☆93 天国も地獄も一緒に生きよう
大体、トレイズはどうしてこう高圧的にしか物を考えられないのだろう。
それは彼女が人類の上位者である神族であるからか。はたまた、生来の性格そのものか。
彼女は綺麗だ。
美しいかんばせ。淡く咲く花びらのような色の髪。好奇心に輝く瞳は、植物の命のよう。
どんなに不遜な態度をとろうとも、その気位の高さそのものが魅力に見えてしまうほどに、トレイズは綺麗な女の子だ。
それとも……わざと偉そうに振舞うことによって何か皆に知られてはならない秘密でも隠しているのだろうか?
(彼女が俺に隠し事をしている?
まさか? トレイズだぞ?)
少年はうっすらとその違和感に気づきそうになったものの、この時はそれをスルーした。その時はそれで良かった。
間違いなく、少年は幸せであった。彼女を女神としてではなく、普通の女の子として愛していた。それが恋であるか、親愛であったかなんて問題ではなかった。彼女が側にいること。その幸せを当たり前のように錯覚していた。
少年は愚かであった。愚直であればなんでも報われると信じていた。けれど、果たしてそのことを誰が責められただろう。この頃はただ、それだけで全てが上手くいっているように見えたのだから。
神殿の参拝者の列に並ぶことになるかと思っていたが、予想に反して迎えはあちらから来た。目元を隠した年齢、性別不詳の神官が二名、案内にやって来る。
「「ようこそいらっしゃいました、いとし子さま」」
「あなたたちは……」
「「私共は神殿長様からの直々のお命じによって参上いたしました、大神殿からの使いであります」」
不思議なことに、彼らはトレイズの方は視界に入れずにそう挨拶をする。
神殿長からの使い。それは、神々ではなくあくまで王族の繋がりによって寄こされた人物だということだ。
「トレイズのことは……」
「「彼女のことは、なかったことにされました」」
「は?」
「これはアステラ王国大神殿の神殿長様と国王陛下の合意によって成されたご命令でございます。国家の災いとなりかねない女神の降臨を、我らは今後一切認知することはなりません」
「だからって無視することなんか……」
「トレイズ神。これは、貴女様へおける我々の救済であります」
びくっと震えたトレイズに、使者は淡々と告げる。
「貴女様が本気でマケイン・モスキークを伴侶へと望むのであれば、女神としてではなく一人の町娘として嫁ぐことが最も穏便だという判断となりました。
貴女様の尊きご神性を隠すこと以外、身分の低い男爵家の子息と生きていく道はあり得ません。このまま女神として各国に名が知れれば、帝国の皇太子など世にも尊きお方との望まぬ縁が取り持たれる他ないでしょう」
「……あたしの為だっていうの」
「私共は、貴女様の第一の幸せを願います。国としての利益だけ考えれば、トレイズ様。あなたを陛下の養女に迎え、停戦の先の戦争終結の証として帝国の皇太子の妃へと送り出すことの方が余程利益のある話なのです。ですが、貴女様はそれを望んでいない。そうですね?」
ふるふるとトレイズは頭を振った。
「いやよ! そんなのいやっ
私はマケインがいい……今更! マケイン以外となんて生きていけない!」
「我々は、トレイズ様。偏に貴女様のお幸せを願っているのです。それに、貴女様の存在は希望ともなりますが同時に劇薬ともなられます。もしも他国の間者によって女神として命を落とされた場合、それは世界をゆるがす大戦の狼煙となるでしょう。今、この国は長年続いた帝国との領土争いによって国力が疲弊しています。今の平和はようやく訪れた安息の時間なのです。そのような危険を犯してまで貴女様を神として受け入れるリスクは負えないのです。わかりますね?」
「ええ」
トレイズは。マケインの手のひらをきつく握りしめた。
「……いいわ、それでいい。あたしは、普通の人間としてマケインに嫁ぐわ」
「それが賢い生き方かと。トレイズ神」
彼女は、意思の強い瞳で未来を見た。
吸い込まれそうなほどに綺麗な淡い緑。一羽の運命がさざ波を起こして羽ばたいた。
(ああ、彼女は今、選んだんだ)
惚れた男と何もかも捨てて生きることを、選んだ女の凄みがあった。
マケインは何も言えなかった。腰抜けな己には言う資格がないと思った。何故なら、自分はいまだにトレイズの気持ちへ答えることができていなかったからだ。
そうだ。もしも自分がトレイズに応えるとしたらなんて言おう。
好きだ。愛している。アイラブユー。
どれも月並みな言葉に見えて、色あせて映るな。
結婚してほしい。一生幸せにしたい。それくらいの言葉が言えるくらいの価値が自分にあったらどんなにマシだろうにな。
相変わらず自己嫌悪はすごいし、いつも真っすぐな彼女を見ているとそれってすごく眩しすぎる。
(とにかく、神殿から離れて二人で暮らすには俺が安定した仕事に就かないとダメだ)
「君はいいな」
「え?」
「迷いなんてなさそうに見える」
彼女はふんわりと笑う。
少年は思わずその表情に泣きそうになった。
「大丈夫よ。あたしたち、天国も地獄も一緒に生きればいいんだから」
「地獄も一緒にいてくれるの?」
「当然よ」
堪忍しよう。
(ああ、言うには今しかないな)
息を吸い込んで、
「好きだよ、トレイズ」
彼女は目を見開く。
心底意外そうにこちらを見る。
この国最高の女神に、どこまでも凡百な告白を捧げよう。何千何万の僕らのご先祖が、この大地で繰り返してきたように。
「本当は、最初から好きだったんだ。君のことを守れる自信がなくて、ずっと気付かないフリをしていたんだ。俺は、女の子は平等に愛しているけど、トレイズだけは別格で一番好きなんだ」
だって、誤魔化せないほどに結局彼女は綺麗だ。
どんなにぐらつかないふりをしたって飛び込んでくるのは、世界で一番美しい女の子の姿。
そのはじける笑顔も、奇跡のように純粋な魂も、翻った長い髪も、白い脚も。
全てにキスをして、愛おしいと態度に示すことができたらどんなに楽かと思っていた。
「許されるなら、命が尽きるまで一緒に居たい。君の知らないこの世界の怖さから、永遠に守り続けたい」
「できっこないわ」
「嘘じゃないよ」
「ふふ、本当に?」
「僕の全てを懸けて君を守るよ。だから、恋人になってほしい」
しばらく考える素振りをしていたトレイズだったが、柔らかく満面の笑みで叫んだ。
「ありがとう! マケイン!」
抱きついてきた彼女に、腕を回す。
と、そこで気が付いた。このやり取りを全て、ダムソン爺やドグマ、神殿からの使者へと見られていたことに。
みるみるうちにマケインの顔が赤くなる。
「…………っ」
ダムソンは拍手を始めた。ドグマは、睨みながらも少しだけ涙ぐんでいた。
「「話がまとまったようで何より」」
涼しい態度で、使者は言った。




