☆77 カラット家の暗躍
オープンから三日が過ぎても、客足は全く引く様子がない。
いくら口を動かして、商品説明をしゃべり続けても終わりが見えなかった。
「このパンは、豆を甘く似て中に詰めた餡パンという名の商品でして……、あと、こっちはスパイスで作ったカレーを詰め、油で揚げたカレーパンになります。日持ちがするものをお求めでしたら、全粒粉の風味を生かしたカンパーニュなどがよろしいかと」
この世界のパンはピタパンが一種類あるだけで、何種類も店に用意してあるというこの品ぞろえは貴族家の視点からしても画期的なことらしい。
餡パンやクリームパンを初めて食したお客さんは目玉を落っことしてしまいそうなほどに絶賛してくれたし、カレーパンはスパイス食で育ったこの世界の人間にとっては親しみやすい味だ。
べしゃっと潰れたピタパンに比べて酵母で膨らみ、かつ遠距離でも持ち帰ることができる丸パンやカンパーニュはまるで天から授かった食物のような味わいがすると絶賛を受けた。
怖いくらいに全てが上手くいっている。
恐らく値段を吊り上げようと思えばもっと儲けることができるだろう。けれど、あまりにも暴利な価格にして恨みを買うのも恐ろしい。
そうやってオーナーであるマケインが悩んでいるというのに、トレイズやジェフはいけいけドンドンとばかりに強気でパンを売りさばいていた。
「マケイン様、こちらが売り上げでございます」
「……なあ、ジェフ。気のせいか? いくつか金貨が見えている気がするんだけど」
「それがどうしまして?」
マケインは驚愕に口が開きっぱなしな気分だ。
その反応を見たトレイズが大いばりでない胸を張る。
「おほほ、これはとーぜんの結果よ!」
「お前たちは一体いくらの価格で俺のパンを売っているんだ……っ」
「オークションにすればもっと儲かるわよ? でも、そんなことをしたらこの国の経済が揺らぎかねないってジェフが云うのよ」
「頼むから! 穏便に!」
マケインは目を瞑って木箱の蓋を勢いよく閉じた。……何も知らなかったことにしておきたい。そう欺瞞をしておかなければ頭がおかしくなってしまいそうだ。
高笑いを続ける女性陣に、マケインは現実逃避に入った。
「マケイン様」
声をかけられて振り返る。
「あの……少しいいですか」
「何だ? ドグマ」
「実は、気にかかることがありまして」
眉を潜め、ドグマ少年はそわそわしながら呟く。
「実は、街の外れで僕の実家の紋章の馬車を見かけたという噂が今入ってきまして」
「カラット家の?」
マケインは目を瞬かせる。
ドグマは、顔を歪ませて吐き捨てる。
「一体何を企んでいるのか分かりませんが……、早めに情報の共有をした方がいいと思って……わあっ」
「でかした、ドグマ!」
マケインは思わずドグマを抱擁した。そのまま赤毛をぐしゃぐしゃかき混ぜる。
予想外の温もりに従者は動揺して離れようとする。
「ま、マケイン様! やめてください」
「どうしてだ? 褒めるべき時は褒めるのが主としての務めだろう?」
「そ、それはそうかもしれませんが……っ」
エホン、と奥から咳払いが聴こえた。視線をやると、トレイズが羨ましそうな顔でドグマのことを睨んでいる。
「……嫌な予感がしますわね」
少し頬を赤らめたリリーラが眉を寄せた。
「そうだな、うちの領地に何の用事があるんだか」
「間違いなく、このオープンに乗じてマケイン様に何か仕掛けてくるつもりですわよ。貴族の使いが集まっている機会を狙ってモスキーク家へ汚名を被せることができれば、報復としては都合がいいですものね」
そうだな。
マケインはリリーラの見解へと頷く。
「でもいいのか? 無理にこちらの味方をしなくてもいいぞ。ベルクシュタイン伯爵家はカラット家と親しいんだろう?」
「とっくにお父様は縁を切ってありますわ。我が家の威光を利用して前々から出すぎた態度をとっていたことは知っておりましたもの、どちらかというと……」
そのまま伯爵令嬢が言葉を続けようとした時のことだった。その時、店内へと何か大きな影が転がり込んだのだった。
「……ケイン様!」
その薄汚い風貌の年嵩の男に、マケインは目を見開く。
店内には悲鳴が上がり、いかにも貧しい平民の人間がここに現れたことへの悪感情が一気に客たちへと広がる。
ここには、選ばれし者しか本来立ち入ることのできない高級店という括りだ。そうにも関わらず侵入した平民に、ひそひそ声が聞こえてくる。
「ごほっ、マケイン様、どうかお助けくだせえ! うちの、うちの馬鹿娘が……!」
「どうしたんだい、こんなところにまで来て」
マケインは哀れみながら平民を助け起こそうとした。
しかし、善良から成るその行為を周囲が押しとどめる。
「お待ちなさい、罠かもしれなくてよ」
リリーラが嫌そうに言った。
「でも、嘘じゃなさそうだ。あの目を見てみなよ、真剣そのものじゃないか」
「お、おいらはこの前マケイン様にご厚情をいただいた性悪娘の父親でございやす、実はこの街の外れで先ほど、ブラックサーペントが現れたんでさあ! うちの娘ときたら、それを知らずに薬草を採りに男爵家の森へ出かけてしまって、この辺りでサーペントを倒せる武力を持ったお人なんて獣人を率いているマケイン様以外にいないんです!」
平民の言葉に、ドグマが震えて言った。
「待て、サーペントだって? それも、十年に一度くらいしか出ないようなブラック種? まさか……お前の云う娘とは、この間店にいたアレのことか」
店内にドグマの声が響く。たちまちその場は阿鼻叫喚の図式となった。
この場に来ているお忍びの貴族やその使いは、大型A級モンスターを倒せるほどの武力を率いては来ていない。ましてや毒性のある蛇のサーペントとなると、騎士の部隊でもない限りどうしようもないのだ。
「しかも男爵家の森に入るだなんて……っ 確かに薬草の群生はあっても、あそこはモンスターもいるから、出入りを制限してあったはずだ!
