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☆70 控えめなお願い




「ほんっとうに、申し訳ないことをした!」


阻むトレイズの手を振り切って、マケインは直角に頭を下げた。綺麗極まる九十度。気持ち的にもう少し深めに少女へと謝る。

巫女の少女、リリーラはマケインのその態度に驚きを露にした。辺りを見渡して、焦りながらその謝罪を止めようとする。


「そ、そんなことをするのは止めてちょうだい! 今更謝るだなんて……っ」


「そうだよな! 君にとっては今更でしかなかったとしても、許すつもりがなかったとしても! どうか契約不履行で罰を受けるのは俺一人にしておいてくれないか! 幸い、まだ俺は男爵位を継いでいない、この領地には、沢山の大事な人たちが暮らしているんだ! 俺にできることなら、煮るなり焼くなり君の望むままになんでも云ってくれっ」


「…………?」


ポカンと口を開けたリリーラが、しばらくフリーズした。解像度の悪い昔のフラッシュ動画のようにカクカクとした動きで首を傾げ、戸惑い、その後トレイズと目が合って盛大に怯えた。


「ひいいっ! トレイズ様!」


「失礼ね、まだ何も云っていないじゃない」


金髪ボブヘアー巫女の青ざめように、トレイズはフンと拗ねたフリをする。そして、抑えようとしているオーラを鎮めるのに些か失敗しながら、食神は口端をひくつかせて笑顔になった。


「良かったわね、マケインがあなたに料理を教えることを忘れていたお詫びに、何でも願いを一つ叶えてくれるそうよ」


「なんでも……?」


困った表情でリリーラは少年を見やる。


「今すぐ思いつかなくてもいいんだ」


マケインは穏やかに笑った。


「家に帰りたいとか、トレイズを叱って欲しいとか、何か俺に相談したいことができたら遠慮せずに云って欲しい。俺たち、もう同じ釜の飯を食った仲なんだから」


「なん、でも……」


考え込む形で令嬢は顔を伏せる。

その様子に浅く息をついたマケインは、厨房にあった頭巾で砂色の髪をまとめ、エプロンを着て揚々たる眼差しを向けた。

いざ、料理は戦場だ!


「ほら、リリーラもこれを着て!」


「えっ えっ?」


「巫女服が汚れたら勿体ないよ。上等なものじゃないけど、エイリスが貸してくれたのがあるから」


彼女は促されるままに巫女服の上からエプロンを身にまとう。生成りにパッチワークが施された素朴なエプロンに青い頭巾をつけた少女の姿は冷たい印象を残しながらも微笑ましい光景だ。


「わ、私はこういうのは着たことがないわ。料理なんて召使いしかやらないものだと思っていたもの……」


リリーラはそう憎まれ口を喋りながらも満更ではなさそうにくるりと身を捻る。まるで姉妹のように仲の良さそうな姿を振りまいているマケインとリリーラの二名に、トレイズは内心面白くはない気持ちとなった。


けれど、トレイズはこれ以上リリーラをいびったりしないと約束したのだ。実のところどんなにヤキモチを焼いたりしていても、余り露骨にそれを見せるのは第一夫人の名が廃るのだ。


そんな風に荒んだ心境を隠して澄ました顔をしているトレイズは、部屋の隅にあった小椅子に腰かけてこの国に古くから伝わるレシピ集の本を読んでいるフリをした。


実際のところ、マケインが存在している今となっては役立たずの激マズレシピの集合体でしかないが。もっと言えば、あくまで読んでいるフリなので本が逆さまになっていることにも気づかないくらいであったのだが。


