☆86 俺は彼女と約束をした
萎れた花みたいに、トレイズは泣いた。
陛下のお言葉は、それほど彼女にとって屈辱的なことだった。
国王が去った後、ボロボロと無言で涙を零す少女の雫があまりにも透明で厳かだったものだから。
マケインは、思わずそれに見惚れた。
彼女は、泣き顔すら綺麗だ。
素直に悔しいことを悔しいと言える。それはどんなに美徳なことか。
日本で茫洋と無常に暮らしていた日々。今は戻ることのない追憶。
なんとなく、で心を麻痺させていたあの頃の自分に見せてやりたいくらいだ。
「トレイズ、大丈夫だよ」
「だって……あたし、」
「モンスターの異常発生はトレイズのせいじゃない。大衆が敵にまわったとしても、俺が味方するって」
「そんなの……保証なんかないわ!」
わっと激しく彼女は泣く。
労しそうに、ダムソンが慰めようとした。その手を振り払って、感情のままに桜色の髪が乱れる。
「裏切者! 何が神官長のダムソン・ルクスよ! 結局は権力に迎合してあたしを見捨てたわね!?」
「違うのじゃ……決して儂は、トレイズ様を裏切ったのではなく」
「何が違うのよ! 顔を上げて言ってみなさいよ! どうせあたしなんて哀れでちっぽけな平民よ!」
これでは堂々巡りだ。
ダムソンが弱り切ったように息を吐く。しゃくりあげたトレイズを抱きしめて、マケインが声を出す。
「トレイズ! 俺が君を守るよ!」
「ふえ?」
「この国の騎士になって、出世してみせる! 誰が敵になったって、君を守れるような立派な騎士になるよう頑張るから!
だから、そんなに泣いてくれるな……」
きょとんとした顔で少女はこちらを見た。
みるみるうちにおでこと頬が赤くなっていく。熱を帯びた眼差しに、マケインは早まったことを言ったことに気が付いた。
「……信じてもいいの?」
「君は一人じゃない! 俺も、両親も、妹たちも、ダムソンやエイリス、タオラやリリーラだって、みんな、みんな君のことが大好きなんだよ」
「そんなの……」
「一人ずつ、縁を繋いでいくんだ。怖くて一歩ずつしか前に行けない、そう思ったとしても。そうしたら、きっと温かい日々がやってくるよ。君の世界は、思っているより希望で溢れていくはずさ」
大和男児らしからぬ恥ずかしいことを口走っている。
そんな自覚がマケインにはあった。
それでも、戯言でしかないと分かっていても。嘘八百に過ぎなくても。
「トレイズ。君の幸せの為なら、俺は悪魔に魂を売っても構わないんだ」
「…………」
約束、よ?
そう彼女の唇が動き、マケインは晴れやかに笑った。
そこに、野次馬から声がする。
「感動じゃ! よくぞ言うた!」
ダムソンが滂沱の涙で雄たけびを上げた。
マケインはびくっと振り返る。そんな少年の両手をとって、ダムソンが声を張り上げる。
「マケイン殿! そなたが我が国の騎士となるからには、是非とも這い上がりましょう! 儂はそなたの下剋上が見てみたい! 誰にも恥じぬ強さを身に着けるのじゃ!」
「あ、はい……」
「ギルドカードの件といい、早急に指導者を見つけることが先決! このダムソン、王家の末席を汚す者として、一流の魔法使いに心当たりがあるのじゃが……っ」
「色々すみません」
うん? 王家の末席?
マケインの怪訝な表情に気が付いたのだろう。ダムソンは照れくさそうにこう話した。
「儂は、アストラ王国、先代の王弟なのじゃ。魔神の加護を得ているのじゃが、先の戦争で軍を率いた際に魔力の大半が枯渇してしもうてな……国境の食神殿に身をやつしながら、帝国の動きを監視する役目を担っておった」
「おう……っ」
王弟ぃいいいいいい!?
まさかの正体にマケインは驚愕する。
「このこと! 父上は! 知って!」
「知るわけがなかろう」
てへっと言うな!
「トレイズ! どうして黙っていたんだ!」
マケインの混乱している姿に、トレイズは唇を尖らせた。
「……だって、特に興味、なかったから。聞かれなかったもの」
「大事なことだから教えてほしかった!」
悶えているマケインを横目に、少女はばつが悪そうにそっぽを向いた。
ダムソンは、困り顔で笑う。
「魔神のご加護を戴いているといえ、儂は魔法に関しては凡才の域じゃ。だからこそ、伝手で探せる限りの最高の魔法使いにマケイン殿の指導にあたってもらうつもりじゃ。
ちょいと真剣に修行してみるつもりはないかね?」
「勿論!」
萌黄色の瞳が、瞬きをしている。
ーーーーそれでトレイズが守れるのなら。
悪魔でも、師匠でも、魂のバーゲンセールは始まっていた。
ただ、君のぬくもりを手放さないように。
ご飯を食べる度に美味しいと笑う君の笑顔を見ていたいから。




