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☆66 ダムソンとタオラ



 ダムソンは難しい顔つきで説明を始める。


「そもそも、魔石から魔道具を作るには、無属性の結晶に属性魔法の使い手が魔力を定期的に込める必要があるのじゃ。ましてや氷属性の魔法の使い手は希少でのう……総じて皆プライドも高い。まさか平民も来る店の料理に氷を使いたいから継続的に雇われてくれ、と話したところでモスキーク領まで来てくれるわけもあるまい」


「金の力でどうにかなりませんか?」

 カラット家から取り上げた金貨はまだけっこう残っている。

ゲスなマケインの発言に、ダムソンは却下する。


「一時的にならまだしも、この地へ拘束され続けるような待遇を普通の魔術師が望むわけもあるまいよ。長期的に支払えるような財をモスキーク家が対価として支払えるとも思えぬ」

「く……!」


「もしくは困難ではあるがマケイン殿自身が氷魔法を習得するくらいしか手がないかもしれん……儂としても何もできず申し訳ない限りじゃ」

「いえ、参考になりました」


 少なくとも、可能性はゼロではないことだけ分かったのは収穫だ。マケインはダムソンにお礼に持ってきた全粒粉パンを手渡すと、老人は嬉しそうに頬を上げる。


「いい加減食べ飽きたりしてませんか?」

「これを知ってしまうと今や元の食事には戻せんのじゃ……かたじけない。まるで世界の違う食物に触れているような気分になるのう……」

 ぎくっ

マケインは冷や汗を隠して笑い飛ばしてみせる。


「そ、そんなことあるわけないじゃないですか! お世辞が過ぎますって!」

 妙に焦った素振りの少年に神官長は不思議そうに首を傾けた。

 目の前の子どもが何かを隠していることを察したものの、どうせ大したことじゃないだろうと違和感で流してしまう。事実、マケインの料理にはダムソンにとってはなくてもならない生き甲斐となっており、今更以前の食生活に回帰しろと命じられれば地獄に落とされたような心地となることだろう。

食神の伴侶たるマケイン・モスキーク少年の近くで相談役となれることは望外の喜びであり、彼の助けとなることは人生における使命と心から思っていた。

 しかし、無理なものは無理である。

逆立ちしたって、ダムソンの人脈を使って尚この辺境へ来たがる氷魔法の使い手は存在しない。

冷たい水を出せる魔術師ならいくらでもいるが、氷となると難易度は跳ね上がる。それほどの希少性。

レイゾーコ、とやらの聞き覚えのない概念が何かは分からないが、できないことを正直に伝えることもまた、この少年の為となると苦渋の言葉であった。


「マケイン殿、食神様とベルクシュタインの五の令嬢は如何お過ごしじゃ?」

「いやあ、もう空気は最悪ですね」

 何がいけないって、日がな一日トレイズの機嫌が悪い。

まるで月の物が来る直前の女の子みたいにカッカしているし、トレイズにいびられているリリーラに至っては実に恨めしそうな目でマケインのことを睨んでくる。


「正直、できるなら帰って欲しいぐらいですよ」


「しかし、帰ったところで既に知神殿には彼女も身の置き所はないじゃろうな……上層部しか知らないとはいえ、信仰対象の女神に嫌われたとあっては、上級巫女としての立場がのう」


 考えてみれば不憫な話だ。

この世の誉れとして受肉した女神に仕えに来てみれば、屋敷はあばら家みたいなものだし、トレイズは女神としては奔放で意地が悪いし、何よりこんな変哲もない男を夫にすると公言して憚らないのだ。

 さぞかし大切に育てられてきたお嬢さんが、現在では下女同然としていびられる毎日を送っている。しかも、嫌になったからって戻るのは伯爵家が認めない。

なんて気の毒なんだ。心底そう思う。

彼女にとって失うものがでかすぎる。それもこれもトレイズの尻に敷かれている俺のせいだ。そんなこととうに分かってるんだ。


「儂としても伯爵令嬢には気を配ってやりたいのは山々なのじゃが。上級巫女としては名の知れた娘御であったことじゃし」

「そんなにリリーラって優秀な巫女だったんですか?」


「ベルクシュタインの隠れた宝石、才女という評判が広まるほどであったよ。事実、何を教えても覚えは良いし、神への奉納の舞子として選ばれるほどの地位に自ら上り詰めるのはすごいことじゃ」

「なるほど」


「ただ、知神殿から聞いたところによると少々頭が固いところはあってのう。既存の概念に囚われやすい……ということらしい」

「そうなんですか」

 それは分からなくもない。


「じゃあ、今の彼女は……」

「さぞ勝手が違って混乱しておることじゃろう」

 お互い、溜息が出る。

鳶色の瞳を沈ませて、マケインは呟いた。


「可哀そうですね」

「うむ、なんという悲劇」


「ところで、ダムソンさん。そのパンにつけたら美味しいかと思って、木苺を煮詰めてみたんですけど」

「マケイン殿、喜んでいただこう」





「……マケイン、どこに行ってたの」

 デルクとの稽古でほどよく身体を動かしていたんだろう。金と黒のメッシュの巻き毛の獣人少女が、ピコピコと虎耳を動かして訊ねた。その霧がかったようなアクアマリンの瞳には、困った色合いが浮かんでいる。


「おう、ダムソンさんのところにパンを届けに行っていたんだ」

「……こっちは大変だった」

 細く鍛えられた少女が持ち上げていた大剣を振り下ろし、繰り出したスキルの勢いで空気が唸る。瞬く間に草原の緑は葉先が散り、動いた風によって彼方へと飛ばされていった。


「何か変わったことでも?」

「……何もない。何もない、のが……逆に問題」


「ちょっと意味が分からないな」

 剣をデルクに預け、タオラがきゅっと抱き着いてくる。先ほどまで身体を使っていたはずなのに女の子だからかいい匂いがして。抱擁されたマケインは少し懐かしい気分となった。


「マケイン様、つまりは女衆が通常運転ってことですぜ」

 デルクが肩をすくめて屋敷の方を親指でさす。


「ああ、またトレイズが怒っているのか」

「で、巫女の嬢ちゃんが獣人のタオラ様に八つ当たりをしようとしまして」


「それはいけないな」

 マケインは溜息を深々とつく。

デルクが隠し切れない笑いを堪えた。


「でも、うちの姫さんは負けるような娘じゃないので」

「だからといって、許していいことじゃないだろう。そういう差別的なことは禁止だって言い含めなくちゃ」


「放っといてもいいと思いますよ。あーいう手合いは無視されるのが一番心にくるんでさあ」

 そんなわけにもいくまい。

こういう時には毅然とした態度をとらないと。


「あ、タオラ。休憩してたのね」とミリアが。

「ご飯だよ!」とルリイが。

ミリアとルリイの姉妹が屋敷から走ってきて笑顔を溢れさせる。

側に寄って来た二人に優しく声をかけられ、タオラは無表情ながらに嬉しそうな雰囲気をかもし出した。


「ん」


 微笑ましい光景にこちらまでもが安らかな気持ちとなっていく。

彼女の金と黒の髪に触れながら、マケインは穏やかに声をかけた。


「行こう、タオラ」

「…………ずるい」


「へ?」

 目元を隠し、タオラはソッポを向いた。

その耳は仄かに色づいているが、マケインは気付かない。

 気付かれない方が良かった。

だって、少女にはまだ何の心の準備もできていないのだから。





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