織田弾正大弼「あーさーくーらー!!!!!」松永霜台「いえ、浅井の謀反です」
永禄13年(1570年)の若狭攻めですか。あぁ、途中で改元されたので元亀ですか。羅山殿も御役目とはいえ、また古い話を聞きたがりますのう。確かに当時を知る者で存命しているうち、ボケてもなく、暇を持て余しているのは私ぐらいでしょうが。ご苦労様なことですな。
え?朝倉征伐?
ああ、それはですな。朝倉攻めではなく「若狭の国人征伐」の名目で、当時の足利の大樹様が軍を動かしましたからな。
隣国の若狭で軍事的圧力をかければ、朝倉は戦わずして降参すると足利様と織田様は考えておられたのですな。名目を若狭の国人討伐にしておけば、朝倉の当主殿も最初から討伐対象とされるよりも頭を下げやすいだろうということですよ。
孫子だか孔子だかにあるでしょう?戦わずに勝つとかなんとか。
……あ?孫子でしたか。いや、年を取るとどうにも物忘れが。今から思えば甘い考えでしたな。
その2年前の上洛以来、一部を除いて何もかもが上手く行き過ぎていた弊害です。
一所懸命、武士とは所領を守るために命をかけるものです。無論武士だけではなく、これは寺も神社も変わりありませぬ。
織田様は持ちたるがに慣れていたが故、つまり銭で決着をつける考えに慣れすぎていたので、そうした古き武士の土地に対する考え方について、己が武士でありながら些か無頓着になっていたのですな。
理論的ではない?
羅山殿、それは心得違いというものです。
武士が先祖伝来の所領を命をかけて守る感情というものは、男と女の関係と同様に理屈ではないのです。
ましてそれが自ら血を流すことで他者から奪い取ったものなら、尚の事ですな……
誰だって自らが手を汚してケリをつけた敵の末路と、同じ軌跡を己が一族郎党に辿らせたくはないものでしょう?
-『本朝通鑑』編纂時における諸記録の一部より抜粋。内容からは林道春先生自らが取材者に尋ねたものと思われる-
*
永禄13年(1570年)4月20日。
北陸道の各地の街道を塞いでいた高い雪壁が溶けるのを待って、幕府軍は「若狭征伐」に出陣した。
総大将は織田弾正大弼(信長)、そして三河より徳川三河守(家康)、摂津より分国守護の伊丹氏。大和からの松永霜台率いる援軍などを合わせ、総数約4万にもなろうかとする大軍である。
将軍足利義昭は自ら出陣に立ち会い、これを見送ることで「若狭征伐」にかける意気込みを天下に喧伝した。
細川兵部大輔ら一部幕臣に加えて、義昭に近い若手公家も従軍したことからも、この一戦にかける大樹の意気込みが伝わってくる。
「失礼とは思いますが、そのような状況下で貴方がこんなところにいて良いのですか?」
伊勢大河内城の二の丸において「太り御所」こと北畠家「当主」の北畠具房が、その巨漢を揺らしながら恐る恐る目の前の老人に尋ねたが、前管領たる斯波武衛家の当主はその配慮を笑って受け流した。
「この年寄りには、4月とはいえ越前若狭に吹きつける外洋の風の冷たさは厳しいですからな。それに私が従軍したところで、鞍を尻で温める以外の働きなどできませんからの」
おどけたように肩をすくめる様に、普段は笑うことなど考えもつかない侍女達から小さな笑い声が漏れる。
「昨年8月に但馬山名氏を降した織田家の木下なる武将は、主の草履を懐で温めたと聞きましたが」
「はっはっは。ならば私は大樹様の鞍でも温めましょうかな。また管領にしてもらえるやもしれませぬ」
その言い方に、具房は思わず声を立てて笑ってしまった。
名門北畠の当主として彼の周りに近侍するものは、それを選んだ父の好みも反映されてか誰も彼もが堅物であり、こうした肩の力の抜いた会話の出来る人物はいない。少なくとも今でも無表情で控えている鳥屋尾石見守(満栄)との間では想像すら出来ない。
