☆68 魅力的すぎてちょっぴり危険
「だから、この内装じゃダメだって! こんな煌びやかなデザインにしていたら、平民の客が入って来れないだろっ」
マケインの主張に、ドグマも応戦する。
「そもそも、マケイン様の店に平民の客層を取り込もうとする必要性はなんですか! ここは高位貴族を相手にして、ゆくゆくは王族の保養所となるように努力すべきです!」
「そんなことしたら、だれでも食べられるファストフードの概念から崩れるじゃないか!」
「その、ファストフードって言葉は一体何なんですか!」
ドグマの怒声に、マケインは一瞬動きを止める。
そうして、美少女面を少々赤らめてくねくねとした動きで呟いた。
「し、知りたいか……?」
「……あぁ、結構です。ろくでもない内容が聞けそうなので知りたくない」
「ファストフードっていうのはなあ、庶民に開かれた即席料理の総称なんだよ! 素早く、安価に、最大効率で客に振舞うんだ!」
「やっぱりろくでもない……」
ドグマはがくっと項垂れる。
薄々分かっていたことだか、この期に及んでもマケインは常識というものを知らない。
細市の魂からの叫びに、興味深そうに展開を見守っていたジェフが紙をにペンを走らせる。
「つまりは、マケイン様は奇跡のパンを今まで通り安価に販売するおつもりだということですか……?」
「ダメか?」
「駄目です」
ジェフはさらりと言う。
「今までのように店を出した場合、このままでは開店初日に暴動が起こります」
期待するように返答を待っていたマケインは凍りつく。
愕然としている神のいとし子に、ジェフは言葉を選びながら説明をしようとした。
「需要と供給の差が激しすぎるんです。ドグマ君の云う通り、多少は価格を吊り上げておかないと、欲しがる有象無象の民と貴族が無用ないさかいを起こすのは目に見えています。最悪の場合は無礼うちで死者が……」
「は!?」
マケインはポカンと口を開ける。
溜息をついているジェフの様子にオロオロとしだした。
「ちょっと待てよ、そこまでのことか!?」
「マケイン様、丁度いい機会ですからあなたの無自覚なところを正しておきましょう。そもそも、あの奇跡のパンは貴族でも手に入れられない、神に愛された至高の品となっているのです」
「そんな、大げさな」
「あなたは軽視しているようですが、トレイズ様はこの世界の神の一柱であり、この世に現存する中で唯一の肉体を得た神です。つまり、神殿への信仰が可視化されて歩いているようなもの……彼女は存在するだけで国家の動きを左右するほどのパワーを持っている。今の流行の最先端はトレイズ様の一挙一動にかかっていると言っていい」
「う…………」
「それに加えて、ダムソン様は神殿の中でも神官長という役職についており、恐らくは貴族の名家の出身であることは自明の理。各方向への繋がりも厚く、その一言は伯爵家でさえも無視できない。すなわち、トレイズ神とダムソン伸官長が認めたパンはこの世で最も貴い食物ということになるのです。こんなものを薄利で安く売りさばこうとしたら、何が起こると思いますか!」
「わ、分かった。言いたいことは理解した」
「確かに、マケイン様の云いたい理屈は分かります。でも、時がまだ早すぎます。今までは試験販売ということで許されますが、平民から先にパンの店を出すわけにはいかないです。少なくとも奇跡のパンの流行が収まった後から考えないと……」
マケインは身震いをして、ただ頷く。
「一号店、いや三号店までは貴族向けに出しましょう。それから後なら、平民向けの店を作っても受け入れられるはずです」
「そうなるんだったら、トシカさん達は店の警備に当てた方がいいな。貴族同士がもめ事を起こした時に抑えられる人が必要だ」
「ですね、それがいいでしょう」
少年は嘆息をする。色々と自分の予測の範囲を超えた話だったからだ。こちらを伺うようにチラ見をしていたドグマに、マケインは声をかける。
「なあ、ドグマ。悪かったよ」
「マケイン様」
「最低限の美術品を買うのは許す。騙されたらタダじゃおかないけどな、ジェフさんに相談しろよ。それから、内装だけじゃなくて若い女の子の従業員も探しておいてくれ。貴族に粗相をしなさそうな人がいい」
それから……。
マケインは、ふと思い立ったことを口にする。
「この国って壁紙の文化はあるのか?」
「かべがみ、ですか?」
「いやポスターとかでもいいんだけどさ、壁に、こう……一面に模様を描いた紙を張り付けて楽しむんだ」