「リリーラは何を作ってみたい?」


マケインの笑顔に、リリーラは怯んだ。

何か思い詰めていることがあったのだろうか。どこか緊張した表情で、彼女は呟く。


「そうですね……お父様が以前私に話していたのはハンバーガー、という食物についてでしたが」


「ハンバーガーは、今は牛肉がないから難しいなあ」


「あれは無理なのですか!?」


悲哀のこもった顔で目を見張ったリリーラに、マケインが残念そうに頷く。

元々我が家には常備していない食材で作った特別メニューだ。凍らせる方法もなかった為に、現時点でキッチンに主役食材の牛肉が存在していない。


「あ、でもサンドイッチなら作れるよ! ハンバーグを焼くのはちょっと初心者には大変かもしれないからまずはそこから始めてみるのはどうかな」


「それでは誰も納得しませんわ」


「うん? 誰も?」


「あ、いえ、それはこちらの話で……どうして今回牛肉を用意することができないのですの?」


マケインは陰気に落ち込んだ。

どよーんとスモッグを漂わせながら、彼は呟く。


「冷蔵庫と冷凍庫があればこんな思いをしなくて済んだんだけどさ……」


「なんですの、その二つは! 教えてくださいまし!」


「冷蔵庫ってのは、要は冷たい食料保管庫のことだ。生鮮食材の腐敗っていうのは、温かい場所に置いとくと進んでいくんだ。それを防ぐ為に氷の冷気で箱ごと食材を冷やして保管する為の家電で……」


「まあ!」


令嬢は瞬きをした。


「なんだけど、氷属性を使える魔術師で協力してくれる人なんて誰もいなくて。ダムソンさんは俺自身が習得するしかないっていうんだけど、流石にこの辺境じゃ本も手に入らなくて困ってるんだ」


哀愁漂うマケインの言葉に、しばらくリリーラは考え込んだ。


「……でしたら、私が力になれるかもしれませんわ」


「力に?」


「いくら私でも全属性の魔術を極めるところまではいきませんでしたが、氷属性の魔導書なら読破したことがあります。食神様のご加護では習得は殆ど無謀、いえ苦労はするでしょうけど……」


半ばやけっぱちになっていたマケインはその瞬間に息を呑む。

リリーラの手を掴み、少年は瞳に生きる輝きを取り戻した。


「まさか、魔法を覚えるのを手伝ってくれるというのか!?」


「その代わり、お父様がお食べになったというハンバーガーには私も興味があります……成功の暁には是非、いえ、失敗したとしてもそれに匹敵するとびきりのレシピを教えて頂けることが条件ですわ」


「そんなのお安い御用……っ」


気軽に快諾しようとしたマケインに、トレイズが叱責を飛ばす。


「マケイン!」


マケインのレシピはどれも奴隷以外には本来門外不出のものだ。こちらが何を教えるかの主導権を相手に握られてはならない。

眉を吊り上げ、咎めるようにトレイズはこちらを見ている。その表情にハッと我に返った少年は慌ててこう言った。


「う、いや、今のは……」


「ダメ、ですの?」


慎ましい胸元が、少年の無防備な腕に当たった。

ふにゃん。

その控えめな主張ながら慣れない柔らかな感触にマケインは意識が飛びそうになる。目くじらを立てたトレイズがリリーラによる色仕掛けに抗議しようとする前に、ダメ押しのもう一押しが加わった。


「私……、どうしてもカラット子爵家を打ち払ったという伝説のレシピを覚えて帰りとうございますわ」


ぐい、と小さな胸が圧し当てられる。

恐らく当人に色仕掛けをしている自覚はない。

神殿という世俗と離れた環境で成長したが故の危うい仕草は、リリーラにとってはちょっと腕にくっついてお願いをしているくらいの感覚でしかないのだろう。

しかし! 今は夏直前!

丁度マケインが薄着で過ごすようになっていた季節にそれは、余りにも直接的かつ肉感的な誘惑の塊でしかないのだ!


「そ、それは……」


ごくりと生唾を飲み込んだマケインは、気付けばこう言っていた。


「お好きなようにしてくだざい……」


マケインは欲望に負けて天に白旗を掲げた。

現実逃避。青の薄い初夏の空が嫌になるくらい綺麗だ。

(ヘタレと呼ぶなら呼べ)


あえて語るなら、大きい胸には大きい胸の良さが、小さい胸には小さい胸の良さがそれぞれ存在しているという真理だ。

あんまりなマケインの意思の弱さにがくりと肩を落としたトレイズが小椅子から滑り落ちた。





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