空気が再び凍りついた。
かすれた声が戦場を支配する。
全員の視線が一斉にアマテラスに向けられた。
血に塗れた太陽神が、クサナギを杖代わりにしてゆっくりと立ち上がっていた。
「こんなところで終われるはずがない!この終わり行く世界の為にぃ!」
吠える声には、狂気と信念が入り混じった恐ろしい意志が宿っている。
身体はボロボロで、立っているのが奇跡的に見える。
しかし、その精神だけは決して折れていない。
「まだ戦う気なのか?」
「信じられない……アンデッドじゃないのか……」
クロノス教団の兵士たちの表情に困惑が広がる。
主君の異常な執念に、もはや恐怖しか無かった。
「もうやめましょう!これ以上は無意味だわ!」
ツクヨミの懇願が空しく響く。
どの様な言葉も、アマテラスの耳には届かない。
血で滑りそうになりながらも、剣を構え直すアマテラス。
その前に、遥斗が静かに立ちはだかった。
「いいよ?最後までやろうか。その方がお互いの未来にとっていいんでしょ?」
その言葉の真意を理解したアマテラスの唇に、僅かな微笑みが浮かぶ。
それは、長い戦いを通じて生まれた奇妙な信頼関係の証だった。
二人だけが理解し合える領域。
クロノス教団はやり過ぎた。
誰かが責任を取らなければ、和解の道などない。
アマテラスが教団を守るために悪役を演じ続けること、そして遥斗がその意図に協力すること。
それは絶対に必要な禊だった。
ツクヨミの瞳に涙が光る。
「兄さん……あなたは……」
「後はお前に託す……」
アマテラスの言葉は短いが、その中に全ての想いが込められていた。
観戦者たちが後退し、再び戦いの舞台が整う。
「それじゃ……行くよ」
遥斗の呟きは、瀕死のアマテラスに届く。
アマテラスはこくりと頷く。
その瞳に狂気は無く、穏やかな光を宿していた。
戦士として、王として、最後の誇りを胸に死ぬ覚悟なのだ。
二人の間に流れる静謐な空気は、運命の女神がもたらした神聖さに満ちていた。
「そこまで!」
その時——戦場を切り裂く声が響いた。
クロノス教団側から発せられた叫び声に、全員の注意が向けられる。
教団の陣形が左右に分かれ、まるで海が割れるように道が作られていく。
そして、その道の先に現れたのは、一人の少女だった。




