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☆83 苦労と封筒の中身と後ろ盾




渋々といったように、伯爵は帽子を脱ぐ。まるで、心にまとっていた鎧を外したかのよう。

その双眼は、険しくも震え……何故かマケインには彼が途方に暮れている姿に見えたのだ。


「……お前のせいだ」

わなわなとした声。そこには義憤が含まれている。


「お前のせいで、私の生活は滅茶苦茶になったのだ」

どういうことだろう。

呆気にとられた少年に、ベルクシュタイン伯爵が告げた。


「決闘のあの日、私にお前は変わった料理を食べさせただろう。そのせいで、あれからというもの口にする全てがおぞましき味がして仕方ない……一流のシェフの首を何度切っても、何をしても解決しないのだぞ!」


そのセリフを聞き、トレイズとダムソンが堪えきれずに噴き出した。

「なんて……っ」

腹を抱えて笑う二人に、半分泣きそうな顔で伯爵が睨みつける。マケインは、今の言葉を聞いて反射的に言った。


「またまた、考えすぎですって」

適当に打った相槌に噛みつかれる。

「だったら良かったのだがな! リリーラをそなたに預けたのは、この機会にお前の作る料理の秘密を知神の加護を戴いた我が娘に見破らせるためだったのだが……」

マケインに取りついているリリーラは、堂々とした態度だ。胸を張り、あっけらかんと言い放った。


「まるで解析不可能、ですわ!」


「それに加え、モスキーク家に嫁ぎたいなどと言い出す始末だ……おのれ、貴様が関わると思惑外のことばかりが起こる」

息を吸い込み、


「ーー私は、本当に美味いものが、食べたいのだ!!!」


あまりにも苦しそうな伯爵の姿に、マケインは同情的な気持ちとなった。確かに、この世界の人々にとってはハンバーガーの美味さは革新的なものだったのだろう。それどころか、一度知ってしまったその極上の味は、二度と手に入らなければ猶更辛い思いを募らせる一方だ。


「……解決策、ないわけではありませんが」

マケインの思わず呟いた言葉に、ぎろりと伯爵がこちらを見た。その放たれる圧力に負けそうになりながら、少年はボソボソ続けて喋る。


「あの。自分がずっと料理を教えてきた弟子の奴隷が、三人いるんです。そのうちの一人を、ベルクシュタイン領へと派遣させてもらうのでは、ダメでしょうか……?」


「なんだと!?」

深々とした嘆息が聞こえる。安堵の音だ。

そして、絶望に青ざめていた伯爵の顔色がわずかばかり生気の通ったものと変化した。


「うむ……そうだな。それなら、うむ……」

「素直に御礼を言わんか。いとし子様からの直々のご配慮ぞ」

ダムソンがそんな茶々の入れ方をする。


「そうだな、この世に三人しかいない弟子か……その貴重な奴隷を買い取るには白金貨何枚が妥当だろうか」

「いいや! お金をもらうというのは、人権上ちょっとどうかと……」


「金銭では解決しないほどの価値と?」

「人の命がかかってるのは確かですが……」

呆れたようにトレイズが二人を見た。

萌黄色の瞳が半目となっており、どことなく不機嫌そうだ。


「ちょっと、話が微妙にかみ合ってないわよ!」

「あ、ごめん……」


「旦那様もどうしてそんなに弱腰なのよ!」

気弱な日本人の大和魂というやつなので、勘弁して欲しい。

ベルクシュタイン伯爵は、ようやく我に返った顔で自分の背広の内ポケットを探った。ようやく出てきた刻印押しの蝋で固められた封筒をマケインに差し出す。


「忘れるところであった。最も大事な用件、これが王宮からの書状だ」

なんということ。

緊張しながら受け取った封筒をひっくり返し、


「これは今ここで開いても?」

ダムソンが尋ねる。伯爵は頷いた。


「是非そうして欲しい。再びどこかへ捨てられてしまってはこちらも示しがつかん」

「失礼します……」

封蠟なんて見たのは初めてだ。乾いた音と共に封が開く。そこに書かれてあった内容に、マケインは驚きに目を見張った。


「……王様からの叙勲?」

「そうだ。暴れワイバーン討伐、王国民の救命の最大の功労者であるマケイン・モスキークに対し、王は燕黒勲章を授与するおつもりなのだ」


「は…………?」

マケインは放心している。

ダムソンが、その顎鬚を撫でた。


「ほほう、燕黒勲章とは……マケイン殿、この勲章はの、将来有望な働きをした英雄に贈られる物での、要は王宮側がちょっと青田買いしておきたい若者を見つけた時の動きなんじゃよ。王はマケイン殿を騎士にでもするおつもりかな?」


