☆63 巫女様はお嬢様
人との縁は不思議なものだ。
俺、マケインはしみじみとそう思う。
最初はトレイズ。ドグマにタオラ、獣人傭兵団。訳ありの居候ばかりを我が家に連れてくる俺に対して、ミリアとお袋は内心怒り出したいのを我慢している。しかも今回は、我が男爵家よりもずうっと格上の伯爵家の巫女さんだっていうんだから相当に神経をすり減らしているはずだ。
行き届いた掃除はされているものの、あばら家独特の隙間風の吹くモスキーク邸に、巫女のリリーラはピクリと眉を動かす。
そして、自身の腕を引き寄せるとこちらに眼差しを動かしてこう言った。
「このひなびた屋敷は随分と寒いのね」
「これでも季節的には暖かい方だよ」
なんせ時期は草木が緑を増していく頃。少しずつでも気温は上がっているのだ。
と、いってもそれは貧乏な我が家基準の相対比の話であって巫女さんとしては鼻で笑うような返事だったらしい。
「なるほど」
浅く嘲るような口調で笑われ、俺はその瞬間とてつもなく恥ずかしい心境となった。彼女はカツカツと屋内を歩き、足を組んで椅子へと座る。そして、屋敷を案内していた俺を見て無言で何かを要求しだした。
金の睫毛が閉じ、無音の圧。
しかし、残念ながらお育ちの良くないマケインには彼女が何を言いたいか伝わるに伝わらない。
「…………?」
これは、もしかしてアレか。
女の子が黙る時は、男からのうっふんなアクションを待っている時だと聞いたことがある。気のせいか、キス待ちの恋人のように伏せた眼差しを見せられてこちらは戸惑った。
「それはダメだよ! 俺にはもうトレイズがいるから!」
そんな錯覚に囚われた瞬間、マケインは照れて支離滅裂な言葉を発した。
気のせいだ。錯覚だ。そう分かっていても、男なら勘違いしてしまうような汚れなき魅力を彼女は放っている。
「だから、その。君が初対面の男とそういうつもりがあっても、流石にトレイズに見つかるような場所でそういう顔をするのはどうかと思って……」
「……は?」
「えっ」
低く不機嫌な圧力がさらに増す。
ようやく開いた目をすっと細めたリリーラは、腕組みをして口を開いた。
「この家は貴人にハーブ茶すら出さないの?」
「へ?」
「だから、お茶くみは下男であるあなたの仕事でしょう。上級貴族の私がこうしてここに座っているんだから、お茶くらい出すのが下級貴族であるあなたの仕事じゃない。まったく何をやっているのよ」
恐ろしいことに、リリーラの目はどこまでも本気の気配をしていた。
ようやく、衝撃を受けたマケインの頭脳が再起動を始める。
ネット掲示板速報のスレタイを書くとしたらこうだ。うちに来た巫女さんが悪い意味でお嬢様だった件について。
彼女の要求に対し、マケインは反射的に謝って、次に正気に返った時にはハーブティーをティーカップに注いでいた。
いい意味でも悪い意味でもマケインの前世である細市にはパシリにされる素質があったのが不幸だ。
「やっすい茶器ね。でも、悪くない味じゃない」
何をしてるんだ、俺は!
そもそも、この娘はトレイズへ仕える為に来ているんじゃないのか。なのに、どうして俺が逆に巫女の世話をする羽目に陥っているんだ!
