☆89 魔導士との出会い
お久しぶりです。更新します。
あっという間にマケインは王宮内の厨房を自由に出入りできる身分を手に入れた。姫君が半年ぶりに固形物を口にしたことに料理長は多いに感涙し、マケインへ全幅の信頼を置くようになったからだ。
一か月の間、少年は料理を作り続けた。
大麦の粥に、甘く煮た林檎。ミルクで作ったパンプティング。軟らかく煮た野菜。ミネストローネ。
少年による思いつく限りの病人食は、栄養失調で痩せこけていた姫君の身体を回復させるのに多いに貢献している。それは料理人としては最高の名誉だ。
その状況に問題があるとすれば……騎士見習いとして登城したはずのマケインが未だに剣の一つも振るっていないという事実であった。
当然、疑問は浮かぶ。しかしながら、そこに文句が言えようはずもなかった。マケインに武術の才がないことは訓練の早々に判明していた。彼に師事しようとする騎士も存在しなかったし、彼らは細く華奢な少年の体躯を見るにつけ小馬鹿にしていたのだ。
その日もマケインは、厨房でスープの入った鍋を慣れた手つきでかき回していた。
「さて……と、味付けはレモンで整えて」
そこで、マケインは何者かの気配を感じて振り返った。
厨房の扉を開けて入ってきたのは、ダムソンだった。老人は意味深に瞳をきらめかせ、穏やかに微笑む。
「マケイン殿、少々いいであろうか?」
「はい?」
「以前に貴殿に紹介したいと言っていた魔導士がようやく連絡がついての。せっかくだから今日の昼食を共にとれないか聞きに来たんじゃよ」
「魔導士、ですか」
マケインは悩まし気に眉を潜めた。
「何か不安なことでもあるかの?」
「そんなに偉い人が俺なんかを見たら、会うだけ時間の無駄だったと落胆してしまうのではないでしょうか」
「大丈夫じゃよ、アレからすれば大抵の人間はチリ芥のようなものじゃ」
「……ちょっと待ってください」
あんまりな言い草に少年は頭痛を感じてしまう。
ダムソンは気軽に話すが、その言葉を聞いて明るい心境となれるようなものでもない。
顔色の悪くなったマケインは深く息を吐いた。
「俺が今、王宮でなんて笑われているか知っているでしょう」
「言いたい者には言わせておけばよいのじゃ」
「王女殿下の飯炊き係、若い黒燕、恥さらしの騎士見習い……どれも酷いあだ名ばかりだ」
「まさか本当に気にしているわけでもあるまいに」
ダムソンの言う通り、心から悩んでいるわけでもない。
ただ、トレイズを支えたい。それだけの一心で王都に残った。王からの直々の頼みを引き受けたことにも後悔はない。
けれど、どこか胸の奥で隙間風が疼くのだ。
……本当にこのままでいいと思っているのか?
騎士を目指せば何かが変わるのではないかと思っていた。それなのに、現実は嫌になるくらい変わらない。
できないことばかりのロクデナシでしかなくて。
「その人に会えば、変わるのだろうか」
きっと変わらない。
うんざりするほどに、俺は空しい僕だ。
庭園の奥に二名の人物が座っている。
一人は、橙色のお下げに淡褐色の瞳をしたそばかすの少女だ。エイリスと同じくらいの歳だろうか。紺色のローブを身にまとい、凹凸の少ない身体をしていた。
もう一人は、人参色の赤毛に褐色の瞳をした勝気そうな老婆だ。船乗りのような恰好をしており、頭にはバンダナを巻いている。
両名ともすぐに握れる場所に長い杖を立てかけていた。
「やっと来たかい」
嗄れ声で老婆はそう口を開いた。
「人を呼び出しておいて、遅れてやって来るだなんていい根性をしている。アタイにそんな真似をするなんてアンタだけだよ、ダムソン」
「すまない、アニエル。姫殿下の御膳の準備で時間がとられてしまったのじゃよ」
ダムソンが笑いながらそう返事をすると、老婆はグッと何も言えなくなったようだった。そのままぶっきらぼうに告げる。
「それで、このガキンチョが姫殿下の言う特異点だとでも言うのかい」
「少なくとも、儂はその可能性が否定しきれないと思うておるよ」
「笑えないね。……ミューレ、挨拶をしな」
老婆の声かけでニコニコしていたお下げの若い娘が朗らかに言う。
「わあー、女の子みたいな男の子だ! あたし、ミューレ・ホップキンソンって言います。このお祖母ちゃんの実の孫で、王宮魔術師の弟子をやらせてもらっているの。君の名前はなんて言うのかな?」
「……マケイン・モスキークです」
「モスキーク男爵家の嫡男さんってこんなに可愛かったんだねえ」
露骨にそう言われ、マケインは身を引きそうになる。
「これでも俺は男です」
それを聞いて老婆が哂った。
「男、ねえ」
「……何か、問題でもあるんですか」
「その肩書は重いよ、小僧。アタイが見る限り、アンタは怠け心が過ぎるね」
「怠け心?」
「どうせ武神の才も魔神の才も貰えていないからってろくに修行もしてこなかったんだろう。魔力の量は化け物のようになっているのに酷く質が伴っていない。コントロールができていないから、いつ暴走したっておかしくないんだ。こんな危険な人間は初めて見た」
マケインは息を呑む。
まさか、そんなことを言われるだなんて予想もしていないことだった。
ダムソンはゆっくりと目を瞑り、しばらくしてから言った。
「しかしながら、その膨大な魔力を活用できれば他に類を見ない才じゃ。アニエル。そなたなら分かるじゃろう」
「アンタが甘やかすからこうなるんだよ、ダムソン。どうしてこんなになるまで放っておいたんだい」
カラカラになった喉で、マケインは大きな声を出す。
「あっ あの! 俺、どうしたらいいですか」
「……そうだね。アンタはどうしたいんだい」
「俺……その、」
揺れる焦点を合わせ、なんとか千切れた言葉をつなぎ合わせようとした。混乱しているばかりの脳裏に、トレイズの面影がよぎった。
「……守りたい子がいるんです」
モスキーク領で経験した、血の匂いを思い出した。
泣いていたトレイズの塩涙と、燃やされていく屍の煙が鼻の奥に蘇る。
「今の俺には、何もできない。王都に来れば何か変わるかと思ったけど、結局やってることはいつもと同じ料理を作ることばかりだ」
それさえできればいいと思っていたわけじゃない。
姫君の力になりたい。その気持ちは嘘ではない。けれど、このままで本当にいいのか悩みはあるのだ。これから先、トレイズを守る為には純粋な武力だって必要なのではないかと。
いつまでも遊んでいたかった。
自分の作るものを誰かに美味しく食べてもらえる。それだけが嬉しくて、その感情のままにここまで来てしまった。
「俺は、みんなが美味しいものを食べてくれる、トレイズが喜んでくれる日常を守りたい」
「そうかい」
けれどアニエルは、マケインの答えにこう告げたのだ。
「だったら、アンタが死ぬしかないね」




