☆80 戦の、其のあとは
戦死者の農兵と、ブラックサーペントに殺された村人たちの葬儀は合同で行われた。
ルドルフの弔いの挨拶を聞きながら、マケインは俯いた眼差しをそっと上げた。ベールを被り、黒いドレスを着た彼女の姿が目に入り、不思議と暗色のはずなのに眩く思えた。
「マケイン」
「トレイズ、それにエイリス」
「お疲れ様……犠牲者、結構出ていたのね」
ベールの向こう側。顔をしかめたトレイズは、悔しそうに呟く。
「トレイズ、邪神ってなんだ? アイツは、うちの領地で一体何がしたかったんだ?」
エイリスは目を瞬かせた。
「邪神、ですか?」
あまり聞かれたくなかったといった表情の女神。
トレイズは溜息をつき、憂鬱そうに告げる。
「……十一番目の抹消されし神」
「抹消された神だって?」
「これ以上は口にしたくもない、おぞましき神のことよ。絶望と破壊を司り、今は残りの神々によって封印されているの」
その言葉一つだけでも悪の権化のように聞こえる。
「その封印は、どんな条件で解けるんだ?」
「守護者として選ばれた者が守っている十の要石が壊れた時、邪神は目覚めるはずだけど……今は保管されている詳しい場所は誰にも分からないわ。おとぎ話みたいなものよ」
「きっと、アイツらはそれを狙ってるんだ。各地を襲っているのも、散らばった石を探しているんだよ」
マケインの言葉に、エイリスが息を呑んだ。
メイドが気弱そうに言った。
「そんな、マケイン様。とても恐ろしいです」
「バカバカしい!」
トレイズはマケインの台詞を一笑に付した。
「下界の民がこんな事情知っているはずがないわ! 神が分からない置き場所を魔族が分かるわけないじゃない、邪神の封印は安全そのものよ! ねえ、お願い! 貴方は危険な真似だけはしないでちょうだいっ」
「……そうだな」
けれど、何故だろう。
胸のどこかがこんなにざわめいて仕方ないのは。心の奥底で、これからの予感のようなものを感じてしまうのだ。
「マケイン」
伯爵家の令嬢らしい装いに身を包んだリリーラが金髪を振り払って微笑んだ。
「よく頑張ったわね、今回は褒めてあげる」
「それはどうも」
「嬉しそうじゃないのね」
「そういう気分じゃない」
ふうん、と不思議そうにリリーラは首を傾げた。
彼女にしてみれば、争いごとに犠牲者が出るのはありふれた話だ。今回は魔物の中規模な襲撃もあったし、そんな中この程度で死者が収まったのは重畳だろう。
貴族として、最高の戦果を上げることができたのだ。有頂天になってもおかしくないはずなのに、どうやらマケインは落ち込んでいるように見える。
「ねえ、兄ちゃ」
ふとマケインが横を見ると、そこには小刻みにジャンプしているルリイがいた。近くには、不機嫌そうにしているミリアもいる。
「兄ちゃが助けた女の子が、お礼を言いたいって」
「お礼?」
そこには、控えめに咲いた花を持った幼女が所在なさげに立っていて。そのばつが悪そうな顔に、マケインは目をぱちぱちさせた。
「どうしたんだい?」
「あの……助けてくれてありがとう。そして、ごめんなさい」
「あのままじゃ後味が悪すぎたからね。俺が勝手にしたことだ。君が無事だったなら、いいんだ」
「…………」
彼女の頬から涙があふれてくる。
次から次へと零れ落ちるそれを拭いながら、マケインは優しく語りかけた。
「人間の命なんて、儚いものだ。もしかしたら、明日にでも、死は唐突にやってくるのかもしれない。だけど、だからこそ、それを大切にして生きていけたら素敵だろ?」
「あなたは、あたしたちを守ってくれるの……? 平民で、価値なんてないって言われているのに。その命を大切にしろっていうの」
身を震わせて、呟かれた言葉。その嗚咽を、マケインはどうにか拾い上げようとする。本当は、もっと早く言えたなら良かっただろうに。
マケインは、貴族だ。それも、この領地を治めるモスキーク家の長子だ。いつかは、戦争に出陣してもっと沢山の人々を動かす立場に立たされるかもしれない。
心の底が滲むような恐れが忍び寄る。
ああ、嫌になるくらいこの世界では簡単に人が死ぬ。守ろうとしても、到底全てなんて守りきれるものではない。
「嘘になってしまうかもだけど……守りたいよ。こんな自分だけど、誰かを守れるような英雄になりたいんだよ」
なりたかった。
今は遠すぎる夢。思うだけで翼が焼かれて落とされてしまいそうな、途方もない希望。