そのセリフを聞いたジェフとドグマが、驚愕に瞳を大きくする。
「そんなに大きな紙はどこにもな……いや、タイルのように小さい紙を繰り返し並べれば、できなくもありませんが」
「装飾はタイルでもいいけど、既存の建築にないなら貴族が反応しそうな目新しさがあって面白そうだろ?」
マケインがにやっと笑って見せると、ジェフは感心して息を呑んだ。
「それはいいですね! さっそく職人と相談しましょう!」
急ぎドグマの腕を掴んでジェフが意気揚々と部屋を出ていく。マケインはホッと胸をなでおろし、多忙な出店準備の中でようやく時間ができたことに安堵する。
「さて、トレイズと話をしに行くか」
あれから全然機会も持てずにいたからな。
憂いに満ちた表情で、部屋の片隅で足を組んで椅子に座っている女神を見つけた。その光景を視界に入れたマケインは、にこやかに笑いかける。
「……やあ、トレイズ」
「マケイン」
その横顔はどことなく不機嫌そうだ。
「何をしていたんだい? 話し相手もいないだなんて退屈じゃないか?」
「……別に」
ゆっくり、彼女の唇はこう動いた。
「することがないのは……いつものことだもの」
「それじゃあ人生勿体ないよ」
マケインはめげずに話しかける。
トレイズが何にここまで怒っているのかは分からないが、リリーラのことをどう思っているのかも訊ねたい。
「なあ、トレイズ……」
「あなた、リリーラと喋っていたわね。そうよ。そのとおりよ、神であるあたしの言葉だって、絶対なんかじゃあないわ」
――あの瞬間、トレイズは裏庭の会話が聞こえていたのだ。
そのことに気付き、マケインの心臓が跳ねる。
「いくら神だって全知全能じゃない。失敗だってするし、嫉妬もする。そのことが分かる人間って滅多にいないけれど……」
トレイズは立ち上がり、振り返った。
窓から差し込む夕日が,燃えるようにトレイズの桜色の髪を染め上げる。
赤に燃える。
「あたしがどうしてあなたのことが好きなのか、分かる?」
トレイズが指先を近づけて薄く微笑んだ。
彼女の醸し出す雰囲気に、女神の悲しそうな気配に溺れそうになる。
(酸欠だ、酸素が足りなくて返事ができない。少しでも弁解したいのに、どうして言葉が迷子になっているんだろう)
「トレイズ、君は……」
「マケイン。あなただけは、あたしのことを特別扱いしないのよ。ただちっぽけな女の子への純粋な真心で料理を作ってくれるの。だから、あたしがリリーラにしたことを、やりすぎたって怒ってくれていいんだわ」
「やりすぎだって分かっているのか?」
「マケインのことを軽く見られて不愉快だったの。でも、もう止めるわ。あたしのしたことって、単なる嫌がらせでしかなかったもの」
「リリーラに謝ろうとは思う?」
「そうね、あなたから彼女に伝えておいて。そうでないと、直接伝えたら神様への緊張と罪悪感であの子は死んでしまうわ」
トレイズは泣きそうに笑う。
愛おしそうにマケインの頬に触れる。
触れ合う二人の肌と肌が熱い。
「あたしって可愛くないわよね」
女神はポツリと呟いた。
言葉が、落ちる。ゆっくりと空から雫が落下していくように。
「そんなことない。確かに、たまになら感じないこともないけど」
「正直者」
「トレイズはトレイズのままでいいと思う……もう少し落ち着いてくれたら楽にはなるんだろうけど、でもそれじゃあトレイズらしくないっていうか」
「あたしらしい?」
トレイズの目は瞬きをした。
長い睫毛が動き、視線が彷徨う。何かをしばらく考えた後に、少女はにわかに柔らかく微笑った。
「多分リリーラはあなたのことを好きになるわ」
「それはないって! 考えすぎだ!」
「でも、あなたの一番はあたしだから。忘れたら怒るわよ」
そう笑って、トレイズはマケインの頬に軽くキスをした。
触れるような吐息。くすぐったい体温。
予想にない展開にマケインは、口づけされた後の頬を押さえて口を開いたり閉じたりする。
「きゃあ、旦那様!」
マケインは勢いよく鼻血を出した。
……朦朧とする意識。床に横になりながら、止まらない出血に顔色が青くなる。
(忘れていた。
この娘は、多少意地が悪いところがあっても十分魅力的なんだ)
このままでは、トレイズの積極性によってマケインは殺されてしまうかもしれない。前世ではまるでモテなかったのだ。女性への耐性がないのだ。恐怖の片鱗を味わい、少しこの先の未来への不安を覚えた細市だった。