「草履を温めたものを褒めるなど、少なくともわが父では考えられませんな」
「そうした気遣いをおべっかと感じるのが御隠居様でしょうな。織田弾正大弼殿ではいかにも様になりませぬ」
言葉だけを並べて書き出すと揶揄しているようにも思えるが、実際にそれを語る斯波武衛の態度には、北畠一門の先の戦いぶりへの敬意が垣間見えた。父の側近たる反織田の急先鋒の石見守も、これには満足げに頷く。
相手に気遣わせることなく、自然と敬意を自らの態度で示せる。武家の名門たる足利尾張家(斯波家)の当主とはこういうものかと、具房は思うところがあった。
「せっかくですので御父上にもお目にかかりたかったのですが」
「……父はその、体調が優れず」
「では致し方ありませんな。またいずれかの機会にでも」
ひっきりなしに流れる汗を拭う具房。肥えた体が暑いからばかりではない。
今は隠居城たる三瀬谷に住まう先代当主の北畠不智斎こと北畠具教が、織田弾正大弼を快く思っていないのは、北畠家中では誰も知らぬものがない。正々堂々とした戦で負けたのならともかく、農作業で農民が手を放せない時期に狙いすましたかのように出兵してきというのが、具教の感覚からは許せないらしい。
すなわち戦に民草を巻き込んだと本気で怒っている。
「斯波武衛如きが大河内に来るからといって、なにゆえ私が出向かねばならぬ!」と具房を怒鳴りつけたのは、つい先日のことだ。
鹿島新当流開祖の剣豪である塚原卜伝に剣や兵法を学び、奥義である一の太刀を伝授されたという具教は、上泉伊勢守(信綱)、柳生宗厳らとは剣で語り合うという、文字通りの剣豪である。
長野工藤氏への攻勢や志摩への進出など政治手腕もあり、和歌の腕前は都でも評判となるほど。日ノ本でおそらく武だけでなく文の面においても(あくまで個人の素質や能力という意味で)優れた領主がいるとすれば、それは駿河の今川刑部大輔(氏真)ぐらいのものであろう。
皮肉っぽい言い方をすれば、共に家勢が傾いているという点で共通しているが、それを面と向かって指摘するほど具房は命知らずではない。
とにかく具教は自らが実力で負けたと思わない限り、心服することはない。
そのような父の感覚を「時代遅れであり、これからの北畠家にとっては有害でしかない」と切って捨てたのが叔父である木造具政だ。
具房としてはどちらの感覚も理解出来るだけに、両者の対立は居たたまれない。父が叔父の裏切りを口を極めて罵るのも、叔父が父を「時代遅れの愚物」とでもいわんばかりの態度で接するのも、どちらも見てはいられないのだ。
しかし当主でありながら事実上の隠居となった身としてはどうすることも出来ないと諦めていた。
「何故、同行しないのかというお話でしたが。斯波武衛と朝倉のお家の因縁はご存知でしょう?」
「ええ、有名な話ですので。確か応仁の乱の際に、西軍方の斯波家の守護代であった朝倉が東軍に寝返ってからの……」
「左様。我が曽祖父も祖父も何度か越前奪還を試みるも失敗しました」
武衛の歴代当主も、朝倉の歴代当主も相手を殺しても殺し足りないぐらい憎んだことでしょうと、当代の斯波武衛当主はどこか人事のように話す。
「時代が違うとは言え、今回は明らかに朝倉を目的とした遠征軍です。それに斯波武衛のものが参陣していれば、痛くもない腹を探られかねません。例えそうでなくとも、いらぬ疑いを持たれる要素が多いのですからな。除ける不安要素は対処しておくに越したことはありません」
そこでいったん言葉を区切ると、斯波武衛は白髪混じりの頭を掻いた。
「ならば清洲でおとなしくしておけばいいものをとお思いでしょう」
「いえ、そのようなことは」
「清洲の水も良いですが、それならばこの際、様々なところを見ておこうと思いましてね。どうにも太閤殿下の熱にあてられたようです」
