☆74 ウエディングベルを鳴らすことだって
冷蔵庫づくりは意外にもトントン拍子に進んだ。
ジェフに頼んで密閉された木箱を手に入れ、蓋つきのそこに氷の塊を勘で突っ込む。その後は、中身が溶けそうになったタイミングで補充していけばいい。
保冷スキルを使えば、氷が溶ける時間を遅らせることができる。それだけじゃない、冷たい酒やジュースだって作り放題だ。
簡易冷蔵庫の中に仕込んでおいた野菜がしっかり冷えているのを確認して、マケインは満足げにニマニマ笑った。
『適量の氷』、を確保するために犠牲となった丘の草原は見ないフリをする。冬でもないのに少年の暴走気味な魔法によって過剰に凍り付いた辺り一帯は、天変地異でも起こったかのようだ。
潰された花畑を見た女性陣からは、ひどく叱責の嵐が飛んだ。しかしながら、逆に他の場所でこの災害を起こされた時の危険性をリリーラに説明されて、皆は不承不承納得をする。下手に人間が巻き込まれるような場所で使うことの方が恐ろしいことに気付いたからだ。
マケインが氷属性魔法を発動できるようになったことを聞いた父、ルドルフは、不思議と落ち着いたものだった。「今更お前が何をしでかしたとしても驚くようなことではない」、そう云って笑っていた。
その落ち着き払った眼差しにマケインは少々違和感を覚えたが、知らず知らず気のせいだと見逃してしまう。
足早に時は過ぎ去っていく。
サラたちと一緒にリリーラへと料理の指導を行いながら、カフェの準備も進めていく。眩暈のようにやることばかりだ。
正式に雇用した従業員は、女性が四人。男性が六人の合わせて十名の人間を雇うこととなった。いずれもドグマの采配で選別したせいか容姿の優れた若人ばかりで、マケインは本当に己の店などで雇ってもいい人材であるのか悩んでしまいそうになるほどだった。
ウィン・ロウの街で購入した店舗の改装が終わった。白が基調のお洒落な西洋風の造りに、屋根には伝統的な瓦が積まれている。店内には繊細な壁紙が張られて、その上に飾られている絵画にはマケインも目を見張った。
「ドグマ、これ……」
「せっかくですから、トレイズ神をモデルに若い画家へ描かせました」
カフェの壁に描かれているのは、繊細な桜色の髪と萌黄の瞳をした美しい女神の姿だ。現世へと降臨した際の女神の御姿が春風のような筆致で描かれている。
「何か問題がありましたか?」
「ううん、大丈夫だ。お客さんが喜んでくれればいいな」
「そうですね」
運んでいた椅子を下ろして、ドグマが照れくさそうに笑う。家具を運び込んで、皆で気分はすっかり高揚していた。
マケインは、忘れていたのだ。
人生はそう上手くいくことばかりではないことを。上昇する時もあれば谷底へ落ちてしまう場面だってあるし、光があれば影が差す人々だっているのだと。
分かっていればもめ事は防げただろうか。
(……いいや、それを意識してもやっぱり、『俺』は失敗したのかな)
今、マケインは自嘲する。
荷運びをした翌日。何者かの手によって荒らされた店内の様子を見て、仕事をしようとしたドグマは少女のような悲鳴を上げたのだ。
「ご、強盗! 盗人が中に入りました!」
案外メンタルが弱いドグマが泡を食って腰を抜かす。余りのことに呆然としたマケインは、視線を店内へ滑らせた。
絶句したジェフが隣へ立つ。今日は女性陣にもオープン前の店舗を見せようとして連れてきていたものだから、偶然現場に居合わせたエイリスが悲鳴を洩らした。
「マケイン様! これは一体どういうことなのですぅ……」
「つまりは家探しされたのよ」
落ち着き払ったトレイズが、貫禄たっぷりに険しい眼差しでドグマを見た。
「この店舗の鍵を最後に閉めたのは一体誰かしら?」
「ちがう! 鍵を管理していたのは僕じゃないっ」
残念なことに、真新しい壁紙はズタズタに剥がされている。流石に冒涜的な真似はできなかったようだが、幾つかのクッションの中の白い羽根が床へと散り舞っていた。
――だが、幸いだったのは絵が無事であったことだ。射光の差し込む澄んだ空から顕現した女神の画姿がそこにあった。
俺は少しホッとしながらトレイズの肖像画を眺める。この画家の魂のこもった作品はかなり気に入っていたから、無事だったことに安堵した。
「閉めたのは俺だよ、なんでもかんでもドグマを疑うなって」
マケインの言葉に、トレイズはすんと鼻を鳴らす。ドグマはジト目で彼女の方を見やった。
「どうやら鋭い金属でこじ開けられたようですね」
現場を検めていたジェフがため息をついて説明した。
「ピッキングってことですか」
「これでも高価な鍵にしておいたつもりだったんですが……」
残念そうに、彼は暗い顔となった。
「……マケイン様、奥から人間の子どもの匂いがする」
