301話 策謀渦巻く
「それで?復讐にでも来たか?」
金髪のエルフは、静かな湖面のような冷たい瞳でルシウスを見据えていた。
その視線は、幾星霜を経た者特有の、底知れぬ凄みがあった。
ルシウスは両手を軽く広げ、肩をすくめる。
「復讐も何も……私は自分の研究をしただけで教団の全貌を知らない。興味も無かったしね」
その態度には緊張感がなく、まるで小さな酒場での日常会話のようだった。
だが、次の言葉は少しだけ辛辣さを帯びる。
「ある日いきなり私に呪いをかけて、追放したのは貴方だと記憶しているけど?含むところがあるのはそちらでは」
太陽神を名乗る男の眉が、ほんの一瞬だけ動いた。
それは確かに、ルシウスの言葉が琴線に触れた証。
「ならば何用だ?」
アマテラスの口調は研ぎ澄まされた刃のようだ。
「もちろん遥斗君を助けにきたんだよ!」
ルシウスの明るい声が戦場に響いた――そして、シーンとした静寂が流れる。
空気は凍りつき、時間が止まる。
「コホン」
ルシウスは気まずそうに咳払いをし、微妙に姿勢を正した。
「ま、それもあるけど……異世界の法則について詳しいらしいね、君たち」
そう言って、彼はニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。
その表情には、ただの挑発ではない。
彼を知る者なら、誰でも意図が読み取れた。
ツクヨミは呆れたような表情で溜め息をついた。
「神子の力を失ってもまだそれなの?」
場の空気が次第に変わり始める。
エーデルガッシュが皆の前に躍り出た。
小さな身体には不釣り合いな程の威厳を纏って、彼女は高らかに宣言する。
「余の考えは変わらぬ。ヴァルハラ帝国はクロノス教団に対して話し合いによる解決を求める!」
しかし、アマテラスはその決意をあざ笑うかのように口角を上げた。
「お前は、人族、いや全ての知性ある者の抹殺に加担するのか?」
「違う!別の方法を模索する!」
「世界が……持たんぞ」
アマテラスの静かな言葉が、致命的な真実としてエーデルガッシュの胸に突き刺さる。
彼女の脳裏に、ハルカが見せた光景が蘇った。
大きく抉れた青い惑星。
そして刻一刻と広がる黒い虚無。
彼女は無意識に唇を噛んでいた。
「恭順か死か!選べ!」
アマテラスの言葉は、寒気を呼ぶような鋭さで場を支配した。
しかし、アリアはそんな威圧に屈する気配すら見せない。
「お前らぁなんで勝った気でいるんだぁ?」
彼女の口から吐き出された言葉は、完全な挑発だった。
と同時に、その身体から猛々しい闘気が解放される。
目に見えない波動が周囲に広がり、アリアの周囲の空気が揺れ動いた。
戦力差は一目瞭然、十倍以上。
アリアとてそれを認識していないはずはない。
だが、彼女の瞳は怯む気配を全く見せなかった。
その姿は、死ぬ瞬間まで牙を剥く猛獣のようだ。
彼女一人で何人道連れにできるか。
それを計算しながら、アリアは敵を値踏みしていた。
無茶な論理。
死中に活を求める賭け。
アリアの闘気に呼応するように、遥斗たちの面々からも殺気が立ち昇る。
戦場の空気が、今にも火花を散らしそうなほどに緊張で張り詰めていた。
しかし、教団側も並の者たちではない。
全力でぶつかれば、双方どれだけの者が生き残れるのか。
その答えは誰にもわからない。
「……アリア」
ルシウスの声が、静かに場に響いた。
「元シルバーファングリーダーとして言わせてもらうが、少しは冷静になろうよ?いい大人だろう」
穏やかだが、その芯には鋼のような強さが宿っている。
アリアはルシウスを睨み付けたが、闘気はみるみる萎んでいく。
「私から提案があるんだけど」
ルシウスは両軍の間に立ち、軽い声で告げた。
「三対三の代表戦で決着を付けよう」
その言葉に、教団側からも、遥斗たちの側からも、驚きの声が漏れた。
「勝った方の言い分を聞く。それでどうだい?」
アマテラスはわずかに考え込んだ後、意外なほどあっさりと頷いた。
「いいだろう」
遥斗は不思議に思った。
このまま戦えば十中八九、教団側の勝利は確実だ。
代表戦にして勝負をすれば、結果はどう転ぶかわからない。
圧倒的に有利なはずの教団側が、なぜこのような提案を受け入れるのか。
「お前たちの要求は何だ?」
アマテラスの問いに、エーデルガッシュが即座に答える。
「対話の機会と全ての情報の開示を求める!」
「そうか……ならばこちらの要求は」
アマテラスの唇が不敵に歪む。
「ヴァルハラ帝国はクロノス教団に全面協力、絶対服従を要求する!」
エーデルガッシュの表情が凍りついた。
この条件で負ければ、帝国住民は全て先兵として教団に利用される。
そこにスタンピードが発動すれば、人族の終わりを意味するだろう。
「陛下!」
