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☆73 アイスの奉納



リリーラの視線を感じながら、マケインは緊張しつつ食神へ奉納品を差し出す。

気だるげな雰囲気を身にまとったトレイズは、鎖骨へ流れる桜色の髪を振り払ってこちらへと瞳を動かした。

この世へまどろんでいた彼女の表情は、ぱっと明るくなる。

見たこともない料理に、咲いたばかりの野薔薇のような笑顔となった。


「なにこれ! まるで知らない食べ物だわ!」


興奮気味にトレイズがはしゃぐ。

その様子に安堵したマケインが、たどたどしく説明を始めた。


「今回は、氷を甘くして菓子にしてみたんだ」


「氷を!? この温かな季節に?」


どうやってそのようなことを?

トレイズの疑問に、マケインは頬をかく。


「その方法をリリーラに教えてもらったんだよ」


「リリーラに? どういうことかしら」


トレイズの眼差しが疑わしそうなものとなる。視線を向けられた巫女は少し怯えた表情となりながらも、閉じていた口を開いた。


「説明なさい」

「……私は、不肖ではありますが、マケイン様に願われて氷の属性魔法を学ぶお手伝いをした次第でございます」


その言葉の衝撃に、トレイズは数拍言葉を失った。


「ふうん、よくそんなことができたじゃない」


トレイズは既にマケインの魔法の才能がどの程度のものかよく知っていた。その保有している魔力の量も、また。冷めた食神の言葉に、リリーラは真っすぐ前を見る。


「恐れながら、まだマケイン様の氷魔法は制御できているとは言い難いものの、多くの魔術師が挫折して当然の具現化、発動までは至っております」


「……そう、貴女、まさか褒めてもらえると思ってやしないでしょうね?」


(気のせいだろうか。トレイズが少し不機嫌になったように感じる)

マケインが感じた違和感。直接彼女の苛立ちをぶつけられたリリーラは身を震わせ、鋭く息を呑んだ。


「し、しかし! これほどの魔力があれば発動だけであっても戦場で充分活躍できますわ! いずれは陛下の為に武勲を上げることさえ!」


「それが余計なことをしたと言っているのよ」


これから現れるだろう私利私欲で利用しようとする有象無象を想像し、女神は暗い眼差しとなった。

ぴしゃりと、この話題を打ち切るようにトレイズは言い放つ。

二人が何について話をしているのかは完全には理解できないものの、持っているボウルがだんだん熱でぬるくなってきていることに気付き、少年は焦った。

いや、実際のところ考えたくないだけなのかもしれない。以前戦ったモンスター以上の脅威的な敵が、同族の人間自身であることなんて。


「トレイズ、聞いているだけで滅入りそうな話はその辺でいいか? 早く食べないと溶けてしまうよ」


マケインのすっかり弱り切った台詞に、トレイズは真顔になった。

意表を突かれた彼女は、液体になりかけたアイスを見てショックの声を出す。


「ど、どうして溶けてしまったの?」


「そりゃ凍らせて作ったものだからな、常温の部屋に放っておかれれば溶けてきて当然だ」


「なんてことっ」


完全に話題を変えることに成功したらしい。

先ほどまで吊り上がっていた眉はすっかりへの字に下がり、絶望に打ちひしがれた顔で泣きそうになっている。そんな情けないトレイズの様子を見てマケインは笑い出した。


「ほら、食べてみてよ」


マケインがスプーンに掬ってトレイズに差し出す。すると、彼女は躊躇いなくそれに食いついた。

一瞬の出来事にマケインは呆気にとられる。じわじわと頬が赤くなっていく少年に上目遣いになった女神が微笑んだ。


「――本当に、甘くて美味しい」


鈴を鳴らす声で、彼女は詠う。

どこまでも可憐に、純粋無垢な微笑みが浮かんだ。


(……なんだこの可愛い存在は!)