その時。マケインの服の裾をつまんで、タオラが厨房の方を指差した。
振り返ると、獣人の少女は耳をぴくぴくさせている。
そして、皆が反応を見せるよりも素早く店内を疾駆し、まだキッチンの蔭で隠れていた一人の人間を暴き立てた。
「いったーーい!!」
「……悪さをする子どもには、容赦しない」
荒事に慣れ、少女ながらに専門の訓練を積んでいるタオラには流石に相手も敵わない。二つのお下げがチャームポイントの小さな犯人が転がり出てきたのには、皆は目を見張った。
ひっ捕らえられたその女の子は、泣きそうな顔でこちらを睨みつける。
「……あなたは、一体ここで何をしていたのかしら?」
目元を暗くさせたリリーラの不機嫌な問いに、女の子は睨み返して叫んだ。
「何をしたは、こちらの台詞だ! よくもお父さんの宿屋をこんな風にしてくれたな!」
「あなた、ご自分の御立場がお分かりになって?」
苛立ったようにリリーラが台詞で噛みつくと、女の子はもがいて拘束から逃れようとする。
「貴族がなんだ! あたしはそんなものに屈しないぞっ」
「そのみすぼらしい身なり、あなたは間違いなく平民でしょう? そんなに覚悟ができているのだったら、一族郎党この街の広場で首を刎ねられたいということね?」
うっすら微笑みながら、リリーラは物騒なことを紡いでくれる。
巫女様の脅しに、分かりやすく女の子はびくついた。
「知っているぞ! 次期領主のモスキーク家の息子は蟲も殺せない軟弱ものだ! 平民の間では、食神の加護を持った女みたいな奴だって有名なんだ」
「あー……」
リリーラが殺気立った表情となる。マケインは、女の子が血気盛んに云った情けない評判に、いっそ聞こえなかったフリをして現実逃避できないか悩んだ。
「兄貴を馬鹿にしないで!」
「兄ちゃだって頑張ってるもんっ」
ミリアとルリイが大声を上げた。
一生懸命マケインのいいところを挙げてフォローしようと努めている妹たちの光景に、マケインはいたたまれなくて仕方ない。
「それ、誰から聞いたの?」
「え……」
マケインが苦笑いをして訊ねると、童女は警戒して口をつぐんだ。
「ああ、いいよ答えなくて。とりあえず、状況を整理しよう」
マケインの落ち着いた態度に、ようやくジェフが深く息をつく。そうして、次期領主に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません、私の不徳の致すところでございます」
「ジェフは悪くないさ」
「いえ、この店舗の来歴をきちんと調べなかったこと、また必要以上に交渉で値切りすぎたのが今回の事態を招いてしまったと……多分、この子は改装する前の建物で営業していた宿屋の娘かと思われます」
「なるほど……」
マケインは、緊張を解くように笑った。
「今後は気を付けるようにな」
少年の言葉に、場の空気が緩む。
(さて、どう片を付けたらいいものだろう)
罰するのは簡単だ。面倒がって見ないフリをしてしまえば、目の届かないところで何もかもが終わっていることだろう。
けれど、そうしてしまったら確実に怨嗟は残ってしまう。女神の名を掲げて始めようとしている店がそんな後ろ暗い闇を抱えていいとは思えない。
マケインは、女の子の視線の高さに屈んで真面目な顔を繕った。そんな貴族らしくない仕草に周りの人間は息を呑む。
「そうだよ、俺は血生臭いのは好きじゃないんだ」
「…………!」
「だけどな、どんな事情があったとしたってこんな風に他人の持ち物を滅茶苦茶にしたら怒るしかなくなってしまうよ」
「違うわ、お父さんの店だもの……っ」
「でも、俺たちは正式な手段でこの店を買い取ったんだ。まさかその時の金を受け取っていないだなんてないよね?」
「そ、それは」
女の子はその勝気そうな眼差しを伏せて、身体を震わせた。
「いくら悔しいことがあったって八つ当たりをしてもどうにもならないだろう」
「……お前は貴族だからそういうことが言えるんだ」
童女が悔しそうにマケインを睨む。その憎悪のこもった表情にマケインはゆるりと息を吐き出した。
「お父さんは本当は店を手放したくなんてなかったんだ、病気になってしまったから仕方なく売るしかなくなってしまったのに、こんな風に壊して建て直すだなんて酷い……」
「…………」
マケインが困り果てていると、トレイズがそっと犯人へ向かって歩み寄った。
宥めるように背中をさすりながら安心させようと抱きしめる。拘束していたタオラの手を優しく外した。
「……自分でも分かっているのよね? こんなことしてもどうにもならないって」
正しく女神のような慈愛の言葉に、女の子が鼻をすすった。ビー玉のような涙がボロボロ零れ落ちている。
