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☆56 ワイバーン戦、第二形態は燃え要素だと思う




 どうかこのまま時が止まってくれたなら。

数日ぶりに邂逅した少年の姿が、背中がいつもよりも大きく見える。頼りないはずのか細い命だったはずなのに、こんなにも惹きつけられてしまうのは何故なのだろう。

それと同時に、トレイズの胸が切なく痛んだ。


「マケイン……本当にマケインなの?」


「待たせてごめん、こっちも色々準備があったんだ」


「準備って……、こちらはどれだけあなたの捜索で……」


「話は後だ。ひとまず――あの飛竜をどうにかしてからなら、いくらでも文句は聞くよ」

「ちょっと! なんであたしをここから連れてこうとするのよ! マケインがここにいるのよ! どうしてよ!!」


 神殿関係者に逃がされようとしているトレイズのわめく声に、思わず少年は苦笑した。

 良くも悪くも、こんな時だって彼女は女神様だ。

本当だったら打ち解けた会話の一つもしたいところだけど。背伸びが好きな彼女の蜂蜜みたいな言葉に耳を傾けて、親子を救おうとしていた行動を心から賞賛してやりたい。……ああ、だけど今の状況は一刻の猶予も許してはくれないらしい。


 マケインは汗を滲ませて皆の前に立った。トレイズが助けようとしていた膝をついている子どもとその母親をかばいながら、ワイバーンを鋭く睨む。

目前の竜は、炎を吐きながら町の上空を優雅に飛んでいた。黒のとげとげしい翼が、いかにもその凶悪さを物語っているかのようだ。


「マケイン様! まさか飛竜を相手にするおつもりですか!」

「うん。馬鹿げたことをしてるって自分でも思うよ。エイリスはその婦人と一緒にトレイズと安全なところに逃げてくれ」


 エイリスの悲しそうな声がした。

強風に髪をたなびかせながら、マケインは武者震いに笑う。歯と歯は触れてカタカタと鳴る。


「ワイバーンはギルドのAランクの冒険者がパーティを組んでも討伐に失敗するほどの存在なのですよ!? いくらなんでもお一人でなんて無謀ですっ」


「さあて、それはやってみなくちゃ分からないさ……それに、俺は一人じゃないんだ!!」

 勝算のない命賭けは単なる自殺同然だ。闘うからには、皆の為にも必ず勝たなくてはならない。

しかしながらマケインの剣は腰に下がったままだった。今の少年が持っているのは獣人キャンプで埃と共に転がっていた古びた木製の杖、である。

ささくれだらけのそれを構え、今回の指揮者であるマケインは大きな声を張り上げて号令をかける。


「獣人部隊、作戦第一弾だ! 前へ進め!」


 その合図と共に、獣人達が大きな樽を担いで姿を現す。呆気にとられているトレイズやエイリスの目の前で、そのアルコールとタールが入った樽をてこの原理の簡易装置に設置した。

予め、大樽にはマケインによって【発泡】のスキルが使われている。獣人達との宴会でかけた時よりも限界ぎりぎりの高圧力で樽は破裂する寸前だ。


「……投下!!!」


 マケインの掛け声で、獣人は思い切りよく樽をてこで投げだし、ワイバーンの身体にぶつけようとした。

一つ目は、よけられる。二つ目、三回目になったところでようやく爆弾は飛竜の羽に命中した!

轟音と共に、爆弾の中身が空中でぶちまけられる。

タールを全身に浴びた竜の甲高い鳴き声が電のように走った。痺れてしまうほどのつんざく怒りを燃やし、飛べなくなった飛竜が地上へと墜落する。


「よしきた!」

 狼獣人のディルクがガッツポーズを決めた。

空を駆る災害、飛竜を地へと堕としたことに対し、人々のどよめきが一面に広がった。


「いや……喜ぶのはまだ早い!」


 兎獣人の青年、トシカが眉間にしわを寄せて皆を制する。

轟音を立てながら地上へと降りた飛竜が、爬虫類のようなぎらつく緑の瞳孔を拡張させる。どうやらかなり怒っているようだ。

武器を持ち近寄ろうとした獣人達をけん制するかの如し勢いで、竜は炎を口から吐き出す。それは正に業火と呼ぶに等しい熱量を伴っており、放っておけば辺りの街並みは燃やし尽くされてしまうだろう。