「約束はできない。俺は貴族だから、君のことを助けないことだってあるかもしれない。だけど、貴族だからこそ、民を愛して守りたいって思うんだ」
「…………」
少女は、俯いて。それから言った。
「マケイン様は、愚図じゃない」
「ははっ」
「そう、信じてる」
そんなことを言って、少女は花束をマケインに渡した。
風にそよぐ花弁からは甘い香り。
その笑顔は、曇り空の晴れ間みたいな、そんな泣き笑いだ。
「……ふん、私をどうするつもりだ」
両手両足を縛り上げられたカラット子爵は、一触即発の空気の中で不機嫌そうに口を開いた。
仮にもカラット子爵は貴族であるため、その処遇に困ったマケインは、頭を痛くしながら周囲を見渡す。そこには、許されるものなら殺してしまいたいといった目をした客人たちがぐるりと取り囲んでいる。うかつに離れた瞬間に、何が起こるか分からない。
「外患誘致に、モンスターの意図的な発生。何か言い訳はあるか、カラット子爵」
「はて、何のことやら」
都合よくとぼける子爵。その態度にイラつきを抑えきれない。マケインの表情が険しくなったのを見て、ドグマが息を吞んだ。
「随分立派な記憶力をしているな、それとも、貴殿の頭脳は都合の悪いことは忘れるようにできているのか?」
マケインは厳しく言う。
「場合によっては、そうかもしれぬな」
「つまり、貴殿はこの領内で起こったことは全て忘れて今後を遊び暮らすと?」
頭が悪いカラット子爵はすぐに言われたセリフに飛びつく。
よだれを垂らした犬のように下品に肯く太った中年貴族に、マケインはいい笑顔となった。
「そうだ、是非ともそうありたい」
「都合のいい話だな、貴族とはそこまで選ばれた存在か?」
「貴様には……貴様にはわかるまい。平民かぶれのルドルフの息子よ。我々貴族は、何をしても許される。貴族とは神に選ばれた王家の末裔だ。下賤の民とは、流れる血が違うのだ」
「……だそうだ、皆さん」
ダムソンは、哀れなものを見るようにカラット子爵に視線を送った。
「そなた、つくづく気の毒な人間じゃの。儂の前の言葉じゃ、今更無かったことにはさせぬぞ」
「ということになったので、皆様思いの丈は存分に発揮してお帰り下さーい」
マケインの声掛けに、カラット子爵が間抜けな表情となる。
まず、一番に手を上げたのはサーペント討伐の際に亡くなった兵士の遺族だ。ただならぬ気配で近づき、勢いよく若い未亡人は子爵の頬を張り倒した。
「よくも……っ あんたのせいであの人はっ!」
「な、何をする! 私は高貴な子爵家の!」
なんとも笑えない光景だが。そこでマケインが悪辣に突き放す。
「おや? 子爵、この場で起こったことは全て忘れてくださるのだろう?」
「んなあ!?」
初めて子爵が動揺を見せる。
そうして、今の一撃をきっかけに、同士被害者の人々が勢いよく子爵を血祭りに上げ始めた。
最早、貴族か平民かなんて関係ない。数の暴力というやつだ。
いくら貴族が偉そうに振舞ったところで、数名の護衛だけなら武力はむしろマケイン達の方にある。
というか、カラット子爵が連れていたはずの護衛は何故かブラックサーペントが倒された直後に三々五々にいなくなってしまった。大方、ろくな金で雇われていなかったに違いない。悲しいぐらいに人望がなさすぎるぞ、子爵さんや。
血眼になっている村人や貴族家の使者の方々に、マケインはそろーり、壁際に移動した。
最初は「何をする!」とか「ふざけるな!」とか叫んでいたはずだったのに、やがて悲鳴しか聞こえなくなった。
「ざまーみろ」
相手が仮にも貴族であるのが残念だ。
今後、子爵が逆恨みしてきても、恐らくはダムソンのコネクションや派閥の親元であるリリーラの方でどうにかしてくれるだろう。
(俺もまた強者の威を借りているわけだ。なんて美しくない生き方だろう)
「ふふ、いい気味」
トレイズが失笑している。
いかにも同感だが、一応たしなめておく。
「レディーがそんなことを言うんじゃありません」
「あら、いつもこちらの誘惑に乗らないくせに。あたしのことを女の子扱いしてくださるの?」
マケインが返答に窮すると、女神は笑いだす。
そんな二人の様子を見ていたタオラが、耳をぴくぴくさせてマケインに向かって抱きついてきた。
「……マケイン、あれには参加しないの?」
人差し指は、怒ったミツバチのようになった団子を示す。
「うーん、遠慮しとく」
触ったら厄がつきそうだから。