イザベラが声を上げた。
その端正な顔は真剣そのものだった。
「これではリスクが大きすぎます。ご再考を!」
エーデルガッシュは黙り込み、瞳に迷いの色が浮かんだ。
「ならばハンデをやろう」
アマテラスの言葉に、全員の視線が集まる。
「こちらは私、ツクヨミ、マーガス・ダスクブリッジの三名を代表とする。その三名に対し、誰でも自由に対戦相手を提示してよい」
その提案に、遥斗たちの間でざわめきが起こった。
チャンスだった。
マーガス相手なら確実に一勝できる。
もう一つ勝てれば勝利だ。
だが、なぜこのような提案をするのか。どこかに罠がありそうだった。
エーデルガッシュは暫しの沈黙の後、静かに頷いた。
「了承した」
アマテラスは満足げに微笑んだ。
「一時間後、この場所で対戦を行う」
そう宣言すると、彼らは静かにその場を離れていった。
***
「取りあえずピンチは脱せたみたいだね~」
ルシウスがにこやか言うと、エレナがため息交じりに返した。
「おじ様、もっとピンチになってますけど」
彼女は、ルシウスに突っ込みを入れる余裕さえなかった。
エーデルガッシュが全員の前で正座し、深々と頭を下げた。
「皆の者よ……すまない、力を貸して欲しい。この世界の未来の為に……」
彼女の小さな背は、重すぎる責任を背負っている。
「陛下!お頭を上げください!」
イザベラが慌てて駆け寄る。
エーデルガッシュは顔を上げ、集まった全員に向かって語り始めた。
この世界で何が起きているのか。
どのような危機が迫っているのか。すべてを包み隠さず。
全員が青い顔をしていた。
沈黙が続いた後、アリアが声を荒げた。
「訳わかんねーよ!逆に何でお前らはそんなことが信じられるんだよ!」
彼女の言葉には怒りと困惑が混じっていた。
世界の根幹を揺るがすような事実を、「はい、そうですか」と簡単に受け入れられるはずがない。
だが、ハルカの能力を経験した者たちにとって、それは疑いようのない真実だった。
圧倒的な説得力。
「空の上には宇宙が広がっている」それが何故信じられるのかと問われても、それが真実だから、としか言えない。
「陛下」
ブリードが一歩前に出て、恭しく膝をついた。
「代表はどう選出されますか?」
エーデルガッシュは遥斗を見つめた。
「佐倉遥斗に決めてもらいたい、と余は考えておる」
遥斗は驚いて目を見開いた。
「そんな……無茶だよ。僕なんて……」
「いや、適任だよ」
ケヴィンの爽やかな声が遥斗の言葉を遮った。
「君が選んだのなら、結果がどうあれ悔いはない」
彼は遥斗に向かってウインクする。
その笑顔には、揺るぎない信頼が込められていた。
他の者たちも同じ思いだった。
彼らの表情からも、それは明らかだった。
ただし、イザベラだけは違った。
「申し訳ありませんが、光翼騎士団は参戦できません」
「軍が関与すれば、勝負に負けた時に王国に累が及びます」
イザベラは遥斗に向かって深々と頭を下げた。
「遥斗殿……申し訳ありません……」
遥斗は首を振った。
彼女の立場は十分理解していた。
それを責める気持ちはなかった。
「しかし、少しでも遥斗殿の力になります!」
イザベラは立ち上がり、アリアに向かって宣言した。
「アストラリア国王として告げる、冒険者パーティ『シルバーファング』はここで任務満了とする。報酬は後日、冒険者ギルドにて受け取って欲しい」
これにより、シルバーファングはもはや王国関係者ではなくなった。
エーデルガッシュの顔に、かすかな微笑みが浮かんだ。
「では今ここで、シルバーファングはヴァルハラ帝国と仮契約をして欲しいのだが」
アリアは拳を握りしめ、凶暴な笑みを見せた。
「……その依頼、請けたぜ!」
「依頼内容はまだ言ってないが……」
エーデルガッシュは思わず苦笑する。
「あのムカつく金髪エルフをぶった斬ればいいんだろ?」
アリアは腰に下げた剣の柄を軽く叩く。
「俺達は暗殺ギルドには所属していないぞ」
レインが冷静に言うが、その瞳には戦いへの昂揚が隠し切れていなかった。
「結局やることは一緒、です」
リリーが可愛らしく首を傾げた。
その仕草は、どこか不気味に映った。
「がははは!聖職者の言う事じゃねーな」
ガルスが豪快に嗤う。
遥斗はルシウスに向き直った。
「ルシウスさんは僕たちに協力しても大丈夫なんですか?」
ルシウスは笑顔で手を振った。
「軍属じゃないからね。へーきへーき。それにどうせ、ここで負けたら王国終わりだしね」
その気軽さとは裏腹に、恐ろしいほどの現実味があった。
「冒険者登録をした時点で、どの国にも縛られない自由を保障される」
「私も平気だよ」
エレナも優しく微笑んだ。
遥斗は深く息を吸い込んだ。
もう迷いはない。
覚悟は……決まった。




