☆47 ジンジャーエールは意外と美味しい
宿屋に帰り着くと、真っ先に言われたセリフがこれだった。
「遅い!」
食堂で腰に手を当て、トレイズは不機嫌に叫んだ。
「いやー悪い悪い。意外と時間がかかって」
「こんな時間まで何をやっていたのよ! エイリスと二人で!」
これは嫉妬だろうか。もしそうだとしたら、少し照れくさい。
桜色の髪を払いほっぺを膨らませたトレイズの追及に、エイリスが慌てて叫んだ。
「……あ、あの! でもマケイン様はトレイズ様の為に!」
「あたしの為?」
意味が分からないとばかりに女神は目を瞬かせてみせる。
「マケイン様は体調が悪そうだったトレイズ様の為に街でお薬を探してらっしゃったんです! そんなに怒らないでくださいっ」
エイリスの言葉を聞き、怪訝そうなその横顔に――マケインは素早く作ってあった飲み物を差し出して見せた。
「トレイズ、乗り物酔いが酷そうだっただろ? 少しでも気分が良くなるドリンクを作ろうと思って材料を買いに行ってたんだよ」
「乗り物よい……?」
複雑そうな顔で、トレイズは固まっている。
やがて、彼女は拗ねた表情で呟いた。
「じゃあ、エイリスと一緒にいなくなったのは」
「トレイズを誘ったら具合が悪いのに可哀そうだと思ってさ」
「あたしのことをのけ者にしたわけじゃないのね? あたしのことを思いやってそうしたってことね?」
「そうだよ」
彼女は呟きを洩らした。
「なんだ、デートでいなくなったわけじゃなかったの……」
「ん、何か言った?」
「べ、別に!?」
今、何を言われたのかよく聞こえなかった。
マケインが差し出している飲み物の入った瓶を見て、トレイズの顔色が少し明るくなる。
「それで、これは何? なんだかブクブク泡立ってるけど」
「ジンジャーエールさ」
すりおろした生姜の絞り汁と蜂蜜を混ぜ、それにレモンっぽい果物の汁と重曹を合わせたら一気に『浄水』スキルで作った綺麗な水を投入して希釈する。そうすると、炭酸水がなくてもジンジャーエールが作れるのだ。
「また変なものを作ったものね……」
トレイズの知識にはこのような泡立つ飲み物は存在しない。アムズ・テル中を探したって誰もジンジャーエールなるものを飲んだことがある者はいないだろう。……だが、マケインが作ってくれたものに文句など言えないし、それで揉めても事だ。
トレイズは、自分には大人しい可愛らしさが不足していることを自覚していた。いつもニコニコしているエイリスの方が一般の貴族男性に受けるだろうことも重々分かっていた。
ここで頑なに嫌がろうものなら、マケインの愛情はエイリスへ向かってしまうだろう……それは最悪だ。それぐらいならこの不気味な液体を飲んだ方がマシなのだ。
そう、これは愛だ。
てんで見当違いだとしても、マケインが自分にだけ作ってくれた愛の薬なのだ。
おっかなびっくり指先を伸ばし、ちびちびとトレイズはドリンクを飲み始める。すると、予想外な刺激と酸味、そして澄んだ蜂蜜の甘さに目を見張った。
「……あら、美味しいわ」
意外なことに、美味だ。
この世界の料理は、スパイスを大量に使用したものが多い。なので、むしろトレイズとしては生姜の辛さは大して問題に感じなかった。
泡立つ水、悪くない。むしろ、重曹で酸味がマイルドになって女子でも飲みやすくなっている。
「……あ」
その時、トレイズはマケインに一つのスキルが宿ったことに気が付いた。
トレイズがこれまで作ろうとも思わなかった新しい料理スキル。それが生まれたことを察し、彼女は思わず笑いだす。
「マケイン、ギルドカードを見てみなさい。あなたのスキルが一つ増えているはずだから」
「スキルが?」
驚いた顔になったマケインは、慌ててギルドカードをチェックする。するとそこには今まで見たこともない文字が増えていた。
―――――
マケイン・モスキーク【人族】【男】
レベル3/999
HP18 MP608 STR10 DEX15 AGI9 INT測定不能 LUK測定不能 DEF19 ATK13
