☆98 両想いになっても、結婚までは波乱万丈?
たしーん、たしーん。
斜めになった耳。不機嫌なタオラの座った眼に、マケインは浮かれていた心がしぼんでいくのを感じていた。
澄んだアクアマリンの両目にあるのは、紛れもない怒りだ。
「……マケイン様はひどい。 頑張ってた、私のことなんて忘れてた」
「いや、その。別に忘れていたわけじゃ……」
ただ、溺れるようにトレイズに夢中になっていただけで。
顔色を悪くしたこちらに、むう! とタオラが怒る。
「……ひどい、ひどい。連絡もくれないで、モスキーク領のことなんてどうでもいいみたい」
「そんなことはないよ!」
「だったら、ここで誓える?」
「ああ!」
「……ぷん。私も王都に来る。お嫁さんにしてほしい。私だけのマケイン様でいてほしい」
「……ん?」
何か妙な言葉が聞こえた気がする。いやいや、恐らくは気のせいだろう。タオラに限って、そんなことを口にするはずがない。
大体タオラは獣人族のお姫様だぞ。唯一の金虎の生き残りだ。俺なんかが彼女に釣り合うわけが……。
「はっはっは。タオラはおかしいことを言うなあ」
「マケイン様は私のこと、……可愛いって思う?」
「そうだな。とびっきり可愛いと思うぞ」
「だったら、お嫁さんにしてくれる?」
「はっはっは。なんだか幻聴が聞こえるなあ」
「……お・よ・め・さ・ん」
「そういえば、どうしてタオラは王都へ来たんだ? 何か用件でもあったのか?」
話を綺麗に逸らしたマケインに、タオラはふくれっ面になった。すねた口調で、渋々呟く。
「……私は。マケイン様の護衛をするためにジェフと一緒に来た」
「どうして、また」
「……説明は後でする。あちらでジェフが待っているから、一緒に来てほしい。とりあえず服も全部着てほしい」
「うわっ」
気がついたら、マケインは自分のシャツがボタン全開ではだけていることに気が付いた。ドアのところに立っているタオラは恥ずかしそうにもじもじしている。振り返ると、むすっとしたトレイズが不機嫌に言った。
「まさか、あたしより先にその虎娘を嫁にする気?」
「…………はは、」
そんな素っ頓狂なこと、起こるはずがない。
あくまでタオラはマケインにとっては大事な妹のような存在なのだから。
居ずまいを正し、男爵子息のマケインとトレイズは側近のドグマ、タオラを伴って部屋に入った。
そこには何故か艶々とした頬をした羽振りのよさそうなジェフと、上質なよそゆきを着たエイリスが待っていた。
パリッとした綿麻でできた上等なメイド服。純白なエプロンドレスによってふっくらとした彼女の胸部と、細い腰がやたらと目に飛び込んでくる。
「……久しぶりだ、ジェフ。エイリス」
「いやはや、久方ぶりでございます。マケイン坊ちゃま。いえ、今では騎士様ですかな」
「いや、未だ騎士にはなっていないよ。俺は騎士見習いだ」
「私どもに言わせればどちらも尊き存在です。ましてや坊ちゃまは陛下から燕黒勲章を授与されたとか。モスキーク領初めての栄誉でございます。おめでとうございます、マケイン様」
「相変わらずだな、アンタは」
商売人は本当に口が上手い。
今では流石にそれに乗せられるわけもないが、どこまで本気なのか考えものだ。
「まあ、誉め言葉はもらっておくよ。エイリスは元気だったか?」
「はい、マケイン様。本当は私も一緒にご同行するはずでしたのに、こんなに遅くなってしまい申し訳ありません」
「仕方ないさ、エイリスのお母さんの容体が優れなかったんだから」
「すみません」
「お母さんの調子はどう?」
「モスキーク家からいただいた沢山のお給金でお医者を呼ぶことができまして、今では大分落ち着きました」
二コリと微笑んでエイリスは上気した頬で話す。まるで恋する乙女のような表情に、マケインは複雑な気持ちになった。
「……そっか。それならいいんだ」
「全部マケイン様のおかげです。モスキーク領は本当に豊かになってきているんですよ」
「ジェフ。詳しい話を聞かせてくれ」
マケインがそちらを向くと、ジェフは襟を正して笑顔になる。マケインの傍で控えていたドグマも緊張した顔となった。
「マケイン様のご指示により、奇跡のパンと聖女様のハーブ水の売上は、一割がモスキーク領の貧民の炊き出しに使われております。
本店だけでもなく支店を合わせると、貴族から富裕層のお客様からとんでもない利益が毎日上がっておりまして、ルドルフ男爵様の管理の下、大々的な公共事業によってモスキーク領に住む沢山の民が日銭を得られるようになりました」
「そんなにすごいことになっていたのか」
マケインは息を呑む。隣にいたトレイズの吐息も聞こえた。
「貴方様は我がモスキーク領に住む平民の生きる希望なのです。そのご采配のおかげでどれほどの命が救われたか……」
「獣人たちはどうしているんだ? 土地には馴染めたのか?」