「……太閤殿下、ですか?」
「いや。こちらの話です。そしてどうせならついでに、三七殿や三十郎殿、茶筅殿の顔を見に行こうと思いましてね。先に神戸と長野にも顔を出してきたという次第です。茶筅……あぁいや。具豊殿もお元気そうでなによりでした」
茶筅丸は北畠具房の娘である雪と結婚し『北畠具豊』と名を改めた。現在でも当主は具房ということになってはいるが、いずれは具豊が相続することになる。
今の北畠では、最終決済においては具房だけでなく隠居の具教の花押もなければ実効性ある公文書とはみなされない。しかし実際には家政は織田家から派遣された奉行衆や、北畠一門木造氏とその家臣であった柘植三郎左衛門ら元北畠旧臣の中でも織田寄りの者との合議によって行われている。
次期当主たる具豊の仕事といえば、かつての武衛のごとく、最終決済の書類に記すことになる公卿式の花押の練習をすることか、正室と「話し合い」をするか、または学問や鍛錬をするかの何れかであった。
何故か茶筅丸の名前が出た途端、具房は明らかに挙動不審となる。
「えぇ、まぁ、その、はい」と語尾を濁す具房に、武衛は人の悪い笑みを浮かべた。
「あまり、頭が賢くはないでしょう?」
「は?い、いや、そのようなことは……」
「隠さなくてもよろしいですよ。茶筅殿本人もそう言われておるのは分かっておるでしょうし、それが理解出来ぬほどの阿呆ではない……はずです」
「それにしても気の強い娘さんだそうで」
武衛の言葉に具房の大きな顔から完全に血の気が引いた。織田家の手勢に大河内城を夜襲された時も顔の色ひとつ変えなかった石見守ですら、だらだらと冷や汗を流している。
(この老人、全てわかっている……っ!)
雪が茶筅丸との初対面の席で、あまりの頭の回転の悪さにしびれを切らせて「馬鹿」呼ばわりし、「馬鹿という方が馬鹿なのだ」というあまりにも程度の低い言い返しを行い、これに激怒した雪が馬乗りになりボコボコにしたことや、北畠一族や木造氏、そして織田家からの出向組とも相談した上で和議を維持するためにも因果を含めてもみ消したことが知られている。
雪を目の中に入れても痛くないほどに溺愛している具教は「さすがわが孫!でかした!」と褒めていたが、まさかそれを広言するほど考えなしではないだろう。
そういえば織田家から来た津川なる近習は、武衛の一族であったはずだと、具房は唐突に思い出した。
「津川は私の実の息子でしてな」
メリっと、自らの体重を乗せた脇息から鈍い音が聞こえたが、具房はそれどころではなかった。
「息子の名誉のために申しておきますが義冬ではありませんぞ。茶筅殿はあまり我慢というものを知らぬ性質でして、何発殴られたかまで丁寧に話してくれましたよ」
バキリっと脇息が真ん中から折れた音がし、具房はそのまま横に体重を崩すようにして崩れ落ちる。石見守が支えようとするものの、直ぐにあきらめて飛びのくように退く。
その様を見ていた武衛はさも面白いものを見たとでも言わんばかりにからからと笑った。
「人間何が一番体に良くないかといえば、腹の中に溜め込むことです。遠慮高慢という言葉もあります。遠慮は美徳ともいえますが、遠慮が積み重なり、遠慮がいつしか高慢となる。そして高慢ちきないけ好かない性格となれば、もう手のつけようがありませぬ。殴ってスッキリするならそれでよろしい。死んだ人間は戻っては来ませんがね」
斯波武衛は懐からセンスを取り出し、左手でパサっと開いた。
具房はそこに書かれていた『一発百中』という単語を見て、思わず「何か違う」という感想を漏らしていた。
「過去には戻れず、明日はまだ遠い。我らは今を生きるしかないのです。若いものが殴り合い、手を取り合うような関係になれるとよいのですがね」