加護【食神】
スキル【浄水】【と殺】【発泡】
称号【食神のいとし子】【下級貴族みのほどをしれ】【男の娘】【聖女見習い】
―――――
「発泡……」
「あたしも初めて見るわ」と、トレイズ。
マケインは、急いで自分のコップに水を汲んできてこのスキルを試すことにした。
「じゃあ、いくぞ……『発泡』!」
しゅわしゅわと水に変化が現れる。やがて、この世界に来てから初めて見る状態になったのを見て、マケインは興奮に叫んだ。
「すごい! 炭酸水になった!」
「マケイン様すごいです! これならもう重曹は買わなくてもいいですね!」
「へへ、エイリスありがとう。まあ、重曹は他にも使い道があるけど……」
重曹は膨らし粉の代わりにもなるし、掃除にも使える万能選手だ。だが、重曹を使って炭酸を作るとどうしても独特の風味が出てしまう。二酸化炭素でできたものに近い『発泡』スキルの炭酸水は飲んでみると懐かしいコンビニの透明な味がした。
「トレイズ、君って最高だな!」
「えっ」
「まさかこの世界で炭酸水が飲めるだなんて思わなかったよ! 本当にありがとう!」
俺が心からの賛辞を贈るとトレイズの頬が赤くなる。
「そ、そうね。ようやくあたしのすごさが分かったのかしら!」
「うん、正直トレイズってあんまり女神っぽさがないから忘れがちだけど、やっぱり本物の神様だったんだな」
「何その言い方! もっと素直にあたしを称えなさいよ!」
「そういえば、トレイズって自分の意志でスキルをあげることってできないのか? 今、ふと思ったんだけど」
マケインの疑問に、女神はうっと身を引く。
冷や汗を流しながら口笛を吹いて逃れようとしたものの、マケインは自分の手をトレイズの肩においた。
「おい、トレイズ」
「こ、コントロールできる時とできない時があるわ。自分でやめとこうと思っても感動したらうっかり授けてしまう時もあるし、それにあんまりスキルってのは短期間でホイホイあげるものでもないの」
「分かったような分からないような……」
「大きすぎる力は一度に手に入れると身を滅ぼすの。むしろ愛しているからこそ、過剰なスキルを与えたくないって気持ちはあるわ」
ため息をついたトレイズに、エイリスが訊ねた。
「トレイズ様はマケイン様のことを愛してらっしゃるんですか?」
「あ……っ 恥ずかしいこと云わせないでよ!」
ツン、と横を向いた美少女の姿に、マケインは少しだけ不安を感じる。流石にトレイズの言動が典型的なツンデレの気があることには気付いているのだが、かといって何を言われても平気というはずもない。
そういえば、今日出会った不思議な魔族のことをまだ話していない。
「トレイズ……」
話しかけようとしたマケインに、後ろから声がかかった。
いつの間に! 深緑の髪をした、青年神官のグレイが後ろに立っていた。
「おやおやこのような夜更けまで話しておられるとは。マケイン様、トレイズ様もベッドルームは整っておりますよ」
皮肉っぽい口調でグレイ・リーフェンはそう言うとマケインに向かって失笑する。
「今は受肉されておられる身。あまりそのお身体で夜更かしをされますと明日に触ります故」
「それもそうね」
あっさりトレイズは納得し、食堂の椅子から立ち上がった。
笑顔でいなくなったトレイズを見送り、マケインはグレイに声を掛ける。
「……申し訳ないですけど、グレイさん。この町っていつ出発する予定でしたっけ?」
「三日後ですが、それが何か」
「その予定、もう少し早めてもらえませんか。できるなら、明日とか」
カンナの言葉を信用するわけではない。
だが、心のどこかでざわざわとしたものを感じる。
「……分かりました、手配をしておきましょう。この町で何かありましたか?」
「いや……もしかしたら、飛竜がこっちに来るかも……しれないですし」
「はい?」
グレイは呆れたようにこちらを見て、深々とため息をついた。




