307話 最後の一撃
血の海に沈むマーガスが、震える手で地面を押し、立ち上がろうとしている。
その姿は、もはや人の形を成しているのが奇跡と言えるほど痛ましかった。
全身から血が噴き出し、立っているだけで精一杯——誰の目にも、これ以上の戦闘続行は不可能に見えた。
しかし——
「まだ……戦える……!」
マーガスの左腕が、ミスリルのスモールシールドに触れる。
その瞬間、彼の瞳に最後の炎が宿った。
「アルケミック……」
掠れ声での詠唱と共に、小さな盾が形を変える。
銀色に輝く美しい剣——ミスリル製の刃が、彼の左手に握られた。
右手には緋色のヒイロガネ、左手には銀色のミスリル。
二刀流の構えを取るマーガスを見て、アリアは心底呆れた表情を浮かべる。
「まだやる気かよ……てめぇ、本当に死ぬぞ?」
その声には、怒りよりも悲哀が滲んでいた。
これ以上弟子を傷つけたくないという、師匠としての純粋な願い。
だが、マーガスの決意は揺るがない。
(これが……俺の持てる全て!)
右手の赤い剣と左手のミスリル剣を巧みに操り、バロック流を応用した独自の戦法を展開する。
二刀流など、本来彼が学んだことのない技術。
しかし、この瞬間のマーガスには、技術を超越した「何か」があった。
「これが俺の全力だーーー!双竜漸剣!」
マーガスの絶叫と共に、高速で突進する。
二本の剣が複雑な軌道を描き、まるで生きた竜のようにアリアの死角を突いた。
右から、左から、上から、下から——予測不可能な連続攻撃。
「やるじゃねーか!」
アリアが感心したような声を上げる。
しかし、その表情にはまだ余裕があった。
彼女はシュトルムヴァッハーを軽やかに振るい、マーガスの攻撃を次々と受け流していく。
ただし——
(……思ったよりやっかいだぜ!なんだこの剣の『しなり』は!)
アリアの顔に、わずかな緊張が走る。
マーガスの技は、想像以上に洗練されていた。
死地に追い込まれた人間が見せる、最後の輝き。
それは確かに、アリアを追い詰めつつあった。
ガキン、ガキン、ガキン!
金属音が連続して響く。
マーガスの二刀とアリアの一刀が、目にも止まらぬ速度で交錯する。
火花が散り、風が巻き起こる。
(このガキ……本当に……)
アリアの口元に、誇らしげな笑みが浮かんだ。
だが、決着の時はそこまで来ていた。
「楽しかったぜ!目に焼き付けやがれ!月光剣・天衣無法!!」
アリアの奥義が炸裂する。
シュトルムヴァッハーから放たれた光刃は、もはや剣撃の域を超えていた。
巨大な光の奔流が、マーガスを呑み込もうとする。
「うおおおおぉぉぉーーー!」
マーガスはヒイロガネの刀身で斬撃を受け止めようとした。
赤き剣が光と激突し、凄まじい衝撃波が発生する。
しかし——
バキ……ン。
無情にもヒイロガネの剣が砕け散る。
そのまま光刃がマーガスの右腕を襲った。
「がああああああぁぁぁーーー!」
マーガスの絶叫が戦場に響く。
彼の右腕が、肩口から完全に切り落とされていた。
噴き出す鮮血が地面を染め、切断された腕が鈍い音を立てて落下する。
激痛で膝をつくマーガス。
その惨状を見て、アリアは剣を降ろした。
「おい……大丈夫か?」
アリアが心配そうにマーガスに駆け寄る。
勝負は決した——そう思った瞬間だった。
マーガスは意識朦朧としながらも、まだ諦めていない。
近づくアリアを見上げる。
「……アルケ……ミック……」
彼の残された左手が、銀の胸当てに触れた。
最後の力を振り絞り、掠れ声で呟く。
銀の胸当てが細い刃物——まるで投擲用の短刀のように変化した。
細い刃がアリアの喉元目掛けて飛ぶ。
至近距離からの不意打ち。
回避は不可能。
しかし、アリアの反応は神業だった。
反射的に左腕でガードし、刃が彼女の腕に深く刺さる。
血が滴り落ちるが、致命傷は免れた。
「……やっぱり……師匠は……最強だ……」
マーガスが満足そうに微笑む。
その表情には、もはや苦痛はなかった。
達成感だけが、彼の心を満たしていた。
「全力を……出し切れた……これで悔いは……ない……」
声が次第に小さくなっていく。
「後は……お願いします……遥斗を……」
そう呟いて、マーガスは意識を失った。
「そこまで!」
アマテラスの声が戦場に響く。
「我が方の……負けを認める」
金髪のエルフの表情に、一瞬複雑な色が浮かんだ。
「見事だった、マーガス・ダスクブリッジ」
クロノス教団側から大歓声が上がる。
「やったぞ!」「お前は最高だ!」「最後まで凄かったぞ!」
兵士たちが急いでマーガスの元に駆け寄り、治療を始めた。
ツクヨミも足早に歩み寄り、両手を彼の胸の上にかざす。
「ヒール・リジェネレーション」
青白い光がマーガスを包み込み、切断された腕を接合していく。
完全な復活は無理でも、命に別状はない程度まで回復させることはできた。
対照的に、遥斗たちの陣営はまるでお通夜のような静寂に包まれていた。
勝ったはずなのに、誰も喜べない。
マーガスの純粋な想いを知った今、勝利の意味が分からなくなっていたのだ。
遥斗だけが素早くアリアに駆け寄り、刺さった刃を慎重に抜いて治療を始める。
「アリアさん、ありがとうございました。無事で良かった」
その声には、深い感謝の想いが込められていた。
だがアリアは浮かない表情で呟く。
「勝ったのに……何で俺たちがこんな気持ちにならないといけねぇんだ?」
その疑問に、誰も答えることができなかった。
エーデルガッシュは唇を噛んでいた。
自分たちの正義とは何なのか——その確信が、大きく揺らいでいる。
マーガスの想いを前に、自分の浅はかさが痛いほど知った。
重苦しい沈黙が流れる中、アマテラスが宣言する。
「次は私だ。対戦相手を選べ」
その宣言に、空気が一変した。
「十分後に第二回戦を開始する」
金色の瞳が、遥斗たちを見据える。
ついに、アマテラスが本気を出す時が来たのだ。




