☆91 君のために努力したいんだよ
汗だくになりながら、息絶え絶えに喘ぐ。
「…………ッッッハァ……!!」
「これぐらいでへばるんじゃないよ、甘ったれた子だね」
「師匠、そんなこと言ったって!!」
泣き言は許されない。
今やっている修行は、放出する魔力のみで生卵を割らずに宙へ浮かべるというものだ。意外とこれが精密なコントロールが必要で難しい。しかも、それに加えて体力作りの重石付きランニングまでもが追加されているのだ。
走りながら、目の前に生卵を浮かばせ続ける。
単純すぎる修行だが、マケインにとっては疲労困憊になるほどにキツイ修行だ。
やがて限界がきて、浮かべていた卵がふるりと揺れて地面へと落下する。その破片を拾ったアニエルは厳しく眉間を寄せた。
「ふむ、ヒビの入り方が良くないね。本来なら落ちた時に細かく放射状に割れるところさ。アタイもびっくりだ、ここまで素質のない者が氷魔法を発現させたというのは驚きだよ」
「おばーちゃん、そこまで要求するのは可哀そうだよ。この子、魔神からご加護を戴いていないんだから」
ミューレはのんびりと喋る。彼女は複数の生卵でジャグリングをしながらくるくると回転させて遊んでいた。
「そんなこと言ったってね、ダムソンに約束しちまったのは事実だよ。弱ったねえ、このままじゃ仕上がるのはいつになることやら」
「君さ、氷魔法を発現させた時はどうやったの?」
好奇心で瞳を輝かせ、ミューレがマケインに尋ねる。その圧力にしどろもどろになりながら、少年は答えた。
「れ、冷凍庫をイメージして」
「れいとうこ?」
「料理に使う、その、道具で……俺、いつも料理をイメージしないと魔法が発現しないっていうか」
「ふーん、そっか。君の場合、間接的に食神のご加護の領域を拡張して魔法を操っているのかもしれないね」
「どういうことですか?」
マケインは目を瞬かせた。アニエルが難しい表情でそれを聞いている。やがて、老婆は溜息をついて語り始めた。
「魔法ってのはね、潜在意識で魔力の器を作って現実世界を変容させるものなんだよ。だからこそ、魔法の種類に縛りもないし理論上では無限の可能性に満ちている。ここまではいいかい?」
「よく、分かりません。魔力を操って放出するものなんじゃないんですか?」
「魔力はエネルギー源でしかない。現実世界に無い物を在ったことに書き換えるのが魔法さ。そもそも、放出というその固定観念がちゃんちゃらおかしいよ」
「…………あ、そうか」
よくよく考えれば、そうであった。つまるところ、マケインは前世で見たアニメやゲームの知識が邪魔をして魔法に偏見を抱いていたのだ。
「つまるところ、錬金術みたいなものか」
マケインの呟きにミューレが笑った。
「いやいや、それは大きな間違いだよ。錬金術師ってのは魔法とはまるで分野が違うからね。奴らは薬師が発展したようなものだし、どちらかっていうと発明家って感じだよ」
「そういうものなのか?」
「そーいうものだよ」
そういうもの、らしい。
マケインは考え込んだ。
そんな少年の姿にアニエルは溜息を再び吐く。
「それにしても、あれから二週間。案外投げ出さずによく通っているじゃないか」
厨房で飯炊き係をしながら、マケインはそれ以外の時間を全て修練に注ぎ込んだ。生卵を浮かべるのだって、初日は全て爆発四散していたのだ。アニエルは呆れて破門にしようとした。涙ながらに頭を下げ、今では辛うじて卵を浮かべながら走ることができている。よくよく見れば殻が割れて中身がこぼれそうになるのを魔力の層で保ちながらダッシュするのだが。
「俺にはこれぐらいしか取り柄がないですから」
絞られたマケインは虚ろな眼差しで呟く。
偏に才能がないから根性でしがみつくしかない。気合いで負けたら、どうにかなるものもどうにもならないのだ。
