☆60 サラの愛情表現は地味に痛い
いざ決意が固まってしまうと、びっくりしてしまうぐらいに事態は駆け足だ。
「ふんふん、お師匠様のパンはいつ見ても見事なぐらいに膨らみますね」とモスキーク家で引き取ったコック娘のサラが上機嫌に言った。
「こうやって暖かい場所に置いて発酵させるんだ」
「おししょう、ずっと気になっていたんですけど……その『はっこー』って何なんですかね?」
「…………うーん」
なんと説明したらいいものか。
微生物が発酵によって、とか天然酵母の成り立ちから説明したところで異世界の人間にはまず伝わらないだろう。
目に見えない菌の存在を教えたら教えたで、気持ち悪いって大騒ぎになりそうだし。何より、神様が実在する世界の話だからなあ。
しばらく考えた後、マケインは呟いた。
「神のみぞ知る?」
「なるほど、女神の祝福ってことですか!」
ハッと横を見ると、キラキラした両目でサラはこちらを見ていた。
慌てたマケインは、訂正しようと叫ぶ。
「いや違う! そういうことじゃなくて!」
「ようやく分かりました! お師匠様の料理は神の祝福が付与されているのですね! 正しく神秘の技、一番弟子のこのサラ感服しました!」
残り二人のコックもその言葉を聞いて盛り上がる。
モスキーク邸の厨房で製パンとスープ作りを指導していたマケインは冷や汗をかくしかない。何故なら、そんなに簡単に女神の名前なんか出してはいけないと分かっていたからだ。
「女神の祝福でありますか!」
「おお、これぞいとし子の起こした奇跡……!」
一応は奴隷の身である彼らの雄たけびにマケインは顔色悪く呟いた。
「やーめーてくれ」
「何故ですか! サラはものすごく納得しましたよ! このような奴隷である我が身にまでその秘法をお授けしていただけるだなんて、マケイン様ったらもう!」
女子らしからぬ勢いで馬鹿力に突き飛ばされ、吹っ飛ばされそうになったマケインの身体はどうにかその場にいた大人に助けられた。
くねくねと身体を動かしたサラは、頬を赤くしながら呟く。
ばっと主である少年を抱きしめて、きつくきつく抱擁し、次第に絞め殺しそうなほどの馬鹿力でハグをした。
っていうか、これではハグではなく締め技だ。
「カラット家に頼まれた決闘で負けてしまった時にはこの世の終わりかと思いましたけど、実はあの絶望も神のお導きだったんですね!
マケイン様のお出しになるレシピ、この奴隷のサラがなんとしても守り通します!」
「痛い痛い、分かったからその手を放せ!」
コック娘の愛情あふれる抱擁で内臓が口から飛び出そうだ。
なんというか、サラは愛情表現が過激すぎる。絶対に恋愛対象にはしたくないタイプだ。令和の時代に暴力系ヒロインはもう需要がないと思うんだ。
「……はあ、俺は本当にお前たちに店を任して大丈夫なのか不安になるよ」
でも、他に任せられる人間なんていないもんな。
一応この三人は調理経験のあるプロの元コックだし、ちゃんとしたレシピさえあれば俺よりも調理の段取りとかは上手いはずなんだ。
奴隷ならレシピの流出もありえないってトレイズが言ってたし、それって彼らが命よりも店の味を守る存在ってことだ。
「俺としては無理やり命令するような真似はしたくないんだけど……」
「何を言うんですか!」
ダンという名前の男のコックが大声を出した。
「僕らはこんなに名誉なことはないと思っております! 女神様に認められたレシピを使った店で働けるだなんて末代まで語り継ぐ誉れですよ!」
「そうですね、違いない」
もう一人のカールという名の青年も頷いた。
「そ、そういうものか」
マケインは戸惑い気味に一歩引く。
改めてこの世界の人間である彼らにとってのトレイズが至高の存在であることに少年は違和感を覚える。自分の知っている彼女はあくまでいい匂いのする笑顔の可愛らしい『女の子』で。女神としての一面よりももっと身近な……。
そこまで思考したところで、マケインはカールから話しかけられる。
「マケイン様は店では何を出すおつもりですか?」
「色々考えてみたんだけど、まずはパンとサンドイッチのカフェスタイルかな」
本音を言えばハンバーガー屋がやりたいけれど、この土地では安定して牛肉が仕入れられない。サンドイッチ屋ならその時手に入った食材で適当に作ればいいし、上手いこと肉があったらハンバーガーを一緒に出したっていいんだ。
要は基本はパン屋に飲食スペースが付属しているイメージか?
「カフェ?」
マケインは気が付く。
ああ、そうか。レストランの概念はあってもまだカフェは生まれていないんだな。
分かりやすく言うとどんな感じかな。
「……秋葉原でメイドがお帰りなさいませ?」
いや違う。これはすごく限定的なシチュエーションだ。
思わず妙なことを口走ったマケインの言葉を、耳ざとくサラが聞く。
「メイドですか?」
「いや、メイドじゃなくてもいいんだ。お茶を飲んだり、軽食を食べたりできる居心地のいい空間を提供する感じの……」
「お茶くみならやはりメイドの仕事ですよね? それを店に来た客にお金をとってやるんですか?」
鼻息荒くサラが前のめりになった。
ガッツポーズを作り、腕に力こぶを盛り上げる。
「マケイン様のいうことなら、このサラがやりましょう! メイド!」
「やらなくていい!」
「ようはお貴族様の真似事をするんですよね! 私、お貴族様相手の料理は作っていたので彼らの召使いがどんな感じかは分かりますっ」
「やらんでいいからっ!」
「頑張りますね!」
「俺はメイド喫茶なんて出したくないの! どちらかというともっと普通のパン屋兼カフェがやりたいの、分かる!?」
意思疎通は難しい。
ハンバーガー屋の前段階としてカフェになりました。
そもそもこの世界にお茶と珈琲があるのかすら謎ですが、ハーブティーはあります。




