☆57 戦後処理はやかましい
「……おや、これはすごいね。どうやら飛竜は倒されてしまったみたいだ」
放っていた使い魔の一匹から知らされた映像に、遠方で優雅にお茶をしていた魔族の少女カンナはふっと笑いを零した。
翡翠の髪は日光を反射し、金色の目は爛々と輝く。
「カンナ様、いかがいたしましょうか」
「放っておいていいよ。どうせ今回は試験的に襲わせただけなのだから」
従者の言葉に、カンナはおざなりに返した。
それにしても、あのマケインという名の少年は面白い。
気まぐれに逃げる時間を与えようと知らせただけの情報から、町の人間を守る為に飛竜の討伐まで成し遂げてしまうとは。
「活発化させている魔獣の暴走実験は成功だ。ある程度の方向性を与えることもできているし、ゆくゆくは高度な知性を持つ人種への洗脳までいけばいいところなんじゃない」
ふふっと彼女は笑う。
この世界の一般的な菓子は果実だ。干した果物を噛みながら、カンナはこれから先の未来へと思いを馳せる。
「ボクは所詮この安寧とした世界を引っ掻き回せればそれでいいのさ。流れる人間の血が多いほどに神の御力は高まっていく……」
にやっと彼女は笑った。
「ま、それに欲しい情報も手に入ったし」
甘い干し果実を齧りながらカンナは呟く。
「そうでございますね」
「獣人のところでアレが一つ手に入ったのは良かったけどさ、残りは八個でしょ? 正直地道な伝承から辿っていくしかないってのは計算外だったよね」
少女が手に持った古文書は血しぶきがついている。
今回の飛竜の襲来は陽動だ。宿場町の外れで住んでいた老人を殺めて入手したその書をパラパラめくりながら、カンナは溜息をついた。
「やっぱりボクには分からないや。ミカゲじゃないと解読できないみたい。あー、それにしてもマケイン・モスキークか……。惜しい人材だなあ、こっち側に取り込めないものかしら」
「さようでございますか、では、一旦帝国へ向かいますか? カンナ姫殿下」
「どうしようかな、これからゆっくり決めればいいんじゃない?」
翡翠色のツインテールを振り、カンナは穏やかに微笑んだ。
ポカポカとした陽光。外は気持ちいいぐらいの快晴だった。
討伐された飛竜の骸に、息を呑んで見ていた宿場町の人間が歓喜した。人間も獣人も関係ない。誰もが手と手を取り合いお祭り騒ぎになった。
今回の飛竜討伐の貢献者である獣人達には既知の友人のように酒と食事が振舞われ、ワイバーンの肉は解体されてお祭りに、その他の素材は換金されて俺から獣人達へ支払う報酬へと充てられた。
実のところ、町に泊まっていた商人達へそれらを売っ払えた御蔭で俺の懐は少しだけ黒が出た。
まさか順当にワイバーンが倒せると思っていなかった為、この辺りは予想外の出来事だった。むしろ今こうして生きていられたことの方が奇跡だ。
貴重な一部の素材は少しとってある。どうやらワイバーンの骨や目玉は魔法の杖の材料になるらしいのだ。
ワイバーン戦で負傷した獣人は、モスキーク男爵領に向かう途中に宿場町に偶然立ち寄っていた空燕商会のキース・ユスターという商人が提供してくれたポーション等の物資で早急な手当てをすることができ、後は目覚めるのを待つばかりだった。
「マケイン様ぁ、ご無事で良かったです……」
ぐずぐずとエイリスはずっと泣いていた。
正直メイドとしてはこんな風に泣いていちゃいけないような気もしたけれど、川に落ちて流された時から俺の生存は絶望視されていたようで。だとすればこうやって再会できたことに安堵したエイリスの気持ちも分かるような心理になった。
「悪かったよ、エイリス。ほら、ワイバーンの肉なんて今しか食べられないよ?」
なんせ俺は二度と倒せない自信があるからな! こんな生きるか死ぬかの戦いなんてもうご免だ。
「マケイン様のお料理の方が美味しいです」
「そ、そうか?」
エイリスは涙を拭って清楚に笑った。
豊かな胸と細い腰。いつもはまとめられている茶色い髪は下ろされてふんわりとしていた。
不意に、マケインは目元を赤くさせた彼女が美人なことに気が付いた。途端にどこに視線をやったらいいのか迷ってしまったこちらの手をとり、エイリスは微笑む。
「踊りましょう、マケイン様」
「え、いや俺、そういうのは覚えてないし……」
予想外の言葉に細市は焦った。この世界の社交のダンスなんて記憶を探っても出てこないからだ。
「もう、これからは覚えなくちゃダメですよ。マケイン様はご貴族様なんですから」
「あ、うん」
エイリスに教えられるがままに、マケインはぎこちなく踊りだす。美少女のような見た目をしている少年のいかにも子どもらしいたどたどしい光景に、町の人々は心が温まる思いになった。
(い、意外と難しいな……)
そんな感想を思いながら踊っていると、エイリスはにっこり笑って見せる。
恥ずかしくなったマケインは、一曲終わるとぱっと手を放す。緊張したせいか手にかいた汗を拭っているところに、獣人達が顔を出した。
「……マケイン様」
「え?」
トシカからの呼びかけに、マケインはキョトンとする。
「ど、どうしたんですか。トシカさん」
「此度は、貴方に最上級の感謝を」
臣下の礼をとった兎獣人である彼の様子に、マケインは慌てて制止しようとする。
「そんな、頭を上げてください!」
「俺たちは、子どもである貴方の言葉を全然信じていなかった。本当に、あの凶悪なワイバーンを倒し我らがこの町の英雄になれるだなんて奇跡のようだ」
「いや……、それは」
あの時は口から出まかせだったなどとは言えない空気だ。
気まずさに逃げ出したいのを堪えて、最初からそう考えてましたよ、という感じの顔を取り繕う。
「叶うなら、マケイン様。貴方にお願いしたいことがあります」
「なんですか?」
「我ら獣人を束ねる本物の主として、モスキーク男爵領に我ら傭兵の皆を一緒に連れて行ってほしいのです」
トシカの言葉にマケインは硬直する。
すると、追い打ちをかけるようにデルクが跪いた。
「頼むぜ、マケイン様。俺たちを導けるのは、アンタしかいねえんだ」
「で、でも! 今の男爵家はとても皆を雇えるようなお金もないわけで!」
「報酬の心配はしていないぜ。もう少しすれば、貴方は俺たちを軽く雇えるぐらいの人間になるはずだからな」
期待が重いー!
キラキラしたワンコのようになったデルクの眼差しに、マケインは具合が悪くなりそうな気分になった。
胃痛で吐き気までしてくる。
「あ、アドルフさん……」
「おう、俺としてもこいつらに賛成だぞ。どうせ仕えるなら、漢気のある奴の方がよっぽどいい。ワイバーンに立ち向かったお前は十分な漢だ!」
「そうですか……」
最後の砦であるタオラに視線を移すと。彼女はアクアマリンの瞳を星のように瞬かせて微笑んだ。
「……マケイン、ずっと一緒」
「ええっとぉおおお……」
これは、もう観念するしかない………か。
血の涙を流しながら、マケインはうっすら笑う。
「もう、好きにして……」
「「「よっしゃあ!!」」」
大喜びになった獣人達にしっちゃかめっちゃかに抱擁され、マケインは死んだ魚のような目になりながら辺りを見渡す。
「……あれ?」
そういえば。
「トレイズは?」