前世の自分は、あらゆるものから逃げていた。親から逃げて、友人から逃げて、何より自分自身から逃げ出した。その結果、掴めなかったものがあったこと。失った時間の大きさを今更ながらに思い出す。
「その心がけは殊勝なもんだけどね」
アニエルはその時、庭園に現れた人影に気が付く。
その人物の持つふわふわの桜色の髪が風に舞い、不安そうに修行しているこちら側を伺っている。
「おや、お客さんだよ」
驚いて視線を上げたマケインに抱きつくように、その少女は飛び込んできた。
「マケイン……っ こんな無茶をして!」
「と、トレイズ!?」
「どうしていつもあたしに何も言わないの! 知らない間にボロボロになって、いつか雑巾みたいになっちゃうんだからっ」
「だって、宣言してから努力するなんて恰好悪いだろ……」
「言えばいいのよ! そうしたらあたしだって応援したわ。やることを見つけたなら、しょうがないことだもの。短命な人間のマケインと一緒にいる時間が短くなっても、仕方ないことだって……」
マケインの頬の上に、大粒の雫が降ってくる。濡れた感触にびっくりして瞳を大きくさせた少年は、自分に覆いかぶさっている美少女が泣いていることを知った。
「ごめん、トレイズ。俺、君にちゃんと説明するべきだった」
「知らないわ。こんな人、もう……」
「俺、君を守れる大人になりたいんだ。君のために努力したいんだよ。貧しい者も富める者も、総ての民が美味しいご飯を食べれるような世の中にしたいんだ。トレイズ・フィンパッションが誰もから愛される世の中に変えてみたいんだよ、分かるか?」
まろやかな頬を甘く染めて、トレイズは頷いた。
「…………うん」
その反応に、マケインは穏やかに微笑む。そんな二人の様子に辟易したようにミューレが吐き捨てた。
「へーへー、ご両人乳繰り合うのは見えないところでやってくれませんかね、空気が腐るっすよ」
「いいじゃないか、神と人の限られた時間の逢瀬ってやつだよ。ロマンがあるねえ」
「けっ」
ミューレとアニエルの会話に、マケインは慌てて唇を寄せてきたトレイズを突っぱねた。二人の存在をまるで忘れていた自分を恥じ、どうにかトレイズをどけようともがく。
「いやん」
「トレイズ! 流石に人前は勘弁してくれって!」
「あら、外野なんかどうでもいいじゃない。旦那様は変なところを気にするのね」
「問題児が問題を問題にしてない!」
「ふふん」
そういえば、だ。
マケインはトレイズに聞かなくてはならないことがあったのだ。
「トレイズ、君の意見を聞かせてくれ。食神スキルと魔法の関係なんだけど」
「…………」
トレイズは不服そうにソッポを向いている。……が、しらばっくれることもできないと察したのか、諦めて返事をしてくれた。
「結局は、日ごろからやり慣れている作業は潜在意識に強く影響を及ぼすということよ。神の贈るスキルに関しては、極端な話、スキルがなくてもできることって一杯あるものね。だったらスキルって何なのかって感じなんだけど、要はスキルって習熟した能力を象徴するものでしかない。旦那様の戦闘でやっていることは、魔法スキルや武術スキルの代替行為だわ」
「ああ、なるほど……」
確かに言われてみればそんな感じだ。
「置き換えでしかないから、威力や精度が本物に劣るのか」
「でも、自暴自棄になることはないわ。偽物だって時間をかけて磨けばいずれは本物に至ることだってある。現に、氷魔法を習得することはできたじゃない」
「先が長すぎる!」
絶望して天を仰ぐマケインに、トレイズはくすくす笑う。そうしてから、ようやく彼女は人差し指を立ててこう言った。
「どうせなら他の神殿にも手料理を奉納してみればいいのよ。せっかく王都へ来たのだし……あたしもそろそろ挨拶に行かなきゃいけないと思っていたからちょうどいいわ」
立ち上がった彼女は両手を広げ、桜色の髪が揺れた。あどけない頬にえくぼが浮かぶ。
「行ってみましょう、武神と魔神の神殿へ!」