「いくら気に入らないことがあったとしても、自分から悪さをして命を粗末にするような真似をしてはいけないわ。あなたを見つけたマケインが悪い貴族であったなら、大事なお父様や家族まで殺されてしまうところだったのよ」
「……マケイン・モスキークは悪い貴族でない?」
「あたしは彼ほど優しい貴族を知らないわ」
問いかけられたトレイズはくすくすと笑っている。
バツが悪くなりマケインが眼差しを逸らすと、トレイズは歌うように話した。
「聞かせてあげましょうか、この人がどれほど貴族らしからぬほどに馬鹿で、弱虫で、どうしようもなく料理を愛して、皆のことを大事に思っているのかを。このカフェだって、この領地の人々が豊かで幸福に暮らせるようになる為に、あたしが勧めたのだから」
マケインは居心地の悪さを感じる。
実際のところ、マケインは自分のことはそれほどとりたてて聖人君主ではないと信じている。ただ、自分の気持ちに正直に振舞っていたらいい方に誤解を重ねていっているようなものなのだ。
けれど、そんな耳さわりのいい偽りは女の子の心に響くものがあったらしい。
「……お父さんは、殺さないで」
「旦那様ならきっと殺さないっていうわ。でしょ? マケイン」
肩をすくめてマケインは笑う。まったくトレイズには敵わない。
「ああ、それでいいよ。ここの片づけを手伝わせたら、この子は家まで穏やかに返してやってほしい」
「待ってください、処分が軽すぎます!」
リリーラが血相を変えて叫んだ。
「仕方ないじゃないか、血を見たくないんだから」
「だとしても、マケイン様に気付かれないように重税を課し、払えなければ処刑してしまえば済むこと、ましてやその日のうちに解放だなんて!」
「もし俺のせいでこんな小さな子が不幸に死んだと知ったらな、俺は間違いなく精神を病む自信があるぞ」
実感のこもったマケインの言葉に、リリーラは頬をひくつかせる。
言いたいことは山ほどあるのに、どうやら何を言ったらいいのか困っているらしい、ようやく彼女の口から出てきたのは、「この軟弱もの!」という罵倒の台詞だった。
「いいですか、私たちは貴族なのですよ! 貴族というものは、それにふさわしい振舞いをしてこそ、特別となるのであって」
「俺はそんな偏見に満ちた人間にはなりたくナイ」
「なんてことを云うんですか! これは貴族の責務というものです!」
マケインは耳を塞いで、数歩リリーラから離れた。タオラの後ろに隠れると、虎少女は勝ち誇った顔となる。
「……これ以上、マケインに怒ったら、メ」
「ああもう!」
たしーん、たしーんとタオラは長い尻尾を床に打ち付ける。真剣そうなアクアブルーの瞳に見つめられて、リリーラは分が悪いのを認めざるを得ない。
「ずるいですわ! 獣人のくせに!」
「……そっちだって同じ人間のくせにマケインの気持ち、全然分かってない」
ツンとタオラはソッポを向いた。
オロオロしながら事態を見守っていたエイリスが、青白い顔色でマケインの下へと駆け寄ってくる。
「マケイン様、どうかお目こぼしを願いますっ」
その瞬間、焦ったせいで落ちていたクッションの残骸に躓いたエイリスがマケインの方へと転んでしまう。
「エイリス!」
反射的に受け止めようと、少年は手を伸ばす。
まだ身長の高い彼女、豊満な両の胸によって抱きしめられる形となったマケインは真っ赤になった。
柔らかいメロンに挟まれたようなものだ。
「きゃあ! ご、ごめんなさいっ」
「……いや、その。大丈夫か? この子なら不問にするってさっきから云っているじゃないか」
心の中で、マケインはクールに振舞いながらガッツポーズを決めた。
何がとはいわないが、今回の不幸はこのラッキースケベが全て帳消しにしてくれたようなものだ。
「……不潔だわ」
隠れた兄の嬉しそうな顔に気付いてしまったミリアが呟く。
「マケイン様、この平民の子が助かる為でしたら、私は何をしても惜しくありません」
エイリスは胸の前で指を組んだ。
「……そ、そうなのか」
「そうなのですぅ」
一瞬、膨らみかけた妄想にマケインは己が恥ずかしくなる。あれも、これも、もしかしたら二人で式場へ駆け込んでウエディングベルを鳴らすことだってできてしまいそうだったからだ。
「エイリス、そういうことは無闇に云うものじゃないよ」
「いいえ、私は本気です!」
エイリスはぎゅっと目を瞑っている。
マケインは溜息をつくと、彼女の柔らかな髪に包まれた頭に手を置いて、仕方ないと笑いを零した。
「じゃあ、今度また考えさせてもらうな」
年下のはずの、大人びた少年の表情にエイリスは少々ドキッとする。
「はい!」
溢れんばかりに、エイリスは笑って返事をする。
これぞ必殺・先送りだ。
彼女の無垢な笑顔にマケインは自分の思考の痕跡を振り返ってなかなか最低だと思った。
俺なんか、くたばってしまえばいいんだ。




