☆84 国王陛下と勲章
二か月後。今、マケインたちは王都へと居た。
ベルクシュタイン領にはサラを送り出すことになり、彼女の手料理を食した伯爵はすぐに臣下との縁談を決めたのだ。
涙ぐむ彼女にドレスやら反物やらを持たせ、その婚礼準備を手早く整えたのと同時に、マケインはトレイズと共に都へ旅立つこととなった。
「ーーここが、王都……っ」
その都市は綺麗に舗装された芸術のような石畳や立派な建築物が立ち並び、貴族の裕福さを象徴するような豪奢な屋敷が数多くあった。行きかう人々は忙しなく足早に生活をし、一見すると清潔感すら感じられるような衛生さすらあった。
少なくとも、マケインの中にある日本人の価値観からしても不快になるような光景はない。しかし、この一年と少しの間モスキーク領の埃っぽい空気に親しんだ者としては逆に寂しさすら感じられた。
「ふうん、今のこの国の王都はこんなことになっているのね」
マケインと共に王城へ参上することになっていたトレイズは、馬車の窓から身を乗り出して呟いた。その淡々とした物言いに、マケインは思わず尋ねる。
「トレイズは前にも来たことがあるんだ?」
「ええ、まあ……」
ふん、と鼻を鳴らして彼女は言った。
そのすりガラスのような瞳は街の中央にそびえる壮麗な塔を……ぼんやり眺めている。
「……でも、昔のことはそんなに覚えていないの」
「そういうものなのか」
「古い記憶を思い出そうとすると頭にもやがかかったようになって………イタッ」
顔をしかめ、女神は表情を険しくさせた。その様子を見て、マケインはわずかに不安な心持ちとなる。ただでさえリリーラが帰郷した後、機嫌を損ねていたトレイズのことだ。会話のどこに地雷が隠れているか分かったものではない。
「ほら、見てごらんトレイズ。美しい建物があるよ」
あからさまに話を逸らすと、
「あちらは大神殿でございます。この王都には武神様と魔神様が祀られた二つの神殿が王都を守護なさっておいでなのです」
世話役として共に王都まで旅をしてきたグレイ・リーフェンが息を漏らしながら誇らしげに言った。
「ほっほ、ただの装飾華美な二つの塔じゃわい」
後ろ盾の一人であるダムソンがニコニコ笑う。
グレイの眉間にできたシワがぐっと深くなるも、寸でのところで何も言わないことに決めたらしい。
桜色の髪を風になびかせながら、トレイズの唇は音もなく動いた。
「…………」
え?
……ただ、その瞬間の君があまりにも大人びた顔をしていたものだから。
身動きがとれずに固まったマケインを見て、彼女は笑う。何を思っているのか、感じているのか。分からないままに、馬車は王城を向かってただ走っていった。
正午の大きな鐘が振動を響かせた。
召喚状とダムソンの姿を見た城の人間は慌てて上へと取り次いでくれたので、さして待つこともなくスムーズに王城へと入ることができた。
テレビの中でしか見たことがないような、絨毯やら、絵画やら、飾られた美術品やらの豪華さに言葉を絶句させてしまう他ない。
モスキーク家のボロやで普段暮らしているマケインには些か刺激の強すぎる光景だ。今待たせれている応接室の調度品もいかにも高そうで恐ろしすぎる。
「そんなに緊張しなくてもいい」
ダムソンはくっくと笑った。
「は、はあ……」
「まあ、無理もないがの。もしも望むのであれば、トレイズ様の伴侶であるそなたならこれぐらいの城に住むことだってできなくはないのじゃぞ?」
悪戯っぽい口調だが、半分本気のようにも聞こえる。
隣にいたトレイズはにっこり笑ってマケインの腕を引き寄せた。
可愛い声で毒を吐く。
「そうね、いっそモスキーク邸をこれよりも大きくて立派なお城に改築してしまえばいいのよ。旦那様があのリリーラの持っている財産が必要なら、あたしだっていくらでも信者に貢がせてみせるわ」
それは最早改築とは言わない。新造というのだ。木造の屋敷をいきなり城にリフォームしろとか、どんなびっくり番組の企画なのだ。呼ばれた匠が泣くぞ。
横暴な発言をしているトレイズのセリフに、こちらがたじろいでいると……。
「ーー客人たちよ。うかつに隣国を刺激するような真似はやめてもらえないかね」
呆れたような言葉が降ってきて、マケインは驚きに振り返った。
目じりに深いシワが刻まれた、立派な服をまとった男の貴人がそこに立っていた。白髪が重ねてきた年齢を感じさせるが、それすらも威厳に変えてしまうようなひとかたならぬ雰囲気を放っている。
「陛下」
「少年よ、よくぞここまで来たと言いたいところだが、儂は随分待ちくたびれた」
「へ、へへへ陛下!?」
驚愕に飛び上がりそうになったマケインに、国王は溜息をつく。
「喜ぶがよい。個人的な話もあった故、非公式にこの部屋で会うことにした。辺りには人払いをしてある故、田舎者の多少の無作法は多めにみよう」
「良かったのう、陛下の温情じゃぞ。マケイン殿」
緊張で冷や汗が出てくる。
それにしても、陛下の年齢は予想よりも若い印象だった。もっと老いた恰幅のいいスタンダードな王様らしい人物が出てくると思っていた為、マケインは驚きをそっと胸に隠した。
「これが勲章だ、受け取るがよい」
燕が刻印された黒リボンの勲章を片手で放られた。慌ててキャッチしたマケインはどもりながら跪く。
「ありがたき幸せ、我が命は、どこまでも国の礎の下に」
「精々励むことだ」
呆れたように吐き捨てられた。
どうやら相当怒らせているらしい。なんと答えたらいいか悩んでいると、隣にいたトレイズが眉をぴくりと釣り上げた。
「いくら待たせたこちらが悪いといったって酷い態度じゃない?」
トレイズ!!!?
こいつ、真っ向から国王陛下に歯向かいやがった!?
「……ほう」
感情の読めない眼差しで、王はトレイズを眺める。
史実に伝わる通りの、桜色の髪。春の若草に似た萌黄色の瞳をした美しい少女を前にして彼はこんな感想を零した。
「叔父上、これが件の顕現した女神とやらか」
「その呼ばれ方は隠居して捨てたはずなんじゃがのう……彼女においては間違いなく、その通りじゃ」
「……この小娘が、か?」
トレイズの貧相な胸元を見て、いかにも国王が落胆したような顔になった。その表情に気が付き、女神は頬を膨らませる。
「なによ、言いたいことがあるなら言えばいいじゃない!」
「食の神にしては、女性として発育が悪すぎる」
「そ、そんなことないわよ!?」
深く、深く溜息をついた国王は呟いた。
「ーー儂はお前を神だとは認めない」
部屋の空気が変わった。