遠くから「茶筅ー!!」と怒鳴る少女の声が聞こえた気がしたが、斯波武衛も具房も、当然ながら石見守も聞こえなかったふりをした。
妙な沈黙のまま、互いに湯冷ましをすすっていると、ドタドタと廊下をこちらにむかって走る音が聞こえる。具房はまたあのお転婆な娘が何かしでかしたかと顔をしかめた。
さて何事であるかと部屋の前で止まった足音の主は「御所様!」と上がった息のまま声を出した。
「お話中、申し訳ございませぬ!い、一大事でござる!浅井備前守、謀反でございます!!!」
「な、なんですと!!」
麩の奥で控えていた侍女や配下の者が俄かに慌てたのか、複数の衣擦れのおとがした。反織田で鳴らす鳥屋尾石見守ですら、驚きを隠せないらしく「何だと!」と怒鳴り返している。
具房も咄嗟に立ち上がりかけたが、目の前の老人が平然として座ったままなのを見て我に返った。
「ぶ、武衛殿?聞かれていましたか?浅井が……」
「聞いていましたとも。どうにも都合の悪いことは聞こえなくなって久しいのですが、まだ肝心なことだけは聞き取る能力だけは耄碌しておりませんでな。いやあ、困りましたのう」
「いや、全然慌てているようには見えないのですが」
具房は手拭で汗をぬぐい、巨体を再び畳の上に下ろした。あっけにとられていた石見守も続いて腰を下ろす。
確かにここで慌てたところで、若狭か、その奥の越前にまで侵攻しているであろう幕府軍を伊勢にいる自分達がどうにか援護できるわけではない。
何もしなくていいわけではないのだろうが、それ以上に泰然としている武衛を見ると、そうした意味もない焦燥感が消えていくのを感じる。
浅井備前守(長政)は、北近江に勢力を持つ浅井家当主である。
彼の祖父が京極家のお家騒動において国人勢力を取りまとめ、守護代上坂らを差し置いて下克上を果たした。この点では織田弾正忠家と似ている。
今の当主は戦上手で知られ、単独で自軍に倍する六角家の軍勢を追い払ったこともある。歴史的に六角と対抗するために朝倉氏との関係が深く、そのため今回の若狭出兵には直接に兵を出さず北国街道などの警備や物資輸送に協力する形をとっている。
つまり幕府軍は前方に朝倉氏と戦いながら、その背後を絶たれたのだ。
浅井の行動は義兄である織田弾正大弼に対する裏切り以前に、明らかに幕府に対する反逆であった。
そうした絶望的な状況にもかかわらず、斯波武衛は慌てもせず騒ぎもせず、相変わらず扇子でのんびりと自らを仰いでいた。泰然自若とはこの事だと思わないでもないが、そのような悠長なことを言っている場合ではないはずだ。
具房は手をたたいて新たな脇息を持って来させると、再び武衛と向き合った。
「謀反が事実として、何が気に入らなかったのでしょう?」
具房の問いに武衛は、扇子を閉じながら「さて」と呟いた。
「これまでも大樹も織田も、そして私も管領として備前守殿には配慮しておったつもりなのですが。自称である備前守を正式なものとするよう朝廷に要請し、そして認められました。織田弾正大弼が近江半国守護を断った後、近江守護に細川典厩(藤賢)殿を上様が任命されようとしたのですが、弾正大弼も私も浅井の面子を潰すことになると反対しました」
「かの家は、かつての近江半国守護たる京極家を擁立していましたな」
「左様。京極を差し置いて細川典厩が守護とあってはおもしろくないでしょう。今の京極の当主は京にいますが、むしろ浅井は自らが近江守護となりたかったのやもしれませぬな」
「しかし半分しかないのに一国の守護とは様になりませぬ」と斯波武衛はまたも開いた扇子で口を覆いながら笑った。
先ほどの裏側とおもわれるそこには、それは見事な筆運びで『愉悦』の2文字が書かれている。