「多くの財が男爵領へ集まれば、当然、普通であればならず者も増えます。ですがマケイン様の直属であった獣人傭兵団が男爵様の頼みで警吏として働くようになりまして。流石に訓練された獣人に逆らうような愚かな人間は少なくなってまいりました」
「お、おお。そうか」
思ったよりすごいことになっているようだ。
みんなが頑張っている中、マケインがその間やっていたことといえば、魔法の修行と姫様の飯炊き係だ。というか、一日のほとんどは厨房仕事で占められている。
とても申し訳ない気分だ。
「確かにきっかけは俺だけど、それはみんなの頑張りのおかげだよ」
「謙遜はほどほどにしてください。貴方がいなかったらこんな幸福はありえません。そして、今回持ってきたのがマケイン様への上納金の一部です」
御影石のテーブルに、袋から溢れんばかりの金貨が大量に置かれた。差し出された数えきれないくらいの金色に、マケインは白目を剝きそうになる。
「……嘘だろ? ジェフ。明らかにこれはおかしくないか」
「いやまあ、実は馬車の行き来と街道の整備でモスキーク領の経済が予想以上に活性化しておりまして、税収も以前の倍になっているんですよ」
「だからといって、俺が一人で受け取るわけにいかないよ。これは皆が稼いだお金なんだから」
「……マケイン様。お綺麗な戯言もほどほどにしてください」
マケインは久しぶりにジェフのキレた顔を拝んだ。鬼のような表情で、怒鳴り声を上げた。
「正当に受け取るべき方がお金を受け取らないということは、その金を巡って汚い人間が良からぬことを企むんです! あなたはモスキーク領を血の海に沈めるおつもりですか!」
「――すいません!!」
ジェフのいうことは最もだ。
この金貨の山をマケインが受け取らないということは、まるっきり財の行き場が宙に浮くのだ。宛名のない利益はやがて悪だくみをした貴族が目をつけるだろうし、不自然な金の動きに男爵領に周辺貴族が攻め込む可能性だってある。
とりあえずはマケインがきちんと管理をして、どこかで適切に消費しない限りは解決しない問題だ。モスキーク領に特需で他領から金貨が流れ込み続ければ、それはやがて歪となってこの国の経済が崩壊してしまう。
「ジェフ。俺はこの金をどこで使えばいい?」
マケインは真剣な目で言った。
「そうですね。王都で宝石や屋敷を買って豪遊することが手っ取り早いんじゃないですかね。この国の中央に金を落とせば、やがて経済は巡っていきますから」
ジェフは耳をほじって答えた。完全にこれは、マケインに対して親戚の馬鹿な子どもを相手にしているモードになってきている。
先ほどまでの堅苦しいお貴族様と商人ごっこはもう打ち止めということだ。
ジェフはマケインの育ての親である男爵夫人のマリラの弟だ。つまるところ、ストーン商会のジェフという男はモスキーク家の親戚筋にあたるのだ。
まあ、マケインはルドルフ男爵の亡くなった妾の子どもなので。ジェフとマケインは血が繋がっていない。だが、ここまで商売でずぶずぶの仲になってしまうと、立場の違いを超えた関係が築かれてきている。
言うならば、ジェフという良心の塊のような男はマケインの懐刀であり、モスキーク領の切り札だ。貴族と商人のこの二人は、たまに兄貴と弟分のようですらあった。
ドグマはじろりとジェフを睨む。
「マケイン様に対して不敬ではないか。腐った商い人の分際で」
「いいのよ。この二人は、それでいいの」
トレイズが穏やかに笑うと、ドグマはますます不機嫌となる。
「トレイズ様は寛容すぎます」
「でもほら、マケインは笑っているわよ」
いつの間にか、マケインは腹の底から大笑いをしていた。もうここまで話が大きくなってしまうと、笑うしかない。
「良かったな、トレイズ! 俺たちは食いっぱぐれずに済みそうだぞ!」
「馬鹿な事言わないの。最初からあたしは確信していたわ」
胸を張るトレイズに、ジェフは溜息をついた。
「食いっぱぐれないどころか、このままじゃ鳴り物入りの富豪ですよ。上級貴族の大半より財を成すんじゃないですかね」
「あんまり実感はないけどな」
「でも、問題だわ。このままだと、旦那様の命が危ないわね」
トレイズが真面目な声色で呟いた。
「ゾッとすることを云うなよ」
「いいえ、それは真剣に考えなくちゃいけないわ。もしもあたしと旦那様が結婚したら、旦那様を殺せばモスキーク領の財産の全てと一端の女神が手に入るのよ」
「……やっぱりこの金貨返そうかな」
「とりあえず、旦那様が独り立ちするまでは結婚はお預けね。現状はリスクが高すぎるもの」
やれやれと残念そうにトレイズが言った。その言葉に、マケインは想像以上にショックを受けた自分に気が付いた。
いつの間にか、この恋人をしっかり嫁さんにもらうつもりでいたのだ。まさか相思相愛となった後にこんなバカげたことになるなんて。
絶世の美少女はこてんと可愛らしく小首を傾げて、
「旦那様、出世してね?」
「――この世が無理ゲーすぎる!!」
久しぶりにマケインはそう叫んで血の涙を流した。