それで死んだとしても、自業自得としかいいようがない!」
聞いたマケインはぞっとしてしまう。
この世で考えられる限り最悪の事態が起こってしまったのだ。
「どういうことだ! 我々は騙されてここに集まったというのか!」
下級貴族の一人が怒気を露にそう叫ぶ。必死に言い繕おうとした時、店の入り口から低くいやらしい声が聞こえてきた。
「おやおや、なんと惨めなことであろう」
視線を上げると、そこにはカラット子爵が質素な成りで杖をついて立っているのが見える。変わらず悪人そうな面構え。だが以前相対した頃よりも、いくらか痩せて金回りに困窮している様が受け取られた。
「モスキーク。マケイン・モスキーク。私が幾夜憎悪にお前の名を心に刻んだか分かるか。今の状況はこうしてお前が浅慮に身の程知らずな真似をしたことへの天罰のようだ。モンスターは現れ、この地を滅ぼすだろう。哀れな平民の少女よ、彼女はモスキーク家から見捨てられ、身を散らす運命にあるのだ」
誰もが沈黙をした。
「カラット子爵……アンタ、何か知っているのか」
マケインが呟くと、子爵は目を細めてみせる。
「何も。私は、何も存ぜぬ」
「嘘をつくな。街の外れで、アンタの家紋が記された馬車が動いていたという報告が上がっている。卑怯な手段でモンスターを呼び寄せたりしたんだろう」
「どこに証拠があるのだ? 所詮辺境の男爵家の人間の発言よ、誰も聞き入れまい。今の台詞、子爵家の我が家への侮蔑と捉えるが?」
ニタニタ笑いながらカラット子爵は杖を触る。
「平民ごときの命、一つや二つ消えたところで困りはせぬ。ああ、その歪んだ表情が見たくて今まで苦労してきたのだ……」
「ふざけないで」
勢いよく、白くたおやかな手が子爵の頬を張り飛ばした。
真っ先に怒ったのはトレイズ……かと思いきや、予想外にもキレたのはリリーラだ。
「どれだけ多くの方達がこの為に懸命になったのか知らないのですか、この国の日の出をこんな形で台無しにするような真似をするなんて!」
金のボブカットを揺らし、誰よりも泣きそうな顔でカラット子爵に叫ぶ。
「私は、わたくしは、貴方のことを許しませんわ。ベルクシュタインの名を持って、二度と社交界に現れることができないと知りなさい」
「……なんと……」
しゃくりあげるリリーラに、青ざめたトレイズがそっとその肩を抱く。
「トレイズ様……」
リリーラは泣いた。
そんな彼らを見て、マケインは思った。
(このままじゃダメだ。こんな風にこの店を終わらせてしまうだなんて、あってはならないことなんだ。第一、ここまで来てくれたお客さんはどうする。あの女の子を見捨てるような真似をするつもりなのか? 自分が? 俺の撒いた種で?)
「それだけはダメだ……」
呟くマケイン。落ち着き払った態度でダムソンが立ち上がる。
「とにかく、この場は冷静になるのじゃ。落ち着いて情報を集めるとしよう。帰ることができなくなった者もおるかと思うが、まずはこの街や外の冒険者ギルドに協力を求めるのじゃ。ここには儂がおる。国から見捨てられることはあるまい。救援が来るまでは、しばらくの辛抱じゃよ」
その優し気な語り口調に、周囲の人間は幾ばくか落ち着きを取り戻した。