嫌な予感がする。
「……その~、つかぬ事をお聞きしますが、リリーラさんは誰かのお世話をした経験はおありですか?」
へらへら下手に出ながらマケインは訊ねる。
「この高貴な私にできないことがあると思っているの?」
「いえ、多分できるんだろうなあとは思いますけども、でも、あったか無かったかでいえば、どちらですか?」
「…………」
少しだけ、相手の目線が泳いだ。
「……ああ、なるほど。ないんですね」
「ち、違うわ」
「完全に、ないんですね?」
「み、巫女としての務めはちゃんとやっていたもの。この私にできないことなんてあるはずがないわ。私ほどに優れた巫女はいないって評判だったもの。トレイズ様だってきっと私のことをお気に召すはずよ」
この先の惨状がありありと目の裏に浮かび、マケインは溜息をつく。
眉間を押さえて、少年は呟いた。
「まだ間に合います。帰りましょうよ、巫女様」
「どうして?」
「そのですね、うちのトレイズはそれはそれーは気難しい性格をしてるんだ。君みたいなタイプは多分水と油なのではないかと……」
「水と油?」
「混ざりようがないって意味さ」
「そんな不思議な言い回し聞いたことがないわよ。辞典を端から端まで暗記したけれど、どの地方の言葉にもない表現だわ。私の持つ知神のご加護にかけて保証できてよ」
「巫女様は食神の加護じゃないんですか」
「私、リリーラ・ベルクシュタインは、知神殿にいましたの。その中でも特に優秀な者だけが選ばれる舞子に選ばれるほどで……」
どこか誇らしげに彼女は語る。
だが、今のマケインにとってはわりとどうでもいい情報だった。
一刻も早く、マケインはこの空気の読めない上級巫女を屋敷から逃がしてやりたいと焦り始める。かといって、伯爵との約束がある以上はこちらから無理に追い出すわけにもいかない。
「あのさ、だから……」
「こんな場所で何をしているの? ――旦那様」
凍てつくような声。ハッと後ろを振り向くと、そこにはトレイズが実に不機嫌そーうに立っていた。
町娘風の庶民らしきワンピースに身を包み、桜色の髪は編んで後ろへさらりと流されている。萌黄の瞳は宝石のように煌めいた。どんな服を着ても、どのような装いをしても隠し切れない神秘的な佇まいにマケインはくらくらしそうになった。
「どうして旦那様がその女にお茶を淹れてやっているわけ? おかしいじゃない」
匂い立つような色香で、トレイズは唇を尖らせる。
「……こいつが食神様の、旦那様?」と、リリーラが呆然と下町風の衣装を着ているトレイズを見た後に、こちらへ視線を向けた。
その瞳には、信じられないと如実に書いてある。
「い、いや。そんな事実はどこにも……」
馬鹿みたいだろう。トレイズへの独占欲は隠せないくせに、未だにこうして自信のなさが口について出てくるだなんて。
保身ばかりの人生なんてそんなにいいもんじゃないって、正直を云えない苦しさなんて前世でとうに知っていたはずなのにな。
「でも、もうじき事実になるわよね? 旦那様!」
「この、この少年にそのような呼び方をするだなんて……それにその服装はなんですか! トレイズ様!」
わなわな震えたリリーラに、トレイズは悪びれずに答える。
「あら、意外と動きやすくていいものよ」
「ご身分をお考え下さいませ!」
「何よ、あたしのやることに逆らうって言うの?」
不敵なトレイズの笑顔は輝いて見える。
何にも囚われないって素敵だ。
俺たち人間が現世でかかずりあうもの全てを捨てた、羽化したての蝶が自由に空を飛ぶ光景のようだ。
ぐっと黙り込んだリリーラへ、トレイズが笑う。
「マケインはあたしが見つけたこの世界唯一の伴侶よ。説明してもこの意味が分からないなら、アンタなんか要らないわ。さっさとお帰りなさって?」
「どうして……こんな弱小男爵家の少年などを」
「身分なんか関係ない、あたしはあたしにとって価値のあるものを大事にするだけよ」
なんて皮肉な話だろう。
あれだけ身分の上下にこだわっていた巫女に対して、神様自身がそんなこと関係ないと言い張っているのだから。
「どうして……どうして!」
憎々し気にリリーラは泣きそうな顔でこちらを睨みつけてくる。
彼女の高貴な金髪のボブカットが乱れた。ありありと瞳に書いてあるのは、マケインへの憎悪だ。
「とりあえず、あたしとマケインの邪魔をしそうなアンタなんか目障りでしかないのだけど。それでも神に仕えたいっていうのならそうね、期待通りに目一杯こき使ってやろうかしら」
「ベルクシュタインの名においてこのようなことでは帰れません……必ずやお役に立ちますわ!」
「じゃあ、アンタ。雑巾がけはやったことがある? 冷たい井戸での洗濯は? 畑の草むしりは?」
これでもかと意地悪な要求をしてくるトレイズに対し、さっそく家事初心者のリリーラの顔色は悪くなった。




