☆87 どう考えても騎士の発言ではありませんでした
王様から任命されたのは、王女付きの騎士見習いという立場だった。
初めての登城に、緊張が隠せない。ドキドキしながら足早に歩く。気のせいじゃないのは、周囲からの奇異な視線だ。
『見て、あれが竜殺しの英雄ですってよ。恐ろしい』
『けど、食神の加護だろ? 一体どんな狡い手を使ったんだか……』
トゲだらけの噂を聞こえないフリをする。
トレイズは留守番。侍従としてドグマも共に従え、マケインは冬の朝に王女殿下の居室へと向かった。
「姫君がどんなお方か知っているか? ドグマ」
「それはもう」
ドグマは、憧れ……陶酔の眼差しで話し出す。
「笑えば可憐な薔薇が咲き、声はさえずる小鳥のようともっぱらの評判の美姫なのです。国のために尽力されるあのお方と一度でもお逢いすることは我ら神官の夢でございまして……現在は王族を代表して国内の神殿を統括する神殿長としてお働きになっておられます」
「へーえ」
それはまた、出来すぎた話だ。
マケインはその噂を話半分に聞き流すことにした。
「どうしてまた、そんな仕事を?」
「とにかく素晴らしいお方なのだ! 疑問に思うことすら不敬だぞ!」
王宮に足を踏み入れてから三重くらいに被っていたドグマの猫が、ずるりと剥げた。毛を逆立てている従者の迫力に、マケインは少し引いた。
さながらアイドルの信者みたいだ。
「そ……そうか」
「我々の今後も全て姫様が左右しているも同然。くれぐれも怒らせないようにするんだな」
熱のこもったドグマの言葉に、マケインは壊れたからくり人形のように頷く。
なんともまあ……胡散臭い。
(なるべく大人しくしておこう)
そう考えて、王宮メイドに先導されるがままに廊下を歩く。何度も階段を昇って、ようやく南向きの明るい一室に通された。
「姫様はご健康が優れていらっしゃいません。なるべく興奮させないよう、お静かにお願いします」
そう念を押され、マケインとドグマは緊張しながらドアをくぐる。
ベッドに腰かけた、一人の少女と目が合った。
美姫と聞いていたが……年頃は案外幼い。マケインとほとんど同じ年齢だ。
まず、ほっそりとした華奢なスタイルが目についた。床にはいくつもの薬瓶が散らばり、投げ捨てられたペットボトルゴミのよう。干し草みたいな匂いを漂わせている。
怠惰そうな気だるげな雰囲気を漂わせ、彼女はこちらに視線を送る。
ただ、ただ……長い漆黒の髪に映えた紫の瞳は、それなりに美しいと思った。がらんどうの濁った眼であったとしても。
「ーーああ、今日が面会の日だったのね」
「姫君におきましてはご機嫌麗しゅうーーっ」
舌を。噛んだ。
痛さに悶絶する。けれどそれを顔に出すわけにはいかない。
「ふ、堅苦しくしなくていい。陛下もわたくしもそういうのは苦手だから」
浅く笑われ、恥ずかしさにマケインの顔に朱がさす。
寝台から起き上がり、姫君は気だるげに微笑む。
「君も父上の指金でしょう? なんて言われてきたのかは想像がつくわ。ここにはあなたのお仕事は何もないから帰ってちょうだい」
「しかしながら!」
「わたくしは今日明日の命というわけではないの。説得役にできることなんて……」
「……失礼ながら、姫様。お一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
ドグマが、マケインの物言いに顔をしかめた。足を蹴とばされるも、疑問は解消しなければ気が済まない。
「姫君は、重篤なご病気であらせられますでしょうか」
「健康よ。今日もポーションをぐいぐい5本は飲んだわ」
(うん? 聞き間違えか?)
「陛下が大変心配しておられました。この、散らばった薬瓶の数々は……?」
途端に、それを聞いた姫殿下は態度悪く鼻で笑った。
「これはね、最新式のポーション。わたしの主食よ」
「は…………?」
ポーションとは、食物にカテゴライズされるものなのか?
困惑したマケインに、お姫様はにっこり笑う。
「御父様も意地が悪いわ。わたしの食生活を快く思っていないのは知っていたけれど、新しい騎士が着任すると嘘をついてこんな可愛い女の子を送り込んでくるだなんて酷いじゃない」
マケインの、目が。死んだ。
いくら己の見た目が美少女面だとしても、事実だから言い逃れできないとはいえ! まさかこのようなメンタルの試練がやってくるとは!
怒ってはならない。不敬な真似をしてはならない相手だ。
ドグマが笑いを堪えたのが分かった。この時ほど、こいつを殴りたくなった時はない。
「あなたのような可愛い女の子が、このような所で時間を無為に過ごすことはないわ。わたくしはいつでも敬虔なる信仰を祈りながらこの部屋で気持ちよくひるねを……いえ、失敬」
おい。昼寝を、とかほざいたか!
マケインはだんだん状況が理解に追いついてきた。要は、この王女様は……。
「姫君、貴女様は、昼行燈という響きはどうお考えで?」
それを聞き、ドグマは顔をしかめる。しかしながら、当の相手ときたら、感銘を得たようにぱあっと顔を明るくさせた。
「それはもう、最高の言葉ね! このズーシュカ・ナナリー・フェレトメイデンの人生において、一、二を争う名文句だわ」
(ーー分かった。この人は、この人物の本質は、こういうことだ)
飛びだたない小鳥。
王子を助けないヒロイン。
引きこもニート、
ヒキニート!
彼女は、何もしない。この部屋で完結している。生命活動の一つである食事すら放棄して、ひたすら祈りの時間と称して惰眠を謳歌している。
拒食症ではない。このお姫様は、とにかく怠けたいのだ。なまける為の一環として、食事という行為に価値を求めなくなっただけなのだ。
恐らくこの世界にポテトチップスとコーラがあったなら彼女は毎日それを食べるだろうし、別に三食同じものを出されても困らないのだろう。
それとも……他に事情があるのか。
「姫様、もしも、そこで転がっているポーションよりも優れた料理を私がご献上できると申し上げましたら……どうなさいますか?」
「そんなものがこの世にあるはずがない」
姫は、明らかに暗い顔になった。
「いいですか? 食事とは存在する限りこの世で一番の拷問ですのよ。苦い、えぐい、辛い、まずいのが当たり前。ポーションとて美味しいわけではありませんが、あれと比べるまでもない文明の利器です。わたくしは、まずいご飯を食べるくらいなら、ポーションで生活することを選びます」
これは……もしや。
「俺の出番じゃないか?」
思わず考えたことが口に出た。
飯スキル特化の、ーーーー俺だったら。
この子を救ってあげられる?
「姫様、俺に任せてください」
長いまつ毛に縁どられた、霧がかった瞳が大きくなった。
「あなたは何も間違ってない。この世界の料理の水準が、あなたの味覚に合ってないだけの話なんです。俺が、あなたに本物の料理というものを教えてあげます」
マケインは、ウインクまで決めて言う。
「俺の名前は、マケイン・モスキーク! この王国に料理革命を起こす男です!」
この時の少年は、何か得体のしれない閃きによって脳内に変なドーパミンが放出されていたらしい。
もっと言うと、この行動はどう考えても騎士の発言ではなかった。
誇り高い騎士を目指すはずだったマケイン・モスキーク。これから栄光の道のりを歩むはずだった男爵子息。登城数時間……生を忘れた姫様の『飯炊き係』に決まった瞬間だった。