北伊勢にほとんど進出したことのない「伊勢国司」としては、笑うところなのか、それとも怒るところなのか、どうにも判断がしづらい。具房は汗をぬぐい、またも何も見なかったことにした。
「……次は自分ではないかと思われたのかもしれませぬな」
「次、ですか。朝倉の処分も決まっていないのに」
「それゆえの焦燥ですよ。朝倉と浅井は関係が深い。考えても見てください。仮に越前が降伏するなり、朝倉が滅ぼされでもしたら、当然そこには今回最大の兵力を出した織田弾正大弼が領土を得ることになります」
「しかし弾正大弼殿は、備前守殿の義兄では?」
「まあ、その……失礼を承知で申し上げるなら。血の繋がった身内ですら危ういこともあるご時世です。ましてや義理の関係では」
あえて木造の名前を出さずに仄めかす程度にとどめた斯波武衛の配慮に、具房は隣の石見守にはわからない程度に軽く頭を下げた。
「……なるほど。確かにおっしゃる通りです」
「領土を挟み撃ちされる危険性、それだけでも備前守殿にとっては決起するに十分だったのかもしれませぬな」
「織田弾正大弼殿は、その……」
大丈夫なのかという具房の不安は、言葉になって発せられるよりも前に、斯波武衛にあっけらかんと否定された。
「心配いらんでしょうな。浅井備前守は戦上手。おまけに率いる近江の兵は勇猛果敢で知られております。尾張の弱兵などとは比べ物にもなりませぬ。まして戦場での駆け引きだけなら、備前守殿は織田弾正大弼よりも上、徳川三河殿よりもひょっとすると上かもしれませぬ。ですが……」
そこで言葉を切ると、斯波武衛は具房の顔を見つめてニヤリと笑った。
「それが気に入らぬというのなら、自ら先に越前へと攻め込めばよかっただけのこと。家中を説得できなかったのやも知れませぬが……その程度というと失礼かもしれませぬが、予想される将来の軍事的圧力に耐えられないような器量では、今はともかく将来的には織田三郎には敵いますまい」
何の根拠もない楽観論であることは具房にも理解出来たが、武衛の話し方は不思議と説得力があった。
「それゆえ決起するなら『今』しかない、織田弾正大弼の首を取れる可能性が最も高い今しかないと考えたのでしょう。古今東西、我慢するべき時に我慢できぬ男が、大成した試しなどありませぬ。10年かけて美濃を寝取った男とは、それこそモノがちがいますな」
そう得意げに斯波武衛が言い終わるのを待っていたかのように、遠くで行われていたであろう若い男女による掛け合いが、駆け足と共にこの部屋へと近寄ってきた。再び石見守の顔が青く染まる。
ドタドタドタと廊下を踏み鳴らす音に続いて、腰高障子が勢いよく開いた。
「おい武衛の爺ちゃんいるんだって?!この生意気な女、なんとか言ってやってくれよ!あと親父大丈夫かな?!」
「うるさい茶筅、毟るわよ!というか、貴方のお父さんの安否がついでってどういうことなの?!あっ、父上、聞かれましたか!織田弾正大弼の危機!!今こそ北畠は再起し、伊勢から織田をたたき出すべきです。そしてまずはこの使えない茶道具を清洲に送り返すことから!!」
「なんだとこのアマ!色気も無い癖に生意気だぞ!!」
「脳みそが軽石のアンタよりましでしょ!」
「胸もないくせに、なに言って……って、痛い!また殴りやがったな!!親父にだって殴られたことないのに!!!」
「う、うるさい!なんであんたの初体験が私なのよ!!!」
「なに勘違いしてるんだこの耳年増!色気も胸もないくせによ!」
「……若さとは実に素晴しいですな」
「……申し訳ございません」
あまりのことに卒倒する鳥屋尾石見守を尻目に、斯波武衛と具房は、乾いた笑いを互いに交わしながら、部屋の前の喧騒が取り押さえられるまで、再び何も見ない聞こえないふりを決め込んだ。
茶筅丸「ひとをほめるときには大きな声で、わるぐちをいうときにはより大きな声で!」
津川義冬「」




