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☆67 女の子の涙には弱い方です




エイリスのスープも最近では劇物よりは普通の料理よりになってきた。相も変わらず旨みとは無縁な淡白な風味だけれども、めちゃくちゃに香辛料を突っ込まれていないだけマシになったといえよう。

いい感じに腹も膨れ、眠気をかみしめながらマケインは久しぶりの剣の修行に裏庭へと向かう。少しは筋肉も動かしておかないと剣術も退化する一方だからだ。


すると、草木の茂る緑と太陽光に溢れた景色の中で、一人の少女の泣き声が聞こえてくる。

閉じそうになる目を開いてみると、飛び込んだのは金と紫の色彩だ。


知神殿の巫女であるリリーラがこっそりと泣いているのだ。


(ああ、そりゃそうだよな)


今更驚くことでもない。

彼女が先ほどタオラに八つ当たりをしたことを厳重に注意しようと思っていたマケインは、巫女が隠れてここで泣いていたことを察する。いくらリリーラの性格が悪くふてぶてしくとも、その本質は世間に疎い伯爵家縁のお嬢様なのだ。


「大丈夫?」


マケインが声をかけると、振り返ったリリーラが眉間にシワを寄せる。頬に涙の流れた跡には白い塩が浮かんでいた。


「ほら、使いなよ」

汗をぬぐうために持っていた雑布の切れ端をリリーラに渡す。涙でぐしゃぐしゃになっていた巫女さんは、悔しそうな目でこちらを睨みつけてきた。


「何よ……っ 放っておいて!」


「塩水は肌に悪いって。綺麗な顔をしているのに勿体ないよ」


「何もかも、アンタのせいよ!」


予想外にも元気に吠えられた。

金髪の少女は呆気にとられたマケインの胸倉を掴み、乱暴に好意を無下にする。モスキーク家では貴重な布地は地面に落ちて泥がついた。シミになったそれを見たマケインの頭にカッと血が上り、衝動的な怒りが沸き上がった。


「お前、いくらなんでも……!」


「私は、優秀なんですのよ!!」


リリーラは諸悪の根源であるマケインに殴りかかる。しかし、非力すぎてまったく有効打にはなってない。


「神殿の中でも容姿も頭脳も最も優れていると評判で! 高貴に生まれ、高貴に育ち、巫女の中では神にもっとも近く選ばれた存在だったのに!

トレイズ様は、全然私のことなんて見ようともしない……!」


「そんなこと分からないだろ!」


「分かるわよ! それぐらい……」


ボロボロと大粒の涙を零して、リリーラは子供のように泣く。

しゃっくりあげている彼女に、


「大体なあ、だからといってタオラに八つ当たりしてもいい訳じゃないだろ! トレイズの苛めも酷いとは思うけど……色々こちらだって迷惑してるんだ!」

マケインはそう怒鳴る。


「獣人を差別して何がいけないのよ!」


「タオラは家族だ! 獣人だからってそんなもの関係ないっ」


「意味が分からないわ!」


お互いに言いたいことを怒鳴りあい、しばらくこのような不毛な喧嘩を続けていたら喉が痛くなってしまった。


「……私はあなたのことなんて嫌いよ。自分ばかりがいい人間のフリをして、まるで常識人の私たちが悪者みたい」


「だったら解決法は簡単だな。アンタがその腐りきった価値観を捨てればいい。トレイズだってそれを望んでいるはずさ」


マケインの一言に、リリーラは黙り込む。今度は激怒するのではないかと戦々恐々としていたこちらに、巫女は静かに呟いた。


「そんなに気楽に言わないでちょうだい。変わるっていうのは、容易いことではないわ」


「アンタならできるだろ。神殿で一番優秀だったんだろ?」


「…………」


彼女の紫の瞳が、力なく伏せられる。それを見た少年は掠れた喉で咳払いをした。


「トレイズ様は、あなたのことしか考えてないのよ。今はまだお怒りを賜っているからいいけれど、いつかそれすらも向けられなくなったら……この屋敷に父さまから送られた私の価値は、ないも同然だわ」


口端を歪めながらリリーラは心情を吐露する。

それを聞いて、怒りのままに今度はマケインが叫んだ。


「それがなんだっていうんだ! そんなことでアンタの価値なんか決まらないだろ!」


「決まるわよ!」


「いいや、そんなことはないね」


神様の決めることが必ずしも正解だという確証がどこにあるというのだ。もしもそうだとしたなら、貧しい人間も病人も不幸な子どもや老人も誰だっていなくなるはずなんだ。


「そんなの詭弁よ」


俺の理屈を聞いたリリーラは青ざめて呟く。


「神への冒涜を口にするだなんて、恐ろしくはないの?」


「だって、そう考えた方が道理じゃないか」


マケインはリリーラの涙を拭って、手を差し出した。


「未来は神様じゃなくて人が作るものなんだよ。俺たちの世界は、発想力次第でいくらでも進化させることができる。革命が起こせるんだ」


恐る恐るというように、リリーラがこちらを見返す。

ようやく止まった涙。彼女には目の前の少女のような姿をした少年が、やけに自分よりも大人びて見える。


「革命……?」


「そう、例えば俺は、自分の作る料理で世界に変革を起こしたいんだ」


「…………おかしな人」


リリーラは、放心状態で呟く。


「私には、あなたはとんでもないペテン師か、もしくは誇大妄想癖のある人間にしか思えない。でも、もしも……もしもよ、それが可能なのだとしたら、それって逆にすごいことだわ」


彼女の瞳には、先ほどまでなかった感情が浮かんでいる。

そして、少し躊躇った後にマケインの手を柔らかく握った。

ようやく、立ち上がったリリーラに少年がニコリと笑いかける。


「いつまで君がこのモスキーク領にいるつもりなのか分からないけど、暇だったらその光景を見ていってくれないかな。そして、俺の商売の手助けをしてくれると嬉しい」


傾いた太陽が、夏の領地を明るく照らす。

目の前の景色はきっと、この少女にとっても希望となるのかもしれない。


(なったらいい。

いや、そうなるべきだ)


未来ある少女にとって、窮屈な伝統なんて居心地が悪くて当然なのだから。

強く、強く。

願う。

もう君が、隠れて泣かずにすむように。

神様の言葉なんかで、憂いなくてもいい世界となるように。






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