☆69 紙雪崩と忘れられていた約束
店舗の工事は着々と進み、マケインは精力的にメニュー開発に勤しんでいた。トレイズからの謝罪を伝えられたリリーラが何を考えているのかはまだ分からない。定かではないながらも、恐らくはそう悪いことにならないんじゃないかと予感がする。
さて、店舗、商品と揃ったら後は必要なのは従業員だ。まさか今までみたいにジェフ達が手売りで働くわけにはいかない。相手は貴族だし、万が一のことを考えると接客には専門の人間を用意するのが普通だ。
「だからって、この事態は予想していなかったなあ……」
げんなりと魂の抜けかけたマケインが嘆く。
阿呆、阿呆とカラスに似た鳥が外で鳴いた。馬鹿にするなと石をぶつけてやる気力もない。全てのエネルギーが求人で集まった履歴書を見ているだけで枯渇しそうだった。
「そうでしょうか?」
ドグマが呆れたように云う。
「山だよ、山! どうして領地の外からも応募がされているんだって話だ! こんなに集まったら最初の方で何が書いてあったか分からなくなる!」
「おおよその原因は神殿関係者に出店の噂が流れたせいですね。敬虔な信者からの応募や、貴族への愛妾を期待した若い女性たち、奇跡のパンの製法を会得しようとした打算などが絡み合ってこのような事態になってしまったのではないかと」
「こんなの予想できるわけないだろ!」
「そう油断していたのはこの世でマケイン様だけです」
マケインはトレイズの希少価値が分かっていない。
女神が関わっている店というだけで、その店はこの世界で至上の価値を持つのだ。
ぴしゃりと言い放ち、ドグマは一枚の紙を手に取った。
「マケイン様はどのような基準でお選びになるおつもりで?」
「……多少不細工でもいいから性格のいい女の子がいい」
マケインは胃痛がしている。
「馬鹿ですか? 貴族への接客に容姿の優れない者を使ってどうするんですか。こんなにより取り見取りなのですから、卑屈にならずに器量も性格もいい人間を……」
そこで、ドグマは口をつぐむ。
たった今目の前にいるマケインの顔を能面のように数秒眺め、すっと視線を逸らした。
「……大抵の女子はマケイン様を前にしたら、自信喪失してやさぐれてしまうかもしれない」
なにせ主君は男でありながら見た目だけなら一級以上の美少女だ。
少し長めの砂色の髪に、華奢な手足。長い睫毛は可憐に鳶色の瞳を縁取っている。
兄弟揃ってマケインに一目ぼれをしかけたドグマの身からすれば、その無駄な美しさは忌々しい思いが呼び起こされるものだった。
しかも、マケインの隣には大抵必ずトレイズ・フィンパッションがいる。人間離れした神がかった美貌はマケインにも劣らず、その他にもモスキーク邸に集っているのは見目のいい女の子ばかりだ。
そんな彼らを前にしたら、完膚なきまでに応募してきた婦女子の自信は根こそぎ切り倒されてしまうだろう。最悪の場合は嫉妬で逆恨みするかもしれない。
そこまで考えて、ドグマは呟いた。
「……マケイン様、なるべく真っすぐな心根で立ち直りが早そうな店員を選びましょう」
「ん? お、おう?」
戸惑っている主君に、ドグマは若干の疲労を覚えた。
愛らしく首を傾げたマケインは、勇気を奮い起こして自分に言い聞かせる。
「頑張る……しかないよな。早いところこの山を片付けないと、部屋で雪崩が起きてしまいそうだ」
事実、高々と積みあがった紙の塔は、ぐらぐらと土台が危うい。
その時、部屋のドアからノックが響いた。びっくりした拍子にタワーを倒しそうになり、マケインは咄嗟にそれを押さえようとする。
「……マケイン、順調じゃなさそうね?」
「や、やあトレイズ」
盛大に宙に舞う応募書類。
倒れたドミノのようにバランスをとるのに失敗した末の惨事を見て、トレイズ・フィンパッションは一見しただけで事態を察する。
「大変なことになっているわね。ハーブ茶でもいかが?」
「ははは。ありがとう、でもテーブルにはもうお茶を置くスペースもうrないんだ」
空笑いを浮かべているマケインに、トレイズは散らばった紙を拾い集めるのを手助けする。
「少しは誰かに助けてもらうこともしないと、いつまで経っても終わらないわよ」
「分かってはいるんだけどさ。なかなかそうもいかなくて。文字が読める人間も少ないだろ?」
貴族であるマケイン自身でさえ、完璧にこの世界の人間種の文字が識読できているわけではない。平民のエイリスや獣人のタオラは簡単な文字の読み書きしかできないし、ルリイとミリアはまだまだ小さな子どもだ。
マリラも空いている時間で手伝ってくれてはいるのだが、なかなか終わらない。
「ところで、貴方は何か大事なことを忘れてやいないかしら」
トレイズの澄んだ瞳がマケインを見つめている。
その輝きを直視した少年は思考が囚われてしまいそうになり、口がカラカラになった。
「忘れてることって?
確かに、最近トレイズとゆっくり話す時間はないよ。
あまり刺激が強すぎるのも問題だけど、ぐっと迫られなかったらそれはそれで違和感があるっていうか……。
エイリスの家事の手伝いもしてないし、妹たちと遊んでやることもできていない。タオラと買い物に出る機会も、大事な剣の稽古もしていない」
他に落ち度がなかったか必死に考えているマケインに対し、トレイズは頬を赤らめて誤魔化すような咳払いをした。
「そ、そうね。確かに、最近二人でイチャイチャする時間は持ててはいないと思うわ。エイリスやタオラと仲良くしている余裕がないのはいいことだと思うけど、あたしが言いたいのはそういうことじゃないの!」
全く、恥ずかしいという言葉を知らないのか。
「まさか、事業の関係で大失敗を犯してしまったんじゃ」
「だからそうじゃないのよ、もっと根本的な話」
トレイズはふう、と息を吐き出した。
「リリーラに、料理を教えるのを伯爵から頼まれているんじゃなかったの?」
そう言われた衝撃にマケインは雷が落ちたような心境となった。
この失態は許されることではない。
気が付けばリリーラが来てから一体どれくらいの日数が経過してしまったのだろう。その間ずっとマケインがしていたことといえば、自分の興す店のことばかりやっていたのだ。
(これはヤバい!)
正に手遅れになる寸前だ。
「ああありがとうトレイズ!! 俺ときたら大事な約束をすっかり忘れていたよっ」
「あ、あたしもね、別に貴方とリリーラの仲を取り持ちたいわけじゃないのよ? でも、このままじゃ立場ってものがないじゃない?」
「うわあ、どうしたら取返しがつくかな……!」
青ざめたマケインは、慌ててブーツの紐を結びなおして怒鳴った。
「ドグマ! あとはお前の裁量でやってくれ!!」
「そんな、マケインさま――――!?」
引き留めようとする従者に全てを押し付け、トレイズの手を取ったマケインは廊下を駆け出した。
(厄介事を押し付ける形になってしまった。すまん、ドグマ)
恐らくは夜も寝られまい。
慌てて追いかけようとしたドグマによって、室内で紙雪崩が起きたような大きな物音が聞こえてきたものの、決して振り返ろうとはしないマケインだった。