大きな牙やナイフよりも鋭い爪も健在だ。その地獄の化身のような姿に思わずディルクは圧倒される。


「オイオイオイ……どうするんだコイツは! 本当にこんな存在を倒すことなんてできるのか?」


 茶化して口笛でも吹きたくなるような恐ろしさだ。


「確かに、炎を吹く竜に油などかけていいのか不安は残りますが……」

「今更そこを言うのか!? もう飛竜はタールと酒をぶっかけた俺たちのことを、自分が引き裂いて殺すまで許しゃしねえぞ!」


「本当にこれでいいのですね? 貴族の坊ちゃん」

 その不安そうなセリフに、俺は唇を引き締めて頷いた。なるべく視線を動かさないように気をつけながらハッキリとした話し方をする。


「このままだ。これ以外に俺たちに勝ち目なんてない」


「飛竜の鱗は火への耐性もありますよ? いくら熱い油だといってもそう易々と脆くは……」


「でも、ドラゴンの鱗ほどじゃないんだろ? 現に、英雄級の攻撃だったら火属性の攻撃でも倒すことができるって言っていたじゃないか」

「それはそうですが」

 トシカは俺の三文芝居を見破っているようだったけれど、何も言わずに溜息をついた。


「いいです。こうなったら、とことん地獄まで付き合いましょう」とトシカが呟くと、

「いんや、現時点これ以上の地獄絵図も滅多にないと思うがな」とディルクは間の抜けた顔になって笑った。

 そこで戦場に居たタオラの瞳は理知的に輝いた。


「……トシカ。飛竜は一度狙った獲物は逃さない。捕まりかけていたあの子達を助けるには、ここで倒すしか、ない。

恐らく、油で焼いた鱗の強度が下がれば剣で切ることもできるはず」

「分かってるんですけどね、つい」


「……獣人は、ずるい人間とは違う。約束を破ったらダメ」

「了解しました姫様」


 諦めたように、トシカは敬礼を返す。

少女の金と黒のショートカットが熱風に舞う。アクアマリンの瞳はまるで青い炎のよう。白い肌は上気して赤く染まっている。その凛々しい王族らしき姿にマケインは一瞬見惚れそうになりながらも、張り上げた声で合図を送った。


「いくぞ第二弾!」

 軽く八百度以上に熱せられた油が、飛竜に向かって浴びせかけられた。その一部は揮発して辺りのオレンジの炎はより高く燃え上がる。

苦しそうな飛竜の叫びに、アドルフが大声を出した。


「皆下がれ! 手負いの獣ほど暴れるものだ!」

 体勢を立て直した飛竜が身体を起こす。牙を剥きだして唸りながら、どの人間から仕留めてやろうか考えている風だ。

怯えた獣人の仲間は無意識に後ずさりをする。翼を奪い、油を掛けたとしても飛竜の攻撃力を削いだわけではない。油断すれば、この中の誰かが命を奪われ――全滅だっておかしくはないのだ。


「……トシカさん」

「はい」


「俺が死んだら、トレイズとエイリスのことをよろしく頼みます」

 そう告げるなり、マケインは姿勢を低くして疾風のように大地を踏み出した。少しでも気を抜けば足元から崩れそうな恐怖を味わいながら少年はずっと悩んでいた詠唱を始める。


『お客様、いらっしゃいませ。本日の《メニュー》はお決まりでしょうか?』

 色々悩んだけど、馬鹿な俺にはこんな詩しか思いつかないんだ。

なるべく扱いにくい魔力を注ぎ込みながらも、自分の知っているイメージを手繰り寄せる。


『俺は料理人!《注文オーダー》ワイバーンの姿揚げ! いけ、プチファイア!』

 その時、ごっそり魔力が持っていかれる感覚がした。

呆気にとられていると、こちらを見る飛竜が怯えたように啼く。その啼き方で我に返った時には、とんでもない大きさの炎の玉がマケインの手元で出来上がりつつあった。


「う、うわっ……」

 どうしよう、呪文の中止の仕方なんて知らないぞ。

泡を食ったように獣人達が蜘蛛の子を散らすが如し逃げてくのが視界に映った。なるべく長い時間持ちこたえようとしながらも、ついに限界がやってくる。

堪えきれずにマケインが手放した魔法は、モンスターの出した炎を飲み込みながら敵を焼き尽くそうとした。

 瞑っていた目を開くとパチパチとした音がする。

浸透した油で香ばしく丸揚げにされている様は、我ながらけっこうえぐい。

しかし、敵もさるもの。身体にまとわりついている火を振り払い、完全にアチラさんは俺のことを一番に排除するべき存在と認識したのだ。


「……っ やべえ!」

 寸でに逃げ出すと、さっきまで俺が居た場所へ飛竜の爪が突き立てられた。

ガリッと地面がえぐれている。……これ、直撃したら危ないなんてもんじゃない。

急いで持っていた杖を放り出し、マケインは腰に下げていた剣を引き抜くことにした。


「マケイン!」


 誰かの声が聞こえて。もたもたしてる途中で視界を上げると、迫りつつある飛竜の影が目の前にあった。陽の光が、未来が見えなくなる。


(……あ、もうこれ詰んだかも)