暴発しそうなほどの感情を覚え、細市はたまらなく目を瞑った。


「り、リリーラの御蔭なんだ」


「そうなの?」


「教えてもらった氷魔法でできたから、半分くらいあの子が作ったようなものなんだよ」


「……まったく、仕方ない人」


すっかり熱くなったマケインの頬へ触れ、少女はその想いを伝えてくる。先ほどまで険しくなっていた眼差しを緩め、呆れながらも溜息をついた。

リリーラは、親密そうな二人の仲に見てはいけないものを見てしまったような心地となる。


「……トレイズ、様」


「こういう人なのよ、旦那様は」


善良すぎるほどに善良。凡庸な非凡。数多の兵を弑せるほどの凶悪な魔法を手にしたというのに、兵器という名のおもちゃで菓子を作って喜んでいるのだ。

あまつさえ、それをひけらかすでも誇るでもなく、己が氷魔法を会得することができたのは師によるものだと謙遜して憚らない。

貴族としては、失格でも。

トレイズは笑みを浮かべた。


「それにしても、……二人は随分と親しくなったみたいじゃない」


女神の拗ねた言葉に、一瞬だけ場の空気が凍り付く。マケインは焦りながら叫んだ。


「トレイズがそうするように云ったんじゃないか!」


「あたしは料理を教えた方がいいとは言ったけど、こんなに他の女と親しくしろだなんて言った覚えはなくてよ?」


そう笑顔で云いながら、目が笑っていないトレイズはどんどんアイスを食べ進む。

その光景を見つめていたリリーラが何か言いたげな表情となり、半ば消えた頃では声にならない声を上げ、途中からは悲しそうにぷるぷる震えだした。


明らかに、彼女は自分の分がなくなりそうなことに絶望しているのだ。

事実として、この世界で甘味というものは一生に数度食すことができれば幸せな食べ物だった。しかも、マケインが作ったのは現代日本の基準でのアイスだ。それは、この世界の食事で育ってきた異世界人にとってオーバーテクノロジーな中毒性を持つ代物なのである。……しかも、リリーラの場合は下手に味見をしてしまったのがいけない。

最初の頃は凛々しく受け答えをしていた彼女も次第に脳内はアイスのことしか考えられなくなっていた。もはや、それさえ手に入れば何をしでかしてもおかしくない状態である。

リリーラの尋常でない顔色を察してマケインは慌てて声を出した。


「トレイズ、あんまり食べ過ぎない方が!」


「あら、これってあたしにくれた奉納品でしょう?」


トレイズがツンと返事をする。

そうだとしても、一度にボウル全部を平らげるだなんて食べすぎだ。


「アイスは食べ過ぎると腹を壊すんだって!」


マケインが大きな声で注意すると、女神はようやくスプーンを握った手を止める。


「お腹を壊してしまうの? まさか毒でも入って……」


「毒は入ってないけどもな! 内臓は冷えるとよくないんだ」


おっかない口調でマケインは忠告をする。そのただ事ではない気配にトレイズは何度も頷いた。


「アイスって怖いのね……リリーラ、あたしの食べ残しで良かったら一口いかが?」


ようやく、トレイズは後光を身にまといながらリリーラに優しく話しかけた。

矜持の高い巫女にそのようなことを云ってもめ事にならないかマケインは戦慄をする。しかし、気が付くとリリーラは鬼のような形相でずっとアイスを凝視していた。


その唇の端からはあろうことかよだれが出そうになっている。

まさか、高貴に育った巫女令嬢は回し食いなどしまい。

間髪入れず、リリーラは叫んだ。


「トレイズ様、よろしいのですか!」


マケインはずっこけた。


「え、ええ……」


気迫十分。

女神の手からスプーンを奪い取ったリリーラは、アイスに突き刺して自らの口へとそれを運ぶ。一口どころではないその暴走した食べっぷりに残った二名はドン引きした。


「あ、ちょっと! そんなに食べていいなんて云ってないじゃない!」


トレイズが涙目で抗議するも、リリーラには聞こえていないみたいだ。

綺麗に完食した後、まとわりつくような粘着質の瞳で巫女は告げた。


「……ケイン様、これが、父上が食べたという未知の味なのですね」


底なしの沼地じみた眼を向けられる。


「い、いや……」


「私が……この『あいす』を作ったのですね」


感慨深そうなリリーラの言葉に、マケインは苦笑いを浮かべるしかない。


「リリーラ、これだけじゃとても料理を教えただなんて云えないよ。俺が伯爵に怒られてしまう」


「……そうなのですの?」


「教えなくちゃいけないことはもっと色々あるんだ。包丁の使い方も全然知らないままじゃないか」


「まあ……」


窘められたはずなのに、リリーラはとても嬉しそうだ。そんな風に笑っている二人の様子を見て、トレイズは少しだけ仲間はずれで面白くない気持ちとなってしまう。


「酷いわ、あたしが貰ったお菓子だったのに……、」


「また作ってあげるよ」


トレイズの小さな頭を、マケインは優しく手で触れる。

柔らかな桜色の髪を指先で梳かして、彼女の半泣き顔がくしゃりと笑う様を見つめていた。

少年は胸が温かくなる。

予感がして後で厨房に戻る途中、ギルドカードを確認すると……そこには新しいスキルが増えて表示されていた。


マケイン・モスキーク【人族】【男】

レベル10/999

HP40 MP2500 STR32 DEX50 AGI30 INT測定不能 LUK測定不能 DEF63 ATK46



加護【食神】

スキル【浄水】【と殺】【発泡】【保冷】

称号【食神のいとし子】【貴族】【男の娘】【聖女見習い】【飛竜討伐者ワイバーンスレイヤー


―――――


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