「騎士? 自分が?」

「興味があれば受けてもいいのではないかの」

あんぐり口を開けているマケインに、ダムソンはくくっと笑った。


「す……すごいです!」

エイリスが感極まった叫びを上げた。

「お仕えしている男爵家のマケイン様が燕黒勲章だなんて……私は夢のようですっ」

「そ……そうかな」


「勲章を持ったご貴族は、この国の女の子の憧れの的ですよ!」

「でも、俺だけの力じゃないよ」


「獣人部隊をあの時率いていたのはマケイン様です。今でも思い出したら、うっとりしてしまいます……幼くともマケイン様のご勇姿といったら!」

「あー、ありがとう?」

少し気恥ずかしい。


「……すごい、マケイン」

タオラがジッと見つめてくる。アクアマリンの瞳はキラキラ輝いていた。

「私も嬉しい」


「ありがとう、タオラ」

にへらっと笑ったマケインに、トレイズが言った。


「ま、まー、仕方ないわね。これで調子に乗ったら許さないんだから」

「俺が調子に乗ったことなんてあった?」

「何よ、エイリスとタオラに鼻の下伸ばしちゃって」



(だって、勲章だぞ! 下級貴族のこの俺が、王様から勲章をもらうだなんて信じられるか!?)


拍手喝采。驚天動地。

心の奥で獅子が吠えた気分になった。

マケインが振り返ると、義母のマリラと父のルドルフが嬉し泣きをしていた。その姿にマケインは動揺を隠せない。


「な……なんだよ、泣くことなんてないだろ!」

「ああ、本当のことでしょうか」

「お前は分かっていない……貴族にとって我が子が王陛下から勲章を賜るだなんて、この世の誉れ以外の何物でもないのだぞ」


 トレイズが靴の先でマケインを軽く蹴とばした。

「ほら、大切な両親でしょ。抱きしめてあげなさいよ」


おずおずと両手を広げると、あたたかな体温に包まれる。なんだか心がじんわりと熱くなって、マケインも一緒に泣きそうになった。


「……ベルクシュタイン伯爵、本当にありがとうございました」

「なるべく早く王宮に参上することだな。王は首を長くして待っておられる」


「弟子の件ですけど、金貨はいりません。奴隷ですが、大切に扱ってあげてください。その代わりのお願いがあります」

「言ってみたまえ」

緊張しながら、前歯の裏で舌を動かす。


「今回の首謀者であるカラット家の処罰を。そして、これからの私の後見人となってくださいませんか」

「ほう」

しばらく考えた後、伯爵は口端を上げた。


「よかろう。また、カラット家には王からしかるべき沙汰が下されることが予想される。トレイズ様とダムソン様の御身が危険に晒された以上、何事もないことはあり得ぬ。恐らく家は残ったとしても子爵は投獄、財産も大半が没収だ」


「そうですか」

「貴様の後見人となることもまた一興。無謀な若者の後始末は癪だが暇つぶしとしては悪くない」


「お父様……」

青ざめたリリーラが囁く。


「リリーラ、この男でいいのだな」

金髪の少女が途端に嬉しそうな表情となる。今にも花開くような笑顔だ。

「ええ!」


「帰るぞ、婚約の準備をしなければならん」

「ありがとうございます、御父様!」

……はい?

その二人の姿に、マケインは大声を出した。


「婚約って俺は承諾してな……っ」

「我が後ろ盾が欲しいのだろう? マケイン・モスキーク」


「確かにそう言いましたけど!」

「ならば、婚姻という選択肢とて妥当なところではないか? 落ちぶれとはいえ、貴殿もまた貴族の血を引いている。リリーラ本人も望んでいることであるし何も問題はないであろう?」


絶句してしまった一同に、伯爵は穏やかに笑った。

「たまには娘の幸福を祈ってもよかろう」





走り出した馬車。

その後ろ姿を呆然と見守っていたマケインに、女神がわなわなと怒りに燃えていた。ふわふわに流れる髪は逆立っており、阿修羅もかくやだ。


「どーするのよ、良かったわね。あたしというものがありながら、ベルクシュタインの小娘が嫁いでくるんですってよ、信じられないわ……これって浮気よね、そうよね、そうに違いないわ」

「……トレイズ?」


「どうして断らなかったのよ!」


目をそらしながら、マケインは呟く。

「だって、俺、権力には弱い方だし?」

それに、頬を染めたリリーラはちょっぴり可愛かったのだ。


「あたしは神様よ!」

「……怖いじゃん。あの伯爵家って」

できるなら敵に回したくない一族だ。


「反対よ! 断固反対! あの小娘が妻だなんて認めないわ! ただでさえ巨乳のメイドと虎娘とでおなか一杯なのに、これ以上ライバルが増えただなんて認められないのよ!」


「とにかく誤解だって! 気の迷い! 多分弱ってるところに優しくされて勘違いしちゃっただけ! こんな貧乏男爵家、リリーラだって本気じゃないさ!」

「じゃあ、早くどうにかしなさいよ!」


ああ、時間を巻き戻したい。

恨めしさすら感じながら、トレイズの怒気を鎮めようと苦労する。

埃っぽい天井を眺めながら、動き出した運命にマケインは途方に暮れるしかなかったのだった。




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