ハッキリ言えるのは、この時の俺が死を覚悟したってことだ。




「ぬ、おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 俺と飛竜の牙。その間に滑り込んだのはアドルフさんだった。

鍛え抜かれた上腕二頭筋が盛り上がった。涙が出そうなほどにカッコいい。野太い声を上げながらオッサンが飛竜と渡り合っている最中に、マケインは心臓をばくばく云わせながら隙間を這い出す。

誰も合図を出していないにも関わらず、それで彼らは心を決めたらしい。一斉に獣人達が飛竜へ向かって突撃をした。

ディルクも、トシカも剣を握っている。

 やがて、一つの飛沫が散った。


 ここまで来て、なんて綺麗ごとを言うんだって思われても仕方がない。

トレイズを助ける為に。エイリスを救う為に俺は獣人達を利用したんだ。

だけど、言っちゃいけないけど本心でずっと思ってた。

本当なら誰も犠牲を出したくなかった。……だなんて、今更すぎる台詞を。

名前も知らない獣人の青年が、俺のピザを喜んで食べていたうちの一人が敵からの攻撃を受けて崩れ落ちる。

彼と仲のいい友人が、血だらけの彼を見て悲痛な叫びを上げて立ち竦む。その光景を見てしまった俺は、隣にいたはずのタオラの様子がおかしいことに気が付いた。


「…………タオラ?」


 自分の顔を覆い隠すように、タオラはくぐもった呻きを漏らしていた。彼女のアクアマリンの瞳の色が濃くなって、やがて瞳孔が大きく開く。

俺は異変を感じて金虎の少女の肩をゆさぶった。獣人達の唯一の姫。そう呼ばれている彼女は、眦を吊り上げて竜を睨んでいる。


「どうしたんだよ、タオラ!」

「……わたしが、守る――――」

 どくり、どくりと鼓動が刻む。

 少女の心臓が脈動する。


「――マケインも、皆も、わたしが守るんだ」


 髪を逆立て、少女の半身はより獣に近い姿へと変化した。

自分の身も顧みず、マケインの持っていた剣を奪い取って少女は戦場へと走り出した。

お世辞にも切れ味がいいとは云えない子供用の剣だ。その扱いにくい武器を振りかぶりながら、竜を圧倒せんばかりの迫力で彼女は瞳をぎらつかせる。

目にも留まらぬ早業だった。

……ぽた、と刃から血が伝う。


 一閃!

力任せに切断された飛竜の首が地面を転がり、断面からは真っ赤な血が噴き出した。振り返ったタオラの雄々しい姿に、俺は全身が熱く呼応するような心地となった。

すごい。

剣を持った彼女はすごく綺麗だ。

やがて、飛竜が倒されたことを知った町の人々はわっと歓喜して飛び上がった。


「あ…………」

 タオラの逆立っていた毛並みがゆっくりとなだらかになっていく。熱狂の後の静寂。祭りの後の静けさ。正しくそんなような気まずさを感じているみたいだった。


「見ない、で」


 怯えに、彼女は顔を俯けた。

周囲は急いで死にかけている獣人の青年の手当てを始めていた。治癒の心得なんかない俺にやれることなんて苦しいぐらい何もないし、呆然としているタオラの方が精神的に助けを求めているように思えた。


「どうして?」

「……人間は、私たちのこの姿を見ると魔物の仲間だと、いう、から」


「俺はそんなこと思わない」

「嘘、いわないで」


 この様子では本気で信じていないな。


「嘘じゃないよ、俺、漫画やアニメのヒロインの第二形態とか第三形態って燃えると思う性癖の持ち主だから全然気にならないし」


 燃えるというか、萌えるというか。

幼い獣人美少女の第二形態とか、一部の層にすごい受けると思うんだよね。


「もえ?」

「あ、ごめん。今のすごいクるわ」


 なんとなくマケインのいわんとするニュアンスが分かったらしい。タオラは、もじもじと自分の指と指を絡め合わせ始めた。


「……君、私のこと、怖くない?」


「むしろ、タオラがいなかったら俺は生きてないさ。命の恩人のことを嫌いになるわけないじゃないか!」


 マケインの言葉に、縞柄の尻尾が嬉しそうに揺れた。俺は思い切り力強く彼女のことを抱きしめた。あれだけの剣の遣い手だというのに、凹凸の少ない身体の細い肩はそれに似合わず華奢に感じられた。




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