☆64 街中の受付嬢は笑う
オープンさせる店の下見はなかなかに楽しい。
どうせなら日当たりが良くて、人通りの多い場所がいい。家賃も重要だ。大抵のことなら斜陽でも一応は貴族の身分があるし、ましてや領主なのだからどうにかなるような気もするけれど、そこは海千山千の商人達だ。
何が言いたいかっていうと、案外肝心なところで俺は交渉ごとが苦手だという話。
最初はジェフさんも様子を見ていたのだけど、あっさり俺が相手のペースで騙されそうになった現場を目撃してからは、領主の息子は引っ込んでろ状態にされてしまった。
ギラギラとした話し合いの様子をぼんやり眺めていた手持ち無沙汰の俺は、ふと視線を動かすと一人のお姉さんがこちらに手を振っていることに気が付いた。久しぶりに見る顔、ギルドの受付嬢のソネットだ。交渉の立ち合いを代理人としてドグマへ任せて、マケインは家の中から路上へと出る。
「お久しぶり! モスキーク領の聖女様!」
「その呼び名は頼むからやめてくれないかなぁ……」
嬉しくはないぞ、まったく。
ジャラジャラとつけた腕輪が音を立て、辺りの人間たちがソネットの様子を見て眉をしかめる。その保守的な空気に溜息をついたマケインは、流浪民であるソネットに柔らかな笑みを向けた。
「こんな場所で何をやっているの?」
「ああ、それがね。今度、この辺で店でも出そうかって話になって」
「えー! すっごーい!」
ギャルっぽいきゃぴっとした反応で大げさに驚いてくれるソネットのリアクションにマケインは笑うしかない。
「いついつ!? いつオープンするの?」
「夏前にはどうにかするさ」
「なんのお店!? やっぱりパンかなー? いつも市場で売り切れちゃうから、マケイン様の商品ってなかなか食べれなくって!」
「それはありがとうございます、だな。 一応はベーカリーも兼ねたカフェでいきたいんだけど」
「カフェってのが何かはよく分かんないけど、きっと美味しいものが食べられるお店ね! ジェフさんがいるなら上手くいくと思うな!」
「やっぱりジェフって有名なんだな」
「そりゃあ良心的なストーン商会の跡継ぎだもん! マリラさんだって、モスキーク男爵家に嫁ぐ前は姉御って噂が流れてて……」
「分かる気がする」
ツボに入ったマケインが笑いだすと、ソネットが顔を赤らめた。
「で、でもマケイン様もお忙しいんだね。最近、全然会えてなかったからなんだかちょっぴり寂しかったよ」
「すまない」
「ううん、それは全然いいんだ。この気持ちだって、弟みたいに思う気持ちなのか、違うのかも自分で分かってないし……」
「? そうか」
ふはっと笑顔になったマケインに、ソネットの胸が締め付けられる。彼女は思わず下を向いた。彼女は分かっていた。もう言われなくてもとっくに知っていた。
貴族であるマケインへの思いは、流浪人である身分の低い自分では到底叶わないことを。だからこそ、この想いの正体は判じられない。
「お店が出来たら、真っ先にお祝いに行くからね」
「うん、待ってる」
「待っててよ、きっと」
マケインの手を握り、おどけた仕草で彼女は踊りだす。
シャラ、シャラ、シャラン。
民族調の腕輪が重なって美しい音色が鳴る。
この地域の人間の知らないステップは、彼女の先祖の故郷に伝わる古い踊りだ。その意味深な大人びた表情にマケインは思わずドキリとする。
「マケイン様」
商談の終わったドグマとジェフが外へと出てくる。
「あ、終わったの」
「一体どんな大事な用があったのかと思ったら、流浪人を相手に話し込んでいたんですか……」とドグマが侮蔑的な顔を浮かべた。
反射的にマケインはきつくドグマの脳天をぶん殴る。チカチカ星が飛んで目を回した従者にマケインは重々しく告げた。
「そういう言い方は良くないと思うぞ」
「……しかし、それ以外になんと云えばいいのです!」
「もう少し、ソネットの気持ちも考えろって云ってるんだ」
「ううん、いいんだ。流浪民なのは事実だしね」
顔の前で手を振って、焦ったようにソネットが笑う。
「では、次の候補へ行きましょうか。マケイン様」
ジェフがせわしなく呟き、マケインはその言葉に振り返った。
「ああ、分かった。今行く」
風が吹く。ソネットの髪もあおられる。耳飾りが透ける光を反射した。できることならあなたの心に私の痕跡を残してしまいたい。そんな欲を隠して、彼女は人当たりのいい笑顔を浮かべる。
「またね。マケインちゃん」
「またな。ソネット」
さっきまで繋いでいた指先の温度だけがこんなにも。
見えなくなった少年の後ろ姿に、ソネットは頬を染めてはにかんだ。




