☆65 冷蔵庫がない!
「で、いい物件は見つかりそうなのか?」
ソネットの後ろ姿が見えなくなった頃合いで、マケインはジェフに訊ねる。すると、商人の青年はニヤッと笑ってその問いへ答えた。
「いくつか候補はありましたが、条件の良さからするとウィン・ロウの広場近くにある宿屋を買い取って改装するのが一番広々としてて良さそうですね」
「金額は? 予算内に収まりそうか?」
「そこはこちらの腕の見せ所です!
月々白金貨八枚の家賃で店を借りそうになったことを思えば、期待していてくださいよ!
しかしま、前提として、いくらなんでもこんな国境近くの土地に王都みたいなとんでもない価格はつくわけがありません。騙されるとしたら先ほどのマケイン様くらいでしょう」
「……悪かったな、世間知らずのお坊ちゃまで」
最初、モスキーク領の地価を知らずに日本人の感覚でお得だと思い契約しようとした時のことを暗にからかわれ、マケインは仏頂面となった。
「ゴホン、改装はどの程度の規模になるんだ?」
「半分くらい新しくするくらいの気持ちでいた方がいいでしょう。王都で働いていたサラ達の感性をもとに今風の流行りの洗練された店にするんです。恐らくは貴族もお忍びで訪れる名店になるでしょうから、今までの平民階級の店構えでは格が不足するに違いありません」
「それは言い過ぎだって」
たかがパン屋とカフェだぞ?
「いいや、このジェフ、商売の臭いを嗅ぎ間違えたりはしません」
自分の鼻を指さして、ジェフはふっふっふと意味深に笑った。
今までの話を聞き、ドグマが我が意を得たりと生き生きとし始める。水を得た魚のように晴れやかな表情で己の存在を主張し始めた。
「だったら僕の出番だな!」
「そうなのか?」
怪訝な顔になるマケインに、ドグマは笑顔で大きく頷く。
「なんせ僕は勘当されたとはいえ、子爵家の人間だったからな! 高貴なる者にとっての芸術が何たるかに関しては僕が一番良く知っているも同然さ!」
ずっと最近影が薄く、存在感を消して生活していたドグマがこんなに嬉しそうにしているのは久々のことだった。
丁寧な言葉遣いが消え、すっかり口調も地が出ている。
「大船に乗ったつもりでドーンと頼ってくれたまえ!」
「タイタニックじゃないことを祈るよ」
「はは、何のことを言っているんだい!」
流石に異世界の人間にはタイタニック号のことは通じるはずもない、か。
すっかり気分が大きくなったドグマの発言に、ジェフがなるほど、と呟いた。
「確かに、ドグマ君にも協力してもらうのはいい案だな。落ちぶれたとはいえ、子爵家で育った彼ならではの気付く部分も多いだろう」
「……落ちぶれたとはいえ?」
「ああ、落ちぶれたとはいえ」
ドグマ少年が次第に落ち込み、その肩が下がった。
事実、元が子爵家の息子でも勘当された今、ドグマの身分は平民同然。もしくはそれよりもまだ悪いくらいだった。
奴隷になったとまではいかないが、主人のマケインと同等の地位があるわけがない。反省しようがしまいが貴族の威を借りて行動することはもうできないのだ。
「ジェフさん、あんまりドグマを苛めないでやってください……」
見るに見かねたマケインが囁くと、小声でジェフはにこやかに笑う。
「え? これぐらいでですか?」
「…………」
ドグマ。強く生きろよ。
確かに、ドグマとの主従の関係ははっきりさせなくちゃいけないよな、うん。
でも弱いもの苛めは趣味じゃないんだけどな。
「た、頼りにしているよ。二人とも」
「マケイン様!」
「えーとそれで、マケイン様はどのような設備がよろしいんですか?」
必死のフォローが見事にジェフによって骨折された!
完全スルーで話題は次に移される。
設備……、設備かあ。
「パン屋だからオーブンは欲しいだろ……あとは冷蔵庫に冷凍庫に、コンロに、ああそうだ、電子レンジも……」
って、この世界で手に入らないものばかり挙げてどうするよ。
(ベタフラッシュで)マケインはハッと気付く。
「この世界ってどうやって食材を保存しているんだ!?」
前の世界なら、冷凍しておけば最強だった。そうはしないまでも、冷蔵庫で保存するのが当たり前。まさか店をやるのに、この二つが使えないなんてことがあっていいのか!?
マケインの問いかけに、二人はキョトンとした顔になった。
「それは……基本的に、涼しい場所に置いたりですね。あとは干したりとか?」
「ドグマ君の云う通りです。食材が腐るほど手に入るような生活ができるのは貴族階級くらいのものですから、そもそもが冬越しや飢饉に備えた備蓄以外の長期の保管なんて家庭では考えなくてもいいんですよ」
マケインは叫んだ。
「じゃあ、冷蔵庫は!?」
「意味が分かりません」
「冷たくなった箱だよ! 中に氷とか入れておけば冷たくなるだろ!」
「この時期に氷はありませんよ。手に入るとしたら、そうですね……魔術師の属性で作るくらいのものですが……」
「魔術師は貴重だからなあ」
……そうか。
魔法って確かご加護がないと習得しにくい技術だったはず。だとすれば、その中でも氷の属性魔法を所持している人物を見つけ出すのなんて、このド田舎じゃ殆ど無謀なことだ。
冷蔵庫を獲得するまでに待ち受けている問題の数々を知ってしまったマケインは頭を抱えて叫びたいぐらいの心境になる。
「ああ、でも錬金術の造詣があれば魔石でどうにかなるかもしれません。その、レイゾーコですか」
「問題はそこじゃないんですよ……俺たちにそのとんでもアイテムが扱える人間がいるんですか! この、才能ある人間だったら裸足で逃げ出すような人材不足のモスキーク領に!」
「ダムソン様にご相談されてはいかがです?」
「嫌な予感がするんだよなあ……」
貴族として生活していたドグマですら冷蔵庫を見たことがなさそうというのが妙に気にかかる。
大体こういう時の予感って当たるから嫌になるんだ。
その後、マケインから大体の話を聞いて相談されたダムソンは開口一番こう言った。
「すまん、無理じゃ」
「……ですよねー